先日松山市に行き古本屋を回ってみて驚いた。かつてあった従来型の古本屋が全て姿を消していた。本の中身の評価より一定期間に捌けるか否か、即ち棚卸の回転がどうかキャッシュフローを基本に経営しているBook Off型の古本屋に取って代わられたようだ。
大街道から湊町に続く銀天街を昨年歩いたときシャッターの下りた店が何軒か見かけられ、ここも郊外大型店にやられ空洞化が起こっていると寂しい気持ちになった。しかし、今年は古本屋等の跡地に新たらしいお店ができ全ての軒の明かりが点き、平日の昼間だけどショッピングしている人の数も心なしか多かった。
数字の面では倒産件数減少、雇用環境改善から地場企業の業績改善まで四国の経済が緩やかに回復していることが報じられているが、松山の町を歩いてみると景気回復を肌で実感した。三越や高島屋などのデパートは買い物客で一杯だった。
しかし、実家のある大洲市に戻ると状況はそれほど楽観できない。旧市街は完全に疲弊し回復不可能なところまで来たように見える。市役所など公共施設が分散し、折角再建した大洲城の周りがゴーストタウン化してしまった。松山等の地方中核都市や上場企業のある町と、大洲市の様ないわば農村都市との間には景気回復の濃淡の差はかなりあるようだ。
これらの地域の嘗ての繁栄はもともと公共事業で下駄を履いた架空のものだった。公共事業が益々尻すぼみになり地方の自立を求められると、今後この地域間格差は更に広がる恐れがある。隣の内子町は白壁の町や田舎歌舞伎など独自の文化を育てユニークな町作りをしてきた。知恵を働かせば大洲にも生き残るチャンスはあるはずである。
それでは大洲市にどの程度立ち直る活力が残っているだろうか。昨年「大洲市将来構想」批判の中で言及した財務情報が最近配布された広報にあるのを見かけた。残念なのは今年度上半期の実績のみで、過去の推移が分からないので改善しているのかどうか分からないが、悲惨ということだけは分かる。
簡単に紹介すると、上半期に年間予算259億円に対して約半額の歳入があり、そのうち95億使った。多分下期偏重の執行なのでそう計画とずれてはいないのだろう。歳入のうち大洲市自身の集めた税金はたったの22%しかなく、その6割が固定資産税である。逆算すると市民の日頃の活動から生じる税収入は歳入の7-8%なのである。他は国からの交付金と借金である。
大洲市の借金は市債が415億、年間予算の2倍弱、所帯あたり200万円ある。政府ほど酷くないと思うかもしれないが、大洲市の実力である税金収入を考えると事態は真に厳しい。このままでは借金の金利返済に追われ福祉などの支出を削り、それでも足りなくなり破産の道を歩む恐れがないとはいえない。勿論、民間企業ならとっくに破産している。
お金を使わなくとも昔のように身の丈にあった生活に戻らなければならない。その中で市民が知恵を絞り誇りうる大洲市独自の文化を育てて、魅力的な町にすることができるはずだ。資産を眠らせたお年よりは大洲市にも沢山いる。お年寄が年金を貰ってパチンコにつぎ込むより、ボランティアで一体となって大洲市の再建に取り組むような活動を作れないものか。■