かぶれの世界(新)

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朝から寿司

2021-05-18 09:34:27 | うんちく・小ネタ
朝起きて一連の体操・ストレッチをやり、台所に下りて朝食の準備にかかった。第1ステップはシリアルにミルク、果物にヨーグルトだ。第2ステップは日によって変化をつけるが、このところご飯にサラダ・ウィンナーに半熟玉子等。ところが、冷蔵庫の扉を開けてマズいことに気が付いた。

昨日の夕飯の為に買った寿司5貫のミニパックが残っていた。寿司の賞味期限は作ったその日、朝食の第1ステップも第2ステップも吹っ飛んだ。ミルクをかけたシリアルは食べるとして、その後は寿司を食べるしかない。梅雨入りで温湿度が高く生ものは心配で冷蔵庫に入れた。

取り敢えずお茶を沸かし、今後二度とないシリアルに寿司の組み合わせで朝食を済ませた。一晩冷蔵庫に入れておいた寿司は、大袈裟に言うとネタは干上がり、シャリはパラパラでお金を出して食べる状態ではなかった。それ以前に朝寿司を食べること自体が普通じゃなかった。でも食べた。

何でこんなことになったのか。昨日の夕方買い物を終え堤防沿いを散歩中、馴染みの中年女性カップルに会った。限りなく老年に近い中年カップルとは、会う度に言いたい放題悪口雑言を交わす仲だ。私を見て最初の挨拶が「太って丸くなった」だ。勿論、私も負けずに言い返した。

立ち止まって長々と馬鹿な雑談を続けた。実はその少し前に橋の上で、バドミントンクラブの退職した学校の先生に出会って近況を交換したところだった。少し気分が高揚してついつい喋りすぎ、帰宅後も寿司を買ったことを忘れて何時ものお酒に干物のつまみで済ませた。ボケは進む。■
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私的おひとりさま文化あれこれ

2021-05-13 18:20:49 | うんちく・小ネタ
コロナ感染が広まった頃から「ソロキャンプ」が人気だとテレビで見た。面白かったのでネット等で調べるとキャンプだけではない、バブルが弾けた90年代頃から日本特有の「お一人様文化」が始まったらしい。私は別の意味で筋金入りの「お一人様文化」実行者、単独行の男だ。

30代から始めたバイクは常に一人で駆け巡った。私には爆音を立てて走るバイク集団が理解できない。30代で本格的に始めたバイク運転は下手糞だったし、逆に慣れてくると山間部のワインディングを攻めるのが好きだった。どちらにしても集団で走るスタイルではなかった。

同僚に連れて行って貰い始めた山登りも、気が付くと単独行になった。仕事でも経験を積み慣れると上司は躊躇せず単独の海外出張を命じた。40代後半に米国工場に出向を打診された時も、家族状況を考えて単独出向しかないと判断し即答、大した相談もせず家族を残し米国に向かった。

自分一人なら自分のペースでやりたいことを即やる。私も同行者がいると彼等の意見を聞き合意して次に進む、或いはリーダーに従って進む、チームプレイだ。だが仕事でなければ自分のやりたいようにやり、問題が起これば自分の責任というのが性分に合っている。

米国生活は文字通りおひとりさま状態だった。3つの家に住んだが、隣の家とはお付き合いはなく誰が住んでるかも知らなかった。口を利いた人達といえば、会社の同僚とバドミントン仲間、週一で通ったマッサージ・セラピストと家を紹介してくれた不動産屋といったところだ。

週末はバドミントン練習をやり、その後マッサージを受けた。バドミントンをやらない時は日帰りかもしくはテントを背負って「ソロキャンプ」に出かけた。周りはカップルだったが。シアトルのREIで買い揃えた登山用具一式は帰国後も利用したが、今では殆ど消耗して使わなくなった。

欧米では基本おふたりさま文化だと聞いていた。洒落たレストランはカップルが前提の造りで、「ノー天気」の私でも一人で入るのは気が引けた。自然と気軽な安いお店にしか行かなくなった。ある時、シアトル郊外のヤロウ湾沿いの評判のレストランを紹介され思いついて一人で行った。

中年のウェイターに何人かと聞かれ「一人だけ」と答えると、一人だけという員数はない、「大事な一人」だよと言われ広いボックステーブルに案内された。その時は少し胸が熱くなったことを覚えている。だが、周りは全てカップルか家族連れだった記憶がある。何を食べたか記憶がない。

