英国国民投票結果の衝撃
大そうなタイトルにしたが、英国のEU 離脱を決めた民主主義的意思決定の在り方について識者の論評を私なりに解釈した「良いとこ取り」の私の解釈を紹介する。先月25日に「世界を揺るがせた1日(比喩編)」と題して私の直感的な感想を投稿した。これも民主主義、馬鹿の怒りが理性に勝った等と酷評した。
理想を忘れた現実
その後成るほどと感じ入った論評は「英国のEU加盟は金の為で、再び戦火を交えない欧州統合の理念ではなかった」(日本経済新聞中外時評7/17)という卓見だった。そうであれば、経済的メリットが感じられなくなったら容易に離脱するという意見が国民に広がっていったと理解できる。
同記事で玉利氏(論説委員)は「理想主義の衰退」と指摘した。同じ文脈の延長戦上で後から加盟した東欧諸国は旧ソ連からの安全保障と経済的理由があったはずで、そのどちらかが無くなると再び離脱危機の恐れがあると私は予測した。玉利氏は「色褪せる欧州統合の理想」と指摘した。
民主主義の機能不全?
一方で、私が最も危機的な問題と感じたのは民主主義の意思決定プロセスが機能しなくなったという思いだ。冒頭紹介した記事を繰り返すと「バカの怒りが理性に勝った、これも民主主義」と投稿した。究極の民主主義と思われる国民投票で愚かな決定がなされた。何故そんな事が起こったのか、この問いかけが時々浮かんで来る。
これは多数決を否定することになる問いかけでだが、我々の日常で良く出て来る問題だ。選挙民の中でバカが沢山いたり、バカの投票率が高ければ間違った結果が出て来る。それも民意だと安易に言えない場合がある。良い例がマンション1階の住民にエレベータ修理の費用負担させるか否か聞けば、2-5階の住民の多数の支持を受けて決まってしまう、と言った争点形成上の問題(情報工場)もあるからだ。
多数決の幻想
どうも民主主義の理想は多数決で決まるなんてそれ程簡単ではなかったと今頃になって現実に気付かされた。もう人生残された時間が少なくなったというのに。果たして誰がバカか定義出来るだろうか、多分それは国民の常識が決めることか。何が常識か。それもマスコミの影響を受ける。日本が戦争に突き進んだ時、民主主義国ではなかったし国民投票もなかったが、マスコミに煽られ多くの国民が支持したことを忘れてはならない。
理想を忘れさせた現実の厳しさ
私が注目したのは「2005年以降に収入の停滞を経験した一般市民は、産業界や行政・政治を担うエリートたちの能力と誠実さを信じなくなった」と指摘した記事(MウルフFT 日本経済新聞7/24)だ。最近テロや極右台頭の原因とされる格差だが、同記事は「格差の拡大よりも自分の収入の停滞を気にする」という最近の研究結果を指摘している。こういう状態が続くと民主主義は機能しなくなる恐れがあるという。
処方箋は?
つまり、民主主義は人々が正しい判断する、或いは幸せになる最高のシステムではない。民主主義といえども時と場合によっては間違えることがあるし、戦争をすることもあるという哀しい結論なのだろうか。FTは対策として(1)繁栄の為の相互依存の理解、(2)資本主義改革し金融依存をやめる、(3)国際協調による課税制度改革、(4)経済成長と機会平等、(5)扇動政治家と戦うことを勧めている。
実体経済に比べ異常に肥大した金融経済を何とかしなければならないことには同意するが、全体としてあまり説得力があるように私は感じない。70歳を前にしてこんな甘っちょろい理想主義を語る積りはなかったが、トランプ大統領の実現だけは何としても阻止すべき世界の問題だと思う。■