かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

田舎のジーサンから都会のジーサンへ(2)

2024-11-25 15:34:29 | スポーツ
私の「やり過ぎ性格」は若い頃から続く異常な性格(多分!)だと思うが、特に後期高齢者前からの健康に関わる運動や入退院を経験し色々な人に指摘され自分でも自覚するようになった。生活習慣が血圧や体重等の数字で現れると思い込み、スプレッドシートの数字を見て素人が運動を迫られている気がしない訳でもない。都会でも田舎でもない。

さて、帰京後は一人暮らしの習慣を変えて、家族の生活習慣に従うことにした。田舎では夕方6時前に入浴(シャワー)し、6時半から7時過ぎに焼酎かワインで夕食を取っていた。東京の自宅では7時頃に夕食を食べ、9時頃に入浴後に飲酒(焼酎のお湯割り)を飲むようになった。

田舎での夕食は豆腐の冷ややっこにグラノーラ(豆類追加)のワンパターンだったが、自宅では家内が毎日食料を変え料理して出してくれる。自宅でも以前はお酒を飲み夕食を取ったが、3日前からお酒は就寝前に飲むことに変更した。

帰京後はまだジョギング(10キロ走)やサイクリングとか山歩き等のヘビーな運動をせず、散歩だけにとどめ「やりすぎ運動」はしていない。だが、昨朝の体重を測ると60キロ台に減小していた。昨日は家族で外食し肉料理を食べたのに今朝の体重は67キロになっていて驚いた。

言い換えると私にとって「やりすぎ運動」をせずとも体重は減らせる、若い頃の65キロ以下に近づくことが出来る。昨朝体重を減ったのは、毎日変化する食事か或いはお酒を就寝前に飲んだ為かのどちらかだと推測する。帰京後たった1週間の出来事で決めつけられないが、田舎の一人暮らしで運動のやり過ぎだと言われても減らなかった体重が減った理由は何か是非知りたいと思った。

といっても、体重が減ったと言っても「ぽっちゃりお腹」は変わらない。だが、体重1キロ増ということは、1キロ重しを背負って走るということだ。逆も真なり。年寄りがよたよた走るだけに見えるだろうが、私のとってはそれでも大事な楽しみなのだ。帰京後1週間たち今日は多摩川沿いを走ってみたい。

ということで、上記まで書いたところで筆をおき、昼食前に自宅から遊歩道を経由して総合体育館かれ多摩川沿いに走り、稲城大橋で折り返して約10キロを1時間35分で(トボトボ!)走り自宅に戻った。田舎にいた時より足が進まなかったが完走しただけ良かった。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10年前に迫ったサイクリング

2024-11-09 17:57:04 | スポーツ
何時もの午前中のルーチンを変更して10時過ぎに本格的(その積り)サイクリングに出た。自宅を出て通常は折り返し点の長浜を走り抜け、佐田岬半島に向かって瀬戸内海沿岸の378号線を走り、
保内町から何本ものトンネルを抜け八幡浜市に出て、国道197号線を走り午後2時に大洲の実家に戻った。山あり海ありの4時間のコースだった。

2003年に早期退職後に母の様子を見に実家にしょっちゅう戻るようになった。暫くして母がマウンテンバイクを買ってくれ、私はすぐにサイクリングにはまりアチコチ田舎道や山道を走りまくった。逆ルートで八幡浜から佐田岬半島の峠を越えて走ることもあった。当時はその程度の峠は無理することもなくスイスイ走れたが、今日は精一杯必死でペダルを踏んだ。

走り終わって印象に残ったのは瀬戸内海の美しい海岸沿線と、遠くに見える山口県の瀬戸内海の島々(実は地図を見るまで大分県だと思っていた)だった。だが、最も印象に残ったのは8本の長いトンネルの狭い歩道を走ったことだ。特に保内町のゴセガ峠と夜昼峠の二つの長い峠をライトなしで走り高速の車とすれ違うのは怖かった。以前走った時は何ともなかったのだが。

八幡浜市街に入ったら美味しい魚料理か名物のチャンポンを食べようと思っていたが見つからなかった。港にでれば料理屋があるのは知ってたが、遠回りになるのでパスした。料理屋に限らず市内のお店の多くが閉店してたのはショックだった。特に八幡浜駅周辺のお店がどこも閉店してたことだ。夜昼峠まで寂れた家ばかりで悲しかった。昔とは全く違う風景だった。

