かぶれの世界(新)

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定点観測2020

2020-12-30 22:02:58 | 健康・病気
私の老化を測る今年の定点観測「血圧体重・生化学指標・運動能力・思考能力」は、帰京後に受診した健康診断の生化学検査で全て終わった。

(1)血圧体重 
夏と冬で体重と血圧が逆転した。4-8月は血圧が130-140台に上昇し一時強めの降圧剤を服用したが、10月になると120台に低下し弱めの降圧剤に戻した。一方、体重は酷暑の6-9月は65-66kg台だったが、10月になり67-68kg台になり腹囲88cmでBMI25を突破し先生からメタボの警告を受けた。体形はぽっちゃりお腹に向かっている。

(2)生化学指標
グッドニュースは尿酸値が10年ぶりに6.1に下がった。昨年は7.2、一昨年は7.8だった。尿酸値を下げる薬を飲み、食生活は減塩を徹底し11月まで断酒を続けてきた(帰京後ワインか焼酎を再開したが・・・)。この2、3年は痛風になったことがない。

バッドニュースは悪玉コレステロールLDLが192まで上昇し、掛かり付け医に治療を勧められた。
米国赴任中の4年間(1996-1999年)は230-268になったことがある。元々高コレステロールの家系で、薬にアレルギー反応した経験がありどうするか悩んでいる。

(3)運動能力
腰痛で半年以上バドミントンが出来なくなった。もう今までと同じレベルでは出来ないだろう。だが山歩きのような瞬間的な動きが要求されない運動はまだ力が残っている。3週間前に高尾陣馬縦走往復を昨年と同じタイムで何とか歩いた。全身の筋肉量に比例する握力も43kgあった。

(4)思考能力
記憶力は誰にでも分かる言い訳出来ないレベルまで劣化したと思う。物忘れが酷くなり固有名詞が中々出てこず、家族からあきれられている。ただ、どうも数字には強いようだ。例えば数独(日経土曜版の上級レベル)を指定時間内で回答できる。

以上4分野をトータルすると老化は徐々に進んでいる。つまり、要介護に向かって少しずつ進んでいるが、鈍行列車に乗っている程度で何とか踏みとどまっている、素人判断だが、まだ何年か時間が残っていると思う。ケガや病気しないように気を付けないと一気に速度が上がりそうだ。■
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歩いた隣町は他県だった

2020-12-30 11:59:55 | 日記・エッセイ・コラム
先週初めに身近な山歩きをしたく関戸橋を渡り多摩丘陵に向かったが、丘陵の上に大きなビルがあるのを見て歩く意欲を失い引き返した。だが、周辺の風景が激変しまるで別の街に来た印象を受けたのが気になり、一体どうなっているのか興味が湧き昨日もう一度歩いてみた。

今度は最短距離で府中街道を歩いて是政橋を渡り、川崎街道を横切り城山通りを直進すると大きなビルの正体が分かった。通りの左手に林立するビルは向陽台団地だった。左手は大きな城山公園で図書館やテニスコート、都心が見える展望台などがあり、その先に商店街が続いていた。

そこまで来てここは神奈川県の稲城市だと気付いた。日常生活では隣町と言えば調布とか国分寺、国立だった。だが稲城市も歩いて行ける隣の町、ただ東京ではなく神奈川県なのだ。城山公園付近はかつては何もない丘陵だった記憶がある。

都心で働く人の為の住みかとして多摩ニュータウンが延長され、更にその周辺に商店街が作られたらしい。そのせいか周辺の環境が新しくよく洒落た雰囲気だった。昔からある稲城市の中心地とは少し違った雰囲気だ。だが、私の周辺では誰からも稲城の名前が出て来たことがない。

それは多くの人の視線が東京に集中しているからだろう。働く場所としても、買い物する場所としても。結果として東京都内かどうかで地価が相当違うという。米国でもその種の話がある。ニュージャージーナンバーの車でニューヨーク市内を走ると田舎者扱いされると聞いたことがある。

だが、城山公園内で遊ぶ人たちは大人も子供も楽しそうだった。何より丘陵の地形を生かした公園を含む町造りが洒落てて羨ましかった。その横にある洒落たコーヒーショップもいい。家に帰り夕食時に家族に報告し、行ってみようと提案したが全くの無反応だった。

