25日埼玉県秩父市で山岳遭難の救助活動中のヘリコプターが墜落、救助隊員5名が亡くなったというニュースを聞いてとても複雑な気持ちになった。亡くなった登山家に加えて、5人もの救助隊員が亡くなったという。それだけが、私が複雑な気持ちになった理由ではない。女性登山家が55歳なのに対し、亡くなった救助隊員が機長54歳に加え、42歳、33歳、32歳、32歳という働き盛りの人達だったことにショックを受けたのだ。
私も若いころ奥秩父を何度か歩いたことがある。東の雲取山から西ははるか金峰山まで。西沢渓谷から登り始め雁坂峠に出て奥多摩方面に向うと水晶谷が見えてくる。水晶山の事故のあったあたりは原生林が残る美しいところだ。しかし、踏み慣れた道のあるハイキングコースとは違って、道具を使って登るいわば訓練を受けた登山家の行くところ、私の行く所ではないと思っていた。
亡くなった登山家は東京都勤労者山岳連盟のパーティに参加していたというから素人ではなさそうだが、沢を登る途中足を滑らせて滝つぼに落ちたという。滑落したのは前日24日の午後4時頃のこと、すぐに滝つぼから引き揚げたが蘇生せず、翌25日の朝110番に電話し救助を求め、11時頃に悲劇が起こったという。
事故を伝える記事を読むと、もしかしたらこの5人は死なずに済んだかもしれない、遺族は堪らないのではと思った。時間の経過を考えると登山家の命を救える可能性は無かったろう。だとしても、遺体を搬送する手段としてヘリコプターは出動したのかもしれないが。
冒頭に述べたように私が複雑な気持ちになったのは、遭難者と救助者の年齢構成が我国の置かれた状況を連想したからだ。生活苦や病気に苦しむ中高年を支える為に、働き盛りの世代が身を粉にして働くが、年々その費用が膨らみ借金が増えがんじがらめで身動き取れなくなる。もしかしたら、日本にはもうそんな力がないかもしれない、特に財政面では。
言葉を置き換えると、「命」より大事なものはないという社会保障費用は遭難者、黙々と目の前の仕事を果たしていく働き盛りの納税者は救助隊員。丁度今、来年度予算編成の時期だ。報道によれば強い経済の実現の為の2兆円規模の特別枠を創出するのに四苦八苦している。「命」を守る社会保障など動かせない大枠を取り除くと、調整可能なノリシロは殆ど残っておらず取り合い。
ニュースを見てそんな構図が浮かんできた。私はこれら遭難者や救助隊員より更に年上だ。私を生かすために身を削っている人がいるかもしれない、振り返って姿勢を正せねばと思う。昨日、待望の孫が生まれた。この子達の世代が働き盛りになる40-50年代がどんな時代か想像もつかない。シミュレーションをやってみようと思う。■