生活評論家の辰巳渚さんが構造改革の進展に伴う「日本的雇用」の変化によって、今冠婚葬祭のあり方が急速に変化しつつあるという興味ある記事を書かれた。 娘が昨年結婚した時今までの私の常識とは全く異なる体験をした。 辰巳さんはこの体験が特別なものではなく日本社会の根っこのところでの変化に起因していると興味深い洞察をしている。
私が会社生活をした35年間に結婚し、部下の仲人を何度も経験したが、基本的にどの結婚式も仲人の人選から祝辞、席順まで会社を基準においたものが多くそれを不思議とも思わなかった。 ところが昨年結婚した娘夫婦は仲人を立てず、両家の家族だけが参加し海外で結婚式を行い、日本で親戚や友達が参加したパーティをした。 いまや日本の結婚は急速にこの新しいスタイルに変化しているそうで、最近リクルートの調査結果がそれを裏付けることになった。
リクルートの「結婚トレンド調査2004」によると、仲人を立てた人は昨年より2.8ポイント減の4.6%と、仲人の習慣がなくなる寸前であることがわかった(共同通信、9月13日)。 仲人を立てた人は、首都圏で1.0%、もっとも多い九州で10.8%であった。 リクルートの分析では、「以前は上司に仲人を頼むのが一般的だったが、終身雇用が崩れ、急速に減っている」としている。
なぜ転換しつつあるのか。辰巳氏は結婚にかぎらず、贈答、葬儀などさまざまな面で考えても、終身雇用と年功序列の「日本的雇用」が変わったことが、大きな原因だと捉えている。すなわち、「イエ」制度ならぬ「会社」制度が崩れたからなのだと以下に説得力のある議論を展開している。
そもそも、「しきたり」とは何なのか。冠婚葬祭などについてずっとやりつづけてきた方法、伝統的なならわし、というわけだが、私たちの日常の感覚で「しきたり」だと思ってやっていることは、たかだか数十年の歴史しかないものも多い。お中元・お歳暮、お返し、会社の上司に頼む仲人、結婚式場や葬儀場での儀式……。もちろん、贈答や結婚・葬儀などの行事そのものは延々とつづいてきたものだが、その具体的なやり方については、戦後に大きく変化して今日にいたっている。
冠婚葬祭は単なる身内の行事であるだけでなく、属する社会における人間関係をうまく維持・発展させていくための手段である面が大きい。その人間関係の基盤が「階級」や「イエ」から、「会社」へと戦後大きく変わった。地域の共同体から「会社」という共同体へ。その転換に対応するには、親から受け継いだ「今までの親のやり方」ではだめだった。それで、1970年代には現状に即した冠婚葬祭事典の類が必要とされ、ベストセラーとなった。 これらの本では、会社の人間関係においてどうしきたりを行うべきかが、詳しく書いてある。上司へのお中元・お歳暮の贈り方、結婚式や葬儀に呼ぶべき会社の人間、そういう行事に招かれたときに包むお金は上司ならいくら、同僚ならいくら、部下ならいくらが妥当なのか、栄転祝いなどの対応の仕方……。当時「会社」を基盤とする人間関係はまだ新しく、しかし無事定年まで務めて昇進していく為に、慎重に考えなければならない人間関係だった。 (私の経験では職場ごとに冠婚葬祭費に差がつかないように相場を決めて運用していたところが多い。 頼まれ仲人の人選、披露宴の席順を見れば何に重点をおいて決めたか明確に判った。)
戦後、人間関係の基盤だけでなく生活様式、あるいは家そのものも「和」から「洋」へ変わった。大家族が同居する大きな家から、核家族が住む小さな家へ。戦後になって結婚や葬儀は家で行うものから専用の会場を借りて行うものになった。礼服が和服から洋服へと変わり、「どんな格好をすればふさわしいか」について誰もがわからなくなるなかで、服装はデパートや洋装店で教わったり、本で学ぶものになっていった。
そして、今日、戦後につづく第二の転換期が来ているといえよう。30年間、「会社」制度にもとづく「しきたり」が行われてきたけれど、この10年間でその基盤が崩れ、より「個人」本位になってきたためだ。
リクルートの調査によると仲人を立てたケースは、全国で2001年にはまだ18.2%と5組に1組あったのに、この3年で4.6%と20組に1組となっている。首都圏ではもっと古い数字があるので、さらにこの変化がいかに急激に起こったかが見て取れる。10年前の94年では63.9%と、3組に2組は仲人を立てていたのに、1998年には3組に1組に減り、2004年には1%、100組に1組と激減。
会場も、30年前には先端だった結婚式場はいまや時代遅れ。レストランや都会的なホテルで行うか、身内だけの食事会をしたり、二人だけで海外ウェディングをして、それとは別に友人を招くパーティを盛大にやるスタイルがしゃれている、と捉えられている。この変化も、この10年、いやせいぜい5、6年で急激に進んだ。
