今 |
年はいつもより1週間早く田舎に戻ることにした。来月母が80歳になるので、先週末に家族全員が集合して傘寿のお祝いをすることにしたからだ。毎年母が弱っていくのを身近に感じていたので、一度家族全員揃って母に顔を見せる機会を作りたいと思っていた。上の子供二人は既に独立しておりこういう時でなければ中々家族全員が顔を合わす機会が無かった。
今回家内の提案に従って車で田舎まで行った。最近は年数回しか運転せず、車を壊したばかりだったので車の運転に自信が無かったが、疲れると交代して運転したので思ったより楽だった。朝5時頃出発し中央、名神、山陽道を通り1時半には儀姉の住む倉敷に着いた。
平日だからかどうか分からないが一度も渋滞に巻き込まれずネットで事前に調べた時刻と殆ど変らない正確さで到着した。ラジオの道路情報によると御殿場あたりで事故があり東名は閉鎖されていたということで、中央高速を選んだのは運が良かった。
倉敷を発ち、東京からほぼ半日で愛媛県伊予市の家内の実家にたどり着いた。飛行機で先に着いていた子供達と合流し、一休みして大洲市の実家に戻った。娘の夫君も忙しいのに都合を付けて来てくれたのは嬉しかった。
1月に見たときより頬がふっくらしていたが、母が急速に弱ったのに驚いた。動きがスローになり声が弱々しい。子供達から色々な贈り物を貰って嬉しそうだったが、その喜びの表情すら弱々しいのを見るのはちょっと辛かった。沢山お土産で圧倒されている様子だった。
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子供達は私の還暦のお祝いの贈り物も用意してくれていた。還暦のお祝いなど絶対して欲しくないと普段から言い張っていたが、私の好みを良く考えてくれた贈り物は凄く気に入った。最新技術(と思う)繊維のスポーツ・ギアと誕生日の日付の入ったお酒のセット、癒し系の人形とか。
翌日午後お墓参りに行った後、司馬遼太郎の小説で坂本龍馬が立ち寄ったといわれる元旅館の油屋で全員揃ってお祝いの食事をした。由緒ある名前だが街の中心が郊外に移り、付近の再開発の一環で内装を変えて居酒屋風に衣替えしていた。事前にオーダーした鮎づくしの創作会席料理を食べた。会席としては安価な値段なので贅沢はいえないといったところか。
翌日、家族は夫々帰京し私と母が残った。空港まで見送りに行った後、早速明日からの食料を仕入れに行き、いよいよ2ヶ月の田舎暮らしが始まった。一気に7人から2人になったので日曜の夜は急に寂しくなった。残ったお酒を飲んで寝るしかない。
母 |
の様子を1週間見たが思ったより身体が弱り、食事を作ることすら辛そうな様子だ。近所の知り合いに材料の宅配サービスを勧められたが、来週調理済みの給食サービスを頼むことにした。母は作るのは出来ないけど、外に頼むのも気が進まないといった感じだが背に腹は代えられない。
母は声が弱々しくなり反応が遅く、鈍くなった。前後で矛盾したことを言うし何をしたいのかはっきりしないことがある。しかし恐れていたような認知症の気配はなさそうでほっとした。今回は家内の勧めで車を持って帰ったので、外に出る機会を増やし刺激を与えたいと思っている。
5月に大阪にいる妹が様子を見に帰ってくれたとき食事を作ってくれたのが良かったようだが、私にはとても出来そうもない。これは私の為なのだが、私でもやれそうな料理教室が近場にないか色々な人に聞いてみた。今のところ見当たらない。田舎の小さな町では無理かもしれない。
今までヘルパーの方に毎週1回来て助けて頂いていたが、私が帰ってきた先週から規則で来られなくなったらしい。認定を受けていると週1回のヘルパーサービスは市の補助があるので時間200円の負担だという。介護レベルを更に高める事態が来るのもそう遠くは無いと覚悟している。
私自身はここ数年田舎暮らしを続けてきたのでやることがなくて困ると言うことはない。IT 環境はCD-Rのファイル転送とノートパソコンのバックアップで至極スムーズに移行できる。メールはどこでも受けられ、私が田舎にいることもメール連絡で済ませた。
バドミントンクラブにはもう2回顔を出し、次の大会に参加することもお願いした。昨日は市の総合体育館に行きジムでトレーニングした。半年振りに皮膚科の先生に水虫の状態を見てもらい、治療法を替え新しい薬を処方してもらった。
市の一斉清掃(ドブさらい)の通知も受けた。近所の知り合いにウリを作らないかと勧められ、そうしようと思っている。涼しくなった今(5時)から畑に鍬を入れに行く。田舎モードにスイッチが切り替った。もっとのんびりするはずだっただけど。■