夜昼トンネルは全長4キロもあり、最後の1キロあたりで自転車のバランスが怪しくなり壁に腕をこすった。格好つけるより体を大事にしようと思い、そこで自転車から降りて残りの距離を押し歩きした。かつて何度か通ったトンネルなのにとても怖かった。歩道の泥には何本ものタイヤ痕があったので、今でも自転車でトンネル内を走る人が沢山いるんだと思うと少し悔しかった。

実家に戻ると午後2時過ぎ、休みなしで4時間走ったことになる。洗濯物を取り入れシャワーを浴びて2時間遅れの昼食を取るとすっきりした。何時もと同じく麦飯に大根おろし、餃子にウィンナーと竹輪にインスタント味噌汁、最後に饅頭にコーヒーだったが美味しかった。

実は走りながら「またトラ」がどんな影響をもたらすか家内の宿題を考えようと思ったが、走り始めるとトンネルとか激坂を必死で走るのが精一杯で何も浮かんでこなかった。ということで、取り敢えずこのブログ記事を作成して、この後は焼酎のお湯割りでも頂くことにする。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地獄の峠越えとパンク、その教訓

2024-10-26 13:50:20 | スポーツ
私の「やり過ぎ」性格は生まれつきだ。だが、偽痛風で入退院後に運動能力が絶望的に劣化した後期高齢者が、本格的に回復を始めたのは9月25日に大洲市のシンボルの高山の激坂を自転車で乗り越えた時からだ。それ以降「やり過ぎ」を発揮して、自転車以外にジョギング10キロ走にも挑戦し、既に7回走り切った。正に後期高齢者のやり過ぎだ。

その意味で私にとって高山は忘れられない山になった。高山越えはその1か月前の8月に思い付きで高山に挑戦した時から始まった。登口から誤った道に取り付いた為「地獄の峠越」を経て上須戒に降り、肱川を渡る橋の手前辺りでタイヤがパンクし、橋を渡り切った所のファミレスで「天使」(大野さん)に助けられ、自転車ごと車で送って貰いDCM修理依頼し自宅まで送って貰った。

ところが暫く経ってから後輪が空気を入れても1日持たなくなった。私は山道の激坂を走るのが好きなので、2-3時間程度の距離では困らなかったが、結果的に長い距離を走れない制約になった。山間部でタイヤの空気が短時間で抜けたら大事になる、放置できず昨日DCMに持ち込んだ。

運よく他に客がいなかったので、持ち込むと直ぐに慣れた手つきで修理に取り掛かってくれた。先ず空気を抜きチューブを車輪から取り外し、再びチューブに空気を入れたところで、8月のパンクとは全く別のところに小さな孔が開いているところを見つけた。10分もかからなかった。何で分かったのか聞くと、空気の抜ける音が聞こえたと言う。

作業員はタイヤの辺りを「もさぐって」(方言だそうです)小さな茶色のゴミを見つけ、「木片」だと言って手渡してくれた。更に5ミリも満たない「木の針」みたいな物が出て来た。彼は木の針が刺さったままなので空気が漏れるのに時間がかかり、2-3時間走れるとの説明に納得した。

私はてっきり8月のパンク時にチューブがぺちゃんこになり、反対側にも傷がついたのではと推測していた。実際はぺちゃんこになる前に自転車から降りて押して行った。だが、今回のパンクは全く別の原因で、別の場所で別の日に木の釘が刺さったのだろうと思う。チューブの他の場所にも傷がついた恐れがあると思ったが、今朝タイヤを調べると異常がなかった。修理完だ。

これで長い距離が走れそうだ。パンクにも色々なパターンがあるものだと思った。多分、「木の針」はバラのトゲのようなものだろうか、東京でもあり得ないとは言えない。DCMでの修理に立ち会え作業員と気楽に話せるようになった。計1500円の費用で得た成果だ。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10キロ走ったぞ!(2)

2024-10-05 13:28:16 | スポーツ
水曜日に続き1日おいて昨日の午後も10キロ走った。例によってやりすぎ男だ。だが、理由がある。データの比較分析したく、今回は往路も復路も前回の復路と同じルートを通った。走った距離は前回は往路が1キロ多く11キロ、今回は10キロだった。スマート時計で測定した結果と比べて、私の走った感覚とほぼ一致していた。