退職後に田舎の実家に長期滞在するようになり、4年前母が死んでから文字通りおひとりさま独居老人になった。管理の負担に耐えかね山林や田畑の一部を処分し、余裕ができ近場の山裾歩きをするようになった。だが、米国時代の山の道具の多くは消耗が酷く使えなくなった。

山の道具は概して割高でコスパが悪かったが、最近手ごろな値段で手に入るお店を見つけた。ハイキング程度なら堅牢で防水の靴やポケットが多くて丈夫な衣服、ちょっとした小道具等を安価に買える。そこはワークマン+、更なる実用的なおひとりさま用途に進出するのを期待している。■
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私の新しい魅力

2020-12-28 18:56:22 | うんちく・小ネタ
先週土曜日に掛かり付け医に行き健康診断の結果を聞き降圧剤を処方して貰いった。窓口で支払い時に突然仲良し看護婦さんに告白された。「大好きなんです」と言い書類を取り出し、私の署名を指さしながら「手書きの字」が大好きだと言った。何だ「字」かい。

彼女は続けて「何でこんなに読み易い優しい字を書けるのかな?」と聞いた。「僕の仕事はコンピューターの技術者で、昔は手書き図面作り誰でも間違えないように書く必要があった。それで自然と分かり易い字を書けるようになった。」と説明すると彼女は納得したような顔で頷いた。

付け加えて、今は大抵の場合キーボード入力する、私の子供達も手書き文書など作らない。彼らが書く手書き文字は下手糞で金釘流だ。米国で仕事した時に向こうの人達は子供の時からタイプライターで育っているので、彼らの手書き文字も金釘流で酷かったと補足した。

もしかしたら、私の手書きの字は特に女性に優しいと邪推する。というのは証券会社の若い女性の担当者も契約書類作成時に、私の署名を見て字が上手いと褒めた。彼女はモデル体型の長身美女で、理由は何であれ褒められると悪い気はしない。逆に、字以外に褒めるところがなかったのかも。

もうすぐ後期高齢者になるジーサンの唯一の魅力は、魅力というか得意技は相手が誰でも仲良くなる「手練手管」の持ち主だ。女性だけじゃない、人種に関わらず老若男女誰でも。一昨日も中華料理屋に婿さんと料理を引き取りに行った時、女店員が支払額の計算中に散々話しかけ計算違いさせた。

パーティが盛り上がった頃に店から娘宅に電話があり差額を請求された。私がちゃちを入れて計算を間違えさせるのが得意だなどと言って笑わせたせいだ。「やったー、大成功!」こんなに安いはずがないと思ってたが何も言わずに店を出た。人生は楽しい。■
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境界線上の天気予報

2019-11-28 18:43:26 | うんちく・小ネタ
東京に戻っても洗濯物干しは私の分担だ。今年は夏の終わりから秋にかけて気候温暖化や台風の影響等で天候不順が続き、洗濯物を1日で乾かすのに苦労した。特にこの地(愛媛県大洲市)特有の地形で朝は霧で太陽光が遮られ、午後は2時前に太陽が西の山の端に沈む。

実家は東西の山に挟まれた谷奥にある。30-40年前に植林したヒノキが伸びて実家の庭に太陽光が注ぐのは3-4時間だけ。朝方、霧があがる9時頃に庭の西側に洗濯物を干し、昼頃には東側の東屋に物干し竿ごと洗濯物を移動し太陽光を確保し、場合によっては家の長い廊下に干す。

加えて天気図と天気予報を見て干し場の選択肢(西・東・廊下)を柔軟に調整した。最近はスパコンの性能が向上し予想精度が上がったと言われる。確かに今年頻発した台風の予想精度は、格段に向上したと実感した。朝目が覚めるとほぼ前日の予想通りの位置に台風がいた。

だが、季節が変わり秋の天候に移り始めると予想はそれ程当たらなくなった。愛媛県南部(南予)にあるこの地(大洲市)の天候は、何度となく洗濯物干しに都合の良い県中部(中予)の天気に変わった。季節的に天候不順になった時、中予と南予の「天候と地域の境」が同じではなかった。

帰京してからも同じような経験をした。数日後NHKは一時雨が降ると予報したが、家内は乾きにくい衣服も含め何時もより多い洗濯をした。困るよと文句を言ったが、彼女はスマホで見た予報は終日雨が降らないという。危うく喧嘩しそうになったが、結果は彼女の言う通りで午後晴天になった。

ところが、翌日は全く反対のことが起こった。dボタンでチェックしたNHK地域天気予報は一時雨だった。一方、スマホの天気予報は終日晴れたり曇ったり。今度はスマホを信じて洗濯物をベランダに干し外出したが、途中から雨が降り始め急ぎ帰宅して居間に干し直ス羽目になった。

そこで私は以下の様に考え。

以前は気象庁の予報のみ報じる規制があったそうだが、現在は地域ごとの天気予報が気象庁とは別のシステムで予測され報じられているようだ。私の推測では季節の変わり目と地形の組み合わせで田舎(大洲市)と同じような予測の難しさを引き起こしているようだ。

現在のこの地(府中市)の天気は北関東と南関東の境目にあり、その時々の気候が気圧のちょっとした力関係の差で左右されて雨が降ったり晴天になったりする。この地はそう言う微妙な位置にあるというのが私の仮説だ。境目など気にせずもっと視野角を拡げれば天気予報は当たっているのかも、というのが私の仮説だ。洗濯物干しには全く役に立たないが、頭の整理にはなる。■
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小さな民主主義の小さなコスト

2019-01-01 18:15:35 | うんちく・小ネタ
新年明けましておめでとうございます。

午前中お雑煮の腹ごなしを兼ねて新年最初の散歩に出掛けた。年寄にはお餅二つでも腹に溜まる感じだ。路地道を京王府中駅に向かって歩くと、突き当りのケヤキ並木前の伊勢丹まで伸びた参拝列の最後尾が見えた。例年より多い気がして警備員に聞くと、久し振りなので分からないという。

大国魂神社の横を抜けて東京競馬場に向かうと、参拝客の車で駐車場が満杯だった。レース当日より多い。多摩や八王子に加えて杉並、練馬、川崎、埼玉等近辺からの車で、駐車場入口から長い車列が出来ていた。だが、レース日と違って自転車駐車場に1台も自転車がなかった。

南武線下のトンネルを抜けると府中本町駅横の小さな商店街は殆どシャッターが閉まっていた。サラリーマン相手の商売のせいか、正月の間は商売を休む店が多いのだろう。1か月前頃から始まった工事で、途中の遊歩道沿いなどの街路樹や公園が綺麗に手入れされていた。

昨年12月の初めに近くの遊歩道を散歩していると、並行して走る一般道の間にある小さな公園とその横の小道の工事を見かけた。いわゆる道路工事というより園芸工事という感じだった。気になって警備員に聞くと「小道の拡張で公園の周りの樹を移植してる、多分自転車で通り抜けるには狭いとクレームがついたのでは、でなければこんな工事はない。」とやや皮肉っぽい返事が返って来た。

私は最近この手のどうでもいいクレームをよく聞くようになったという印象(偏見?)があったので分かった気持ちになった。別の日に同じ遊歩道にのしかかる様に大きく育った樹を伐採する工事を見かけた。又別の日には隣町の公園でジャングルジムが撤去され、ブランコの吊り鎖が無くなっていた。

少しでも危険なものは事故で訴えられるのを恐れ撤去してしまうのかと、私は想像した。家内に話すと、自分の思い込みでしょうと取り合ってくれなかった。私は納得できず近くの市役所の支所で聞くと、単純に吊り鎖がさびて危険になったので交換するだけのことだという。

私はまだ納得できず、先月の中頃に府中本町駅周辺のケヤキの枝落とし工事中の担当者に聞いてみた。けやきは30-40mに成長し大きなクレーン車を使った本格的な工事だった。親方風の関係者に最後の枝落としは何時だったか聞くと、彼の記憶では「初めてのこと、やっと予算がついた」との返事。

それを聞いて私はやっと納得出来た気になった。1)年末になって予算が余りそうになり、2)最近多い市民の小さなクレームに対応する、3)そうすれば事故が起こった時の言い訳にもなる。この三つの理由で12月に優先順位の低い工事が集中した。これが私の解釈だ。

これが「小さな民主主義の小さなコスト」と、例によって私の天邪鬼で皮肉で無責任な想像が完結した。ところで、夕方外出から帰って来た家内によると5時頃から参拝客が減り始め、旧甲州街道超えて伸びていた参拝の列が石畳の参道内に収まっていたそうだ。■
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