かぶれの世界(新)

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「お前もか、クロ現」の構図

2015-04-29 21:37:42 | ニュース
NHKの看板番組である「クローズアップ現代」のやらせ疑惑について、NHKの調査委員会がやらせはなかったが過剰な演出や事実確認が不足していたと発表した。NHKは担当記者を3か月停職等15人を懲戒処分、会長ら役員4人の報酬自主返納、クローズアップ現代の時間枠総てを使って報告書を説明し謝罪した。

私は民放の報道番組に比べこのクロ現を高く評価していただけに残念で失望した。現在も係争中のNHKスペシャルのインチキ報道など問題が全然ない訳ではないが、NHKのニュース報道の多くは信頼出来ると思ってきたので「お前もか、クロ現」という気持ちだ。実際、クロ現も民放や新聞の誤報と同じ構造的なものを感じる。

最近も朝日新聞の慰安婦誤報や福島第一原発の吉田所長の手記改竄などマスコミの恣意的と思われる誤報があったばかりだ。関わった記者若しくは編集者が結論ありきの姿勢で情報を都合のいいように前後を省略したりつまみ食いした。テレビ朝日のニュースステーションで古賀氏発言問題などを見ても、マスコミが事実を伝えるという基本機能が殆ど働いていないように感じる。

私にはNHKや朝日とか毎日の問題には共通するものがあると感じる。それは、第2次世界大戦に図らずも協力してしまったメディアの反省として生まれた「戦後リベラル」が受け継がれ、その思いの強さが異常発達し報道の基本を捻じ曲げてしまった言論人がどこにもいるように感じる。彼等の手にかかるとニュースが恣意的に脚色されてしまうのだ。彼等は悪く言えば病気なのだが、悲しいかな彼等が働くメディアには自浄能力がなかった。

過去の誤報(正しくは情報偽装)事件を振り返ると、外部から明らかな証拠を突き付けられた時に初めてメディアは問題を渋々認め対応した。と言うのはメディアは情報を一方的に流しっぱなしで、受け手(読者や視聴者)から報道の内容についてフィードバックを受けて報道を見直す仕組みがなかったからだ。外部から問題を指摘する政治的な動きがあると、言論の自由や知る権利を盾に介入を封じた。メディアはある意味無敵だった。

だが今世紀に入って状況は激変した。インターネットは一瞬にして問題の所在を全国に知らしめ、誤報したマスコミに強烈なフィードバックをかけるようになった。かつてのようにマスコミが流したい情報を流しっぱなしでは済ませることは出来なくなった。今回のクロ現の場合は出演者がやらせを指摘し、それがネットで執拗に指摘されNHKは逃げきれないと観念したように感じる。

私が常々指摘する日本のマスコミの問題は構造的なものだ。それは素人の私でもわかる簡単なものだ。それは新聞もテレビも競争環境が無いことに起因している。受け手が報道内容に対して評価し、それがマスコミの経営を左右するビジネス環境になった。日本と欧米のメディアの決定的な違いの一つだ。記者を評価するシステムも同じだ。インチキなニュースを流した記者や上司の処遇が今迄と同じでは済まなくなった。だが、直ちにメディアの自浄能力には期待できない。我々のようなネット市民がしつこく言い続けるしかないと思う。■
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田原氏の変節

2015-04-26 23:31:52 | ニュース
評論家の田原総一朗氏が日経BPに面白い記事を投稿していた。私から見るとその記事の内容は驚きだった。と言うのは、彼が従来からの主張を大きく転換したように受け取ったからだ。しかも、私が日頃思っていることを的確に表現している。下記の日経BPの紹介文は記事の内容をうまく要約している。是非、一読頂きたい。

  田原総一朗:批判ばかりで対案を出せない「戦後リベラル」の限界
  http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/100463/042200007/?ml
  終戦から現在に至るまで「戦後リベラル」はポピュリズムと温情主義に陥り、日本の社会を変えられなかった  のはなぜか——。そんなテーマで書かれ、朝日新聞批判がひとつの柱になっているのが経済学者・池田信夫さんの『戦後リベラルの終焉』だ。

私は田原氏が出演したテレビ番組を何度も見たことがあるし、著作物も何冊か読んだことがあるがこのような意見の持ち主だとは思ってなかった。少し長くなるが何故驚きだったかその理由を説明したい。まず最初に私がこれまで持っていた田原氏の印象を紹介する。