山歩きの元々の目的だったウォーキングとしては、歩数は13、500歩で距離は9km程度だった。少なくとも1日1万歩の目標は達成したが、なぜか達成感はない。■
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私の新しい魅力

2020-12-28 18:56:22 | うんちく・小ネタ
先週土曜日に掛かり付け医に行き健康診断の結果を聞き降圧剤を処方して貰いった。窓口で支払い時に突然仲良し看護婦さんに告白された。「大好きなんです」と言い書類を取り出し、私の署名を指さしながら「手書きの字」が大好きだと言った。何だ「字」かい。

彼女は続けて「何でこんなに読み易い優しい字を書けるのかな?」と聞いた。「僕の仕事はコンピューターの技術者で、昔は手書き図面作り誰でも間違えないように書く必要があった。それで自然と分かり易い字を書けるようになった。」と説明すると彼女は納得したような顔で頷いた。

付け加えて、今は大抵の場合キーボード入力する、私の子供達も手書き文書など作らない。彼らが書く手書き文字は下手糞で金釘流だ。米国で仕事した時に向こうの人達は子供の時からタイプライターで育っているので、彼らの手書き文字も金釘流で酷かったと補足した。

もしかしたら、私の手書きの字は特に女性に優しいと邪推する。というのは証券会社の若い女性の担当者も契約書類作成時に、私の署名を見て字が上手いと褒めた。彼女はモデル体型の長身美女で、理由は何であれ褒められると悪い気はしない。逆に、字以外に褒めるところがなかったのかも。

もうすぐ後期高齢者になるジーサンの唯一の魅力は、魅力というか得意技は相手が誰でも仲良くなる「手練手管」の持ち主だ。女性だけじゃない、人種に関わらず老若男女誰でも。一昨日も中華料理屋に婿さんと料理を引き取りに行った時、女店員が支払額の計算中に散々話しかけ計算違いさせた。

パーティが盛り上がった頃に店から娘宅に電話があり差額を請求された。私がちゃちを入れて計算を間違えさせるのが得意だなどと言って笑わせたせいだ。「やったー、大成功!」こんなに安いはずがないと思ってたが何も言わずに店を出た。人生は楽しい。■
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家族パーティ強行

2020-12-27 20:41:22 | 日記・エッセイ・コラム
「クリスマスパーティ」兼「忘年会」兼「三人(娘・婿さん・嫁さん)の誕生祝い」を、家族全員が世田谷の娘夫婦宅に集まってコロナ下で昨日強行した。家族集合の機会が中々作れなかったので、長男が提案してくれた時は全員賛成だった。

土曜の午前中の新宿行き急行電車は普段と変わらない混み具合だった。家内が走り回り準備したプレゼントを抱え優先席に座った。我々も含め殆どの乗客は下を向いてスマホを操作していた。スマホに熱中し、改装され見覚えのない駅の風景で危うく下車駅を乗り過ごすところだった。

千歳烏山駅近くの中華料理屋でテークアウト料理を仕入れる婿さんの車に乗せて貰って娘夫婦宅に到着した。いつも遅れてくる長男家族は珍しく先に着いていた。三人の孫達も走り回って遊んでいた。コロナ対策でパーティは2時間程度で終わらせる約束だったので早速食事を始めた。

長男が持ち込んだビールは私達が住む府中市に故郷納税し、返礼品のサントリー製クラフトビアだった。お礼を言うしかない。婿さんはかつて人気番組「料理の達人」にテレビ出演した女性シェフの中華料理店に予約を入れて持ち帰ったものだった。特に餃子が美味しかったと思う。

長男は横浜に行き人気の中華蒸しパン(マーライコ)を買ってきた、と聞くだけで高価そうで美味しかった。時間をかけて美味しいものを手に入れる。個人的には私は普通の味でいいから安い方がいい。彼は自分で料理したチャーシューをお土産に持たせてくれた。私にはとても出来ない。

私は田舎で一人暮らし時に見たテレビ番組のナギサさんにはまったというと、家内を除く娘や嫁さんに受けた。多部未華子はいいねというと家内に馬鹿にされたが娘達は頷いた。逃げ恥も再放送を見て良かったというと、嫁さんはお正月に再放送あるよと教えてくれた。若い女性とは気が合った。