前回の復路と今回の往路復路は全く同じ5キロを走り、前回復路37分6650歩・今回往路40分6330歩・今回復路も同じ40分6330歩だった。前回復路は狭い歩幅(75センチ)で気持ち良く走り、今回は意識して歩幅を広げ79センチ)てややゆっくり走った。

と言っても前方を走るランナーは如何にも老人らしい走りだったが、私はその老人に追いつけなかった。だが、2年前と同じ距離を走れるように回復しただけでも私的には十分だった。自転車の激坂登挑戦の効果が出て来たのかもしれない。これ以上回復できるかは自信ないが。

実は血圧や尿酸値などその他の生化学指標がどうなったかも気になっていた。来月半ばに帰京した時に掛り付け医が血液検査をすると言ってたので、その結果を見たい。毎朝起床時に測定している血圧は下記のように効果が出て来たように感じる。ただ私は若い頃から「寒くなると血圧低下し、夏太り」していたので、今回の結果が運動の成果かどうかは微妙だ。
 血圧(翌日から)10/3 143-87   10/4 134-86  10/5 134-87

私が以前にもましてジョギングにこだわったのはもう一つ理由がある。中年になって趣味でバドミントンを始めた。例によってやり過ぎで自分が上手くなったか確かめたく、区民大会や市民大会に参加し、米国赴任時はシアトルやシアトル・カナダの大会に参加しそれなりの成績を挙げた。何よりも仕事以外に色んな友達が出来て、内外のあちこち知らないところに行き試合を楽しめた。

そして来週半ばに東京のバドミントンのパートナーが、車に自転車を積んで訪問してくれる予定だった。彼はしまなみ海道を走り、バドミントンの羽根つきをしたいと言い、私も何とか彼と一緒にやりたいと思っていた。だが、昨夜になって親族の葬儀で来れなくなったと連絡をくれた。残念だったが、今回のサイクリングやジョギングなど刺激を与え動機付けてくれたと感謝してる。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10キロ走ったぞ!

2024-10-03 19:48:27 | スポーツ
昨日の午後、3年ぶりに10キロ走った、というか走れた。朝7時頃に起床した時の書斎の気温は22度台、午前中に歯科医に行き午後3時頃の室温も22度台だった。これを見て昨日はサイクリングではなくジョギングをしようと思った。夏が終わりスポーツの秋が来た、高山と冨士山のサイクリング挑戦に加え次はジョギングだと。今の体調を考えると、私には最も厳しい挑戦だ。

走り始めは2年前に偽痛風で入院してから先週までと同じ走り方で、ゆっくり走るというよりジーサンがトボトボ歩く感じだった。だが、3キロ経過して矢落川から肱川に合流する五郎駅付近を過ぎて、河川敷の歩道から肱川堤防の車・遊歩道と一緒になると体調に変化を感じた。

今迄に何回か挑戦しても限界を感じて引き返して来たポイントだったが、昨日はまだ走れる行けるところまで行こうという手応えを感じた。丁度その頃消防署が上流の鹿野川ダムで500トンの水を放流すると注意喚起する車とすれ違った。それが気分転換になり上流の五郎橋まで辿り着いた。

ここまで来たら往復10キロになる、3年前ならこの先の休憩小屋まで走ると12キロ、或いは対岸に大洲城が見える公園までだと15キロが見えて来た。昨日はこれ以上無理しないでおこう、これから少しずつ距離を伸ばそうと思い折り返して戻ることにした。

ということで復路を走っている時に往路とは違う走り方をしている自分に気付いた。往路ではジーサンのトボトボ走りだったが、復路では歩幅が少し広がりスイスイ走っているように感じた。復路は往路より短いコースに変えたせいもあり、歩数は8350歩から6650歩に、タイムは68分から37分に減っていた。

次回は往路復路とも病気する前と同じコースを走り、記録を比較してみたいと思う。昨日走って一番の成果は、体感的に昔と同じように走れたことだ。77歳を過ぎてもう無理だろうという気持ちがあったが、この調子で体力を回復して行けば孫たちと百名山にも登れるかも知れない。

昨夜は疲れで何時もよりよく眠れるかも思ったが、そこまでは期待し過ぎだった。今朝は筋肉痛を覚悟したが、それも無い。体重は0.4キロ減、血圧は変わらなかった。体が鈍感になったのだろうか。ちょっと驚きは、昨日の室温は1日中22度台、今日の室温は21度台だった。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする