内閣不信任案提出前夜?
内閣不信任案提出を巡って自公両党は明日明後日に提出する方向で調整に入り、与党の小沢系議員等が造反者を増やす動きを強め、与党執行部は造反阻止へ党内の引締めで対抗すると報じられている。政治が機能不全に陥る最悪の事態が起こる可能性が出てきた。
不信任案提出に大義名分が感じられない。「いまの時期に総選挙はあり得ない。東日本大震災による被災地のことを考えると政局をやっている場合ではない。」(長谷川経済同友会代表幹事)というのが良識ある国民の声を代表している。彼らが聞いているのは永田町の声か、マスコミの声か、何を聞いて判断しているのだろうか。
共通点は菅降ろしの一点
不信任案提出の理由は震災と原発対応を任せられないという点で与野党共通するが、政策では野党と小沢系では180度異なる。具体的な政策や対応について相違点を明らかにせず、ただ「菅降ろし」という一点でしか共通点がないのは国民の為に政策を実現するという国会議員の責任を放棄するものではないか。
更に、菅首相を代替する候補者とその政策を明らかにせず、ただ辞任せよと迫るのはありえない。それでは今より何が変わりどう良くなるのか全く分からない、国民は選びようがないではないか。今菅降ろしをドライブしている二人、谷垣総裁か小沢一郎?今までの発言から判断すれば私には良くなる気がしない。
マスコミは深刻な記憶喪失症?
このような政局を伝えるテレビ新聞にはあるべき判断基準が伺えず、事態を悪化させている。私には、国民や軍を煽って日本を第二次世界大戦に導く重要な役割を果たした当時の新聞が、無批判に政局を伝える現在のマスコミの姿とダブって映る。
菅首相批判の中に首相の資質に欠けるというものがある。報道によれば、全てが揚げ足取りではなく、非難が当たっているように感じるものもある。だが、小泉首相以降3代続いた短命首相と鳩山前首相と比べて菅首相がそれほど能無しかといえば、それ程の差があるようには感じない。
政治家・マスコミ・国民が作る政治システム
国家の危機にあって問われるのは、政治家とメディア・国民を含めたトータルな政治システムの力であり、適切な政策を決めて一致して実行するトータルな力であると指摘してきた。日本の政治システムはこの5代に亘る首相の間まともに機能しなかった。
必ずしも政治家だけの責任ではない、政治を報じるメディアとこれに反応して政治家を選び、その政策を受け入れ実行する国民が作り出した結果だ。税金が安くて道路や橋が出来れば良い、という民意は根強く選挙に強い。
日本に救世主となるような優れたリーダーが出てくるだろうか。「政治は民度の表れ」というが、首相の資質は結局のところ国民の資質の表れだろうか。そういう気もする。我国に優れたリーダーは高望みだろうか。それとも皆で協力し合うスタイルが向いているのか。
リーダーを選ぶ制度を変えよ
何十年か時計を戻しても優れたリーダーといえば中曽根・小泉の名前が浮かぶが、今なら誰だろう。誰も思いつかない。だが、首相を選ぶプロセスを改善して、候補者の過去の政治判断やリーダーとしての資質などが見えてくる制度、首相公選制とか大統領制にすれば状況は改善されると思う。だが、今すぐには変えられない。
全てを政治家のせいに出来ない事はギリシャを見れば良く分かる。国家破綻の危機に瀕し新政府が対策を打ち出しても国民は生活を変えることを拒否、危機から抜け出すどころか欧州全体を慢性的な信用不安に追い込み、裏では二流国と軽蔑されている。だが、ギリシャ国民が選んだ道(*)だ。今回の政局も最終的に問われているのは日本国民だと思う。■
(*)最終的には債務再編に追い込まれ、EUから脱落する可能性が高い。