彼は一貫した主義主張よりも状況を鋭く把握して、何が起こったのか大胆にグランドゼロ(核心)に単身切り込んでいく無色透明のジャーナリストで、その時その時の彼の言うことは朝日や毎日より公平だと思われた。だが、一方で主張が根なし草的で状況に左右される、鳩山前首相ほどではないにしても直前に聞いた情報に影響される傾向があるように感じていた。極端に言えば大阪都を巡る維新と既存政党との激しい対立を見て、大阪のオバチャンが政策の是非より仲良くやって欲しいとテレビに答えるのと似た印象があった(失礼、他意はありません)。

ところが、この尊敬すべき大評論家は戦後70年の今頃になって、池田信夫氏の本を読んで急に目覚めたように心変わりをした。「戦後リベラル」の代表である朝日や毎日は批判ばかりで代案を示さなかった。冷戦終了後米国の力が相対的に衰えた今、日本独自の道(代案)を求められるようになった。なのに、アベノミクスに始まり安全保障から社会保障まで依然として批判ばかりし代案を示さない。田原氏は自省を込めてこう指摘したのだ。

田原氏の変節(と私は思う)に対して世間は殆ど反応してない様に私は感じる。かつて世界標準の改革主義者だった中谷巌氏が反グローバル資本主義に転向して話題になり、一時期テレビ出演に引っ張りだこになった様にはなってない。田原氏の変節が本物かどうか見極めようとしているのか、マスコミは(意図的に)無視しているのか、単純に気付かれてないのか分からない。

だが、日本におけるマスコミと田原氏の影響力を考えると、彼の主張は「戦後リベラル」の問題を指摘する池田信夫氏の著作を何倍かにして後押しをしたと私は高く評価する。私は最近も「不幸な国民」(4/22)で指摘したようにマスコミ批判記事を何度か投稿してきたので同志が増えた気分だ。変節という言葉にマイナスイメージがあるなら、それは私の本意ではない。実は引用された池田信夫氏の本も読んでない。引用だけ読んで書くのは違反かもしれないが、田原氏の変節を全面的に支持したくフライイングでこの記事を投稿する。■
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フチ子ちゃ~ん!

2015-04-25 16:58:13 | 日記・エッセイ・コラム
初めてテレビで見た時から好きになった。つぶらな瞳に地味な紺の事務服、それに白いパンチラがきゅんと来る。
家族に欲しいと言ったけど今まで誰も本気にしてプレゼントしてくれなかった。家族の為にパーティを開き高価なプレゼントをしても、私の希望を叶えてくれるものは誰もいなかった。やけくそで自分で大人買いしようかと思ったが、それじゃつまらない。

しかし、ついにその時が来た。先月家内と息子と一緒に西九州に行った時のことだ。旅の最後の日に福岡空港のお土産屋さんで地元限定のフチ子ちゃんを見つけ、欲しそうにしている私を見て家内が買ってくれた。旅行のお礼だという。安いお礼だけど、私には待ってました、だ。コップのふちにぶら下がって「好いと~」と書いたタオルを広げている。博多絣の着物の裾がめくれて白いパンツがしっかり見えている。フチ子ちゃ~ん!

2週間前田舎に行く直前に渋谷で家内の誕生パーティをやった。贈り物交換タイムになると孫が私のところに来てガチャガチャを3つくれた。又もや、フチ子ちゃ~ん!今度は長男の嫁さんが気を使ってくれたようだ。いよいよ私のフチ子好きが浸透してきた。今度はサクランボのフチ子とゴルフのフチ子、もう一つは気持ち悪いジーサンのフィギア。でも、フチ子に免じて許す。いま彼女達は書斎の机の横で私を見守っている。まだ悪戯してない。私は気持ち悪いジーサンではありません。■
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残ったのは病院と農協、そして郵便局(続)

2015-04-24 18:25:50 | 日記
楽しい話題ではない。地方の農村部で何が起こっているか私が見た希望のない状況を紹介する。

昨日今日と2日かけて畑の草刈りをやった。10日前に田舎に来た時はまだまだと思っていたが、雑草が腰の高さまで伸び我家の畑は手入れされた周りの田畑から際立っていた。近所迷惑なのは分かっていたが中々その気にならず先送りしていた。だが放置したままだと乾燥した天候で雑草の茎が堅くなり、安っぽい草刈機では歯が立たなくなる。時間が経てば経つほど草刈りが難しくなる。