「結婚」は莫大なお金が動く市場だが、冠婚葬祭一般に私たちは日常とは違う金銭感覚で臨むもの。仲人ひとつとってもこれだけの変化が起きている事実は、冠婚葬祭全般に需要と供給のずれ、あるいは常識と現実のずれが起きていることを示している。結局のところ全てはメリットがあるか否かで決まってしまう、例外はないということであろう。
私が会社生活をした35年間に結婚し、部下の仲人を何度も経験したが、基本的にどの結婚式も仲人の人選から祝辞、席順まで会社を基準においたものが多くそれを不思議とも思わなかった。 ところが昨年結婚した娘夫婦は仲人を立てず、両家の家族だけが参加し海外で結婚式を行い、日本で親戚や友達が参加したパーティをした。 いまや日本の結婚は急速にこの新しいスタイルに変化しているそうで、最近リクルートの調査結果がそれを裏付けることになった。
リクルートの「結婚トレンド調査2004」によると、仲人を立てた人は昨年より2.8ポイント減の4.6%と、仲人の習慣がなくなる寸前であることがわかった(共同通信、9月13日)。 仲人を立てた人は、首都圏で1.0%、もっとも多い九州で10.8%であった。 リクルートの分析では、「以前は上司に仲人を頼むのが一般的だったが、終身雇用が崩れ、急速に減っている」としている。
なぜ転換しつつあるのか。辰巳氏は結婚にかぎらず、贈答、葬儀などさまざまな面で考えても、終身雇用と年功序列の「日本的雇用」が変わったことが、大きな原因だと捉えている。すなわち、「イエ」制度ならぬ「会社」制度が崩れたからなのだと以下に説得力のある議論を展開している。
そもそも、「しきたり」とは何なのか。冠婚葬祭などについてずっとやりつづけてきた方法、伝統的なならわし、というわけだが、私たちの日常の感覚で「しきたり」だと思ってやっていることは、たかだか数十年の歴史しかないものも多い。お中元・お歳暮、お返し、会社の上司に頼む仲人、結婚式場や葬儀場での儀式……。もちろん、贈答や結婚・葬儀などの行事そのものは延々とつづいてきたものだが、その具体的なやり方については、戦後に大きく変化して今日にいたっている。
冠婚葬祭は単なる身内の行事であるだけでなく、属する社会における人間関係をうまく維持・発展させていくための手段である面が大きい。その人間関係の基盤が「階級」や「イエ」から、「会社」へと戦後大きく変わった。地域の共同体から「会社」という共同体へ。その転換に対応するには、親から受け継いだ「今までの親のやり方」ではだめだった。それで、1970年代には現状に即した冠婚葬祭事典の類が必要とされ、ベストセラーとなった。 これらの本では、会社の人間関係においてどうしきたりを行うべきかが、詳しく書いてある。上司へのお中元・お歳暮の贈り方、結婚式や葬儀に呼ぶべき会社の人間、そういう行事に招かれたときに包むお金は上司ならいくら、同僚ならいくら、部下ならいくらが妥当なのか、栄転祝いなどの対応の仕方……。当時「会社」を基盤とする人間関係はまだ新しく、しかし無事定年まで務めて昇進していく為に、慎重に考えなければならない人間関係だった。 (私の経験では職場ごとに冠婚葬祭費に差がつかないように相場を決めて運用していたところが多い。 頼まれ仲人の人選、披露宴の席順を見れば何に重点をおいて決めたか明確に判った。)
戦後、人間関係の基盤だけでなく生活様式、あるいは家そのものも「和」から「洋」へ変わった。大家族が同居する大きな家から、核家族が住む小さな家へ。戦後になって結婚や葬儀は家で行うものから専用の会場を借りて行うものになった。礼服が和服から洋服へと変わり、「どんな格好をすればふさわしいか」について誰もがわからなくなるなかで、服装はデパートや洋装店で教わったり、本で学ぶものになっていった。
そして、今日、戦後につづく第二の転換期が来ているといえよう。30年間、「会社」制度にもとづく「しきたり」が行われてきたけれど、この10年間でその基盤が崩れ、より「個人」本位になってきたためだ。
リクルートの調査によると仲人を立てたケースは、全国で2001年にはまだ18.2%と5組に1組あったのに、この3年で4.6%と20組に1組となっている。首都圏ではもっと古い数字があるので、さらにこの変化がいかに急激に起こったかが見て取れる。10年前の94年では63.9%と、3組に2組は仲人を立てていたのに、1998年には3組に1組に減り、2004年には1%、100組に1組と激減。
会場も、30年前には先端だった結婚式場はいまや時代遅れ。レストランや都会的なホテルで行うか、身内だけの食事会をしたり、二人だけで海外ウェディングをして、それとは別に友人を招くパーティを盛大にやるスタイルがしゃれている、と捉えられている。この変化も、この10年、いやせいぜい5、6年で急激に進んだ。
「結婚」は莫大なお金が動く市場だが、冠婚葬祭一般に私たちは日常とは違う金銭感覚で臨むもの。仲人ひとつとってもこれだけの変化が起きている事実は、冠婚葬祭全般に需要と供給のずれ、あるいは常識と現実のずれが起きていることを示している。結局のところ全てはメリットがあるか否かで決まってしまう、例外はないということであろう。