先週24日と25日の日本経済新聞の3つのコラム記事に触発され考えを纏めようと思った。昨日の中外時評「怒り」が振り回す民主主義(菅野幹夫)と、今朝のDeep Insight「友を呼ぶ」米エリート層(小竹洋之)、グローバルオピニオン「ペロシ氏訪台が示した新常態」(Iブレマー)だ。
私的にはかつて世界は民主主義国と強権国に分断されていた。ウクライナ戦争も同じ構図の中で起こったと思っていたが、上の二つの記事がその考えが古いことを教えてくれた。分断された国の「どちらに味方した方が自国に有利か」が判断基準の第3の国家群の存在感が大きくなった。
そこには民主主義でも強権国でもないリアリズムがある。私的には「便利主義」とでもいう方がよりポイントをついていると思う。インド、トルコ等の大国だけでなくアジアアフリカ諸国の多くがこのカテゴリーに属し、世界人口の最大の比率を占めている。我々から見ると厄介な存在存になった。
以前だったら主義主張のない軽蔑的存在だったが、今は無視できない存在になった。彼等にとっての道具立ては第二次世界大戦後に生まれた国連を代表とする一国一票の極めて民主主義的なシステムだ。それが、民主主義的なシステムを機能させなくしたという皮肉な状況になっている。
そのより根本的な原因は民主主義国のグローバリゼーションの究極化が、国内を越えて世界の貧富の拡大させそれを世代間で継続させたことにより貧富を拡大させた。貧富の分断により最初は徐々に、そしてITが急速に民主主義を富める者や国だけの為のものにし不公平なシステム化した。
もっと象徴的に目に見えるのは米国の経済・軍事両面での相対的な影響力の低下がまず挙げられる。オバマ元大統領の世界の警察官を止める発言と、その後に続いたトランプ前大統領の民主主義をコケにするような政治判断が民主主義に対する信頼を失わせ怒りを招いた。
この分断は富める者や国を少数派にしたことを、ITを代表とする巨大企業がオバマやトランプ等が全国・全世界に分かり易い形で広げた。ウクライナ戦争がこれら取り残されていた第三の便利主義国を覚醒させた。彼等にとって民主主義は絶対守るべきものではない。
偉そうにいうけど、我が国の新聞テレビ等マスコミ論調は大局を外れているものが多いと感じる。尊敬するIブレマー氏も混乱していつもの歯切れがないと感じる。そう言いながら私も上記記事を見なければ考えが纏められなかった。今後暫くはこの考えをベースに判断していく積りだ。■
私的にはかつて世界は民主主義国と強権国に分断されていた。ウクライナ戦争も同じ構図の中で起こったと思っていたが、上の二つの記事がその考えが古いことを教えてくれた。分断された国の「どちらに味方した方が自国に有利か」が判断基準の第3の国家群の存在感が大きくなった。
そこには民主主義でも強権国でもないリアリズムがある。私的には「便利主義」とでもいう方がよりポイントをついていると思う。インド、トルコ等の大国だけでなくアジアアフリカ諸国の多くがこのカテゴリーに属し、世界人口の最大の比率を占めている。我々から見ると厄介な存在存になった。
以前だったら主義主張のない軽蔑的存在だったが、今は無視できない存在になった。彼等にとっての道具立ては第二次世界大戦後に生まれた国連を代表とする一国一票の極めて民主主義的なシステムだ。それが、民主主義的なシステムを機能させなくしたという皮肉な状況になっている。
そのより根本的な原因は民主主義国のグローバリゼーションの究極化が、国内を越えて世界の貧富の拡大させそれを世代間で継続させたことにより貧富を拡大させた。貧富の分断により最初は徐々に、そしてITが急速に民主主義を富める者や国だけの為のものにし不公平なシステム化した。
もっと象徴的に目に見えるのは米国の経済・軍事両面での相対的な影響力の低下がまず挙げられる。オバマ元大統領の世界の警察官を止める発言と、その後に続いたトランプ前大統領の民主主義をコケにするような政治判断が民主主義に対する信頼を失わせ怒りを招いた。
この分断は富める者や国を少数派にしたことを、ITを代表とする巨大企業がオバマやトランプ等が全国・全世界に分かり易い形で広げた。ウクライナ戦争がこれら取り残されていた第三の便利主義国を覚醒させた。彼等にとって民主主義は絶対守るべきものではない。
偉そうにいうけど、我が国の新聞テレビ等マスコミ論調は大局を外れているものが多いと感じる。尊敬するIブレマー氏も混乱していつもの歯切れがないと感じる。そう言いながら私も上記記事を見なければ考えが纏められなかった。今後暫くはこの考えをベースに判断していく積りだ。■