昨日午前中集落の班長、と言っても私より一回り以上若い主婦、が市報を配布がてら自治会費(7000円もする)を集金に来て長々と世間話した。ご近所の消息等近況を知るまたとない機会なので長話は嫌じゃないが、余り楽しい話題はない。聞けば聞くほど独居老人の高齢化が進み集落の先行きが不安になった。同時に我が家の荒れた畑をせめて草刈りだけでもやろうと思った。少し日が傾いた午後遅くやっと草刈りに着手した。

昨日遅くなったのでやり残した部分を今日の午前中にやった。30分位経った頃、隣にある田んぼを農地バンク経由で貸して稲作しているKさんがトラックターで通りかかり、またまた長い雑談が始まった。会社勤め時代と違い時間厳守の会議等ないから、話が尽きるまで雑談が続く。あっさり話を打ち切ったりするとマズイ。話の途中で残った部分は大きな機械を使って草刈りしてあげると彼から申し入れがあり、私は有難くお願いした。

彼は農協を退職後に機械を導入する条件で父親と話し合い農家を引き継ぐことにしたと言うが、それでも特に水に入る(水田のことらしい)と体がきついと言われた。農協と言えども定年までサラリーマンをやった後、彼の様に本格的な農業をやるのは大変のようだ。周りには若い頃会社勤めをした後実家に戻り農業を継いだ人ばかりだ。

彼に再度草刈りをお願いして、草刈機と燃料缶を持って今度は緩斜面の畑に移動した。母が元気な頃はここで自家用の野菜を作っていたが、今では雑草に覆われ見かけは完全に耕作放棄地だ。隣が住宅地なので雑草伸び放題という訳にはいかない。作業に取り掛かろうとすると今度は妹と同級生のSが軽トラックで通り掛かりマタマタ雑談が始まった。

隣の集落に住む1年下のOが孤独死したのを知っているかと、車を降りるなり彼は聞いた。最初心当たりが無い名前だったが話を聞くにつれ、散歩コースの堤防沿いの小さな家に住む愛想のいい小柄な男性だと分かった。見つかった時は死後1週間、飼い犬と金魚も死んでいたという。近くに住む父親には知らせてないという。気持ちは身に沁みてわかった。私もここでは独居老人なのだ。

彼は独身だったが珍しくないことだとSは言った。彼の親戚の甥や姪も独身がゴロゴロいるという。彼によれば結婚して家族を食わせるのは難儀なだけ、独りで気楽にやりたいという。同じ理由で農業もやりたくない、苦労だけでお金にならない、外に勤めに出る方が余程実入りが良いと。彼は市内のあちこちに耕作放棄地があるという。特に山村部にあるらしい。彼も若い時は都会で会社勤めした、農業のプロじゃない、今になってとても手広く農業をやれないという。私は看護婦の奥さんが家計の足しになっているのだろうと思う。

話題は変わって先に亡くなった長老の息子兄弟の行く末が心配と言う。私も凄く気にしている。長老は子供の為に土地を買い集め農機具を揃えて手広くやる積りだった。しかし、長老が亡くなった後兄弟は田畑を全て他人に貸し農業を止めた。今、何をしているかよく分からないという。彼等も若い頃は会社勤めだった。もう中年を過ぎる年齢に達し結婚も出来ないだろう。話をしていて暗然たる気持ちなって、言葉に詰まり草刈りを始めた。緩斜面の’元’畑の草刈りは午前中に何とか終わった。シャワーを浴び洗濯して遅い昼飯、今日は終わり。■
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不幸な国民

2015-04-22 14:49:33 | ニュース
重要政策に反対なのに支持率が向上した安倍内閣

日本経済新聞の世論調査(4月19日の記事)は、安倍政権の重要政策に国民の理解が進んでないと報じた。読売や朝日などの一般紙の世論調査より信頼できると思う新聞社の調査結果に、やっぱりそうかと思った。不思議なのは景気回復(実感せず78%)、集団的自衛権(反対52%)、辺野古移設(見直せ47%)、原発再稼働(反対58%)と安倍内閣の重要政策にことごとく反対なのに、内閣支持率が52%に微増していることだ。メディアの報じ方や数字に差があっても、個別政策反対と内閣支持率のネジレは共通する傾向だ。

先ず最初に思いつく理由は先日投稿した記事「統一地方選の敗者」で指摘したように、民主党がだらしないからだと私は思う。これだけ重要政策に反対しながらも野党に任せたらもっと酷くなると国民は思っている。景気回復は確かに日々の生活から生じた実感だと思う。だが、他の重要政策については一部マスコミ(或いは多くのマスコミ)の報じ方に放置できない問題があるように私は感じる。それを指摘するのがこの記事の目的だ。