子供たちの食事の好き嫌いは三人三様だと聞いて、当たり前だけど何故か安心した。驚いたのは全員甘いものが好きじゃないという。一番上の子はエビチャーハンの臭いがヤダといい、弟はエビチャーハンを喜んで食べていた。下の孫は好き嫌いはないが母親が食べさせる甘えん坊だ。どうも最初の子供は親が手をかける傾向がある。

孫たちはプレゼントされた玩具を床に散乱させ遊びまわっていたが、婿さんがドラえもん録画をテレビに映すと急に静かになった。孫たちはじっとソファーに座り込んでテレビを見始めた。子供達、と言っても彼らは40歳過ぎ、と最近の在宅勤務や雇用状況など聞きたかったがあっという間に2時間が経過した。記念写真を撮って、3時過ぎには自宅に戻り洗濯物を取り入れた。■
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東京郊外の風景2020(2)

2020-12-25 21:09:55 | 日記・エッセイ・コラム
四国の実家から東京に戻り早くも1カ月経ち、独居老人から家族との生活に慣れた。だが、毎日多摩川沿いと自宅周辺との散歩も飽きてきた。田舎ではまった山裾歩きが懐かしくなった。自宅から近い山らしき所は多摩丘陵だが、それでも多摩川を渡って行かねばならずちょっと遠い。

1週間前に思い切って行ける所まで行ってみようという気持ちになった。朝食後落ち着いたところで「富士見の崖」から富士山が見えるのを確認し、府中本町駅から競馬場に続く陸橋を経由して府中街道を通り関戸橋に出た。関戸橋から見える富士山も変わらず霞んで灰色だった。

50年以上関戸橋を歩いて渡った記憶がない。右手に富士山を見ながら長い橋を渡り始めると、前方に見慣れない風景があった。かつては橋を渡ると府中街道は左にカーブし、JR南武線と交差する踏切があったはずだ。ところが道は直進しその先の多摩丘陵の上に高層ビルがそびえていた。

道路標識によると前方に見えるビル群は「向陽台」と言うらしい。手前にアーチ型の陸橋があり南武線がその橋を走っていることに気づいた。さらにその先に府中街道が川崎街道に合流する交差点が見えた。左手に陸橋と接続する新しい南多摩駅が見えた。

実はこういう風景全体を理解する間にかなりの時間がかかった。橋を渡り高架橋をくぐり川崎街道と交差するまでに徐々に何が起こったか理解していった。通りすがりの女性によると昨年工事が終わったと聞き初めて全体像が見えて来た。新しい町ができた感じを受けた。

遠方に見える向陽台のビルを見て山歩きする意欲を失い引き返した。関戸橋を渡り帰る途中から見た府中市の風景も一変していた。多摩川沿いにビルが林立し真正面に競馬場が見える風景は、見覚えがない知らない街の様に見えた。橋を渡り川沿いに上流に向かって歩き、遊歩道を辿って帰宅した。

その数日後から急に寒い日が続いた。最寄りのスーパーに買い物に行くのにもダウンジャケットとコートで重装備して出かけた。すると前方にプリーツスカート姿のJKが寒そうに歩いていた。「寒いね、コート着ちゃダメなの」と聞くと頷いた。「酷いね。そりゃー、ハラスメントだよ、言っちゃいな」と返すと下を向いて笑っていた。憧れのJKと短い会話で気が合ったと嬉しくなった。

家内が職場で頂いたという梅肉のオハジキ大の煎餅を口が寂しくて食べた。しょっぱいけど癖になって幾つか食べると翌日から便が柔らかくなった。気にせず続けて食べると3日目の朝洗濯物干しの途中に催してトイレに急いだが間に合わなかった。全く止まらず、思い切りやってしまった。

それではと1日おいてもう一つ頂き物の青汁を牛乳に溶かして温めて飲んだ。トイレが間に合わないという自体にはならないが、それからほぼ1週間便は柔らかいままだ。青汁効果なんて聞いたことがない。腸に少しでも消化物が溜まると直ぐに催す、便秘対策には良いかもしれない。

昨日までの府中市のコロナ感染者累計は495人、毎日7-8人のペースで感染者州が増えている。もう驚かなくなった。ネットで調べると実家のある大洲市は今日までの累計4人だそうだ。1か月前に帰京する前は0人だった。全国的な感染の広がりは実家も例外ではないようだ。■
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