安全保障論抜きの集団的自衛権論

集団的自衛権に関連して我国の安全保障態勢と世界情勢についてどうあるべきか、どのマスコミも突っ込んで真面目に論じているのを見たことが無い。自衛隊を地球の裏側まで戦争に行かせるのは反対といったような極めて情緒的で幼稚な反対論で済ませている。世界情勢の現実に向き合い我国が世界平和の為にどんな責任を果たすかという観点から真剣に論じ考える材料を提供する姿勢がないのだ。

安全保障を他国に任せ平和の配当だけ日本が頂くなんて虫のいい話がいつまでも続く訳がない。米国の調査会社ピュー・リサーチ・センターの日米関係に関する世論調査(4/7内容は大変前向きな結果、一読を勧めます)で両国民が互いに信頼している状況を報じたワシントン・ポストの記事に対するコメントを読んで私は衝撃を受けた。それは「現状は分かった、だが米国はいつまで日本を守ればいいのか」みたいな問いかけだった。ごく自然に湧いてくる疑問だ。何時かは自分で守らなければならなくなる日が来る。そのための準備も必要だ。

いつか来た道を歩まない為

戦後の一国平和主義まで遡らなくても、90年代に世界がグローバリゼーションに向かっている時、無知な反グローバリズムを展開して我が国を世界から取り残させた悲劇(私はそう思う)の再来の様に私は感じる。安全保障については公表できない軍事情報が沢山あると思うが、それでもマスコミはベストを尽くして安全保障に関わる議論を展開し国民の判断の一助となるべきだ。国の最重要政策である安全保障について、世界的視野を持って公平に物事を見ることが出来る専門家を今からでも育てる積りで取り組むべきだと私は思う。

だが、一部マスコミ、特にテレビはイロモノと言われる事件の報道に熱心で、突っ込んだ安全保障の議論に時間を割くことは全く期待できない。私が普段酷評するサンデー・モーニングのスポーツコーナーで、メジャー(MLB)のミスのみビデオを流してMLBをこき下ろす。野球ファンならMLBのレベルが高いことは常識でも、素人は日本プロ野球のレベルが高いと誤った認識を与える。これと同じことがニュース報道姿勢に感じる。時の政権のミスのみ指摘して建設的な議論をふさげ、国民にとって最適解を求める邪魔をしている様にさえ私には感じる。

メディアの論理のすり替え

辺野古移設については反対のみが沖縄の声として報じられることに違和感がある。安全保障もさることながら普天間住人たちの声が政治やマスコミのどこからも全く聞こえないのは不思議だ。以前は「少数の反対派の声が4割もあるのは無視できない」と主張していたのに、「5割を超えたとたんに沖縄の声」といい少数派になった普天間住民の声を抹殺したマスコミの報道姿勢は私は不信感を持たざるを得ない。結局お前たちの意見を言いたいだけなんじゃないかと。冒頭の世論調査結果は明らかにマスコミの報道姿勢に影響されているように感じる。

原発再稼働反対についても同じような矛盾を感じる。3.11以前は地球温暖化対策に積極的な報道をしていたメディアが殆ど何も言わなくなった。原発が無ければ現実的にはかなりのエネルギー供給を化石燃料に頼らざるを得なくなる。一方で中国を初め新興国がこれから多くの原発を作る現実もあるが、これに対してマスコミは何も言わない。他国のメディアが日本批判する時は自説の補強の為引用するのに、逆の場合何も言わない。

不幸な国民か?

安倍内閣は目先の生活のことだけでなく、安全保障や規制緩和など将来にわたって我が国の行く道を決める重要な政策を見直そうとしている。この時期のマスコミの役割は極めて重要だ。1か0の議論をやめて、ただ反対するだけでなく、賛成論と反対論の根拠を詳細に開示してどうあるべきか議論を深め、その上で各社の意見を筋道だてて主張する。そのプロセスを通じて世論が集約しあるべき政策を方向付けしていくのが理想だ。

エキセントリックな主義主張をする人達を登場させ1、0の議論をするのでなく、世界情勢を眺めて世界の言論人と意見を交換し、公平な議論を展開し最適解をみつける手助けをすべきだ。それがメディアの最大の責任ではないだろうか。その役割を果たせないジャーナリズムを持つ国の国民は不幸だ。我国は?不幸かどうかは分からないが恵まれてはいないと思う。■
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