かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感07夏(1)

2007-06-30 19:57:56 | 日記・エッセイ・コラム

年はいつもより1週間早く田舎に戻ることにした。来月母が80歳になるので、先週末に家族全員が集合して傘寿のお祝いをすることにしたからだ。毎年母が弱っていくのを身近に感じていたので、一度家族全員揃って母に顔を見せる機会を作りたいと思っていた。上の子供二人は既に独立しておりこういう時でなければ中々家族全員が顔を合わす機会が無かった。

今回家内の提案に従って車で田舎まで行った。最近は年数回しか運転せず、車を壊したばかりだったので車の運転に自信が無かったが、疲れると交代して運転したので思ったより楽だった。朝5時頃出発し中央、名神、山陽道を通り1時半には儀姉の住む倉敷に着いた。

平日だからかどうか分からないが一度も渋滞に巻き込まれずネットで事前に調べた時刻と殆ど変らない正確さで到着した。ラジオの道路情報によると御殿場あたりで事故があり東名は閉鎖されていたということで、中央高速を選んだのは運が良かった。

倉敷を発ち、東京からほぼ半日で愛媛県伊予市の家内の実家にたどり着いた。飛行機で先に着いていた子供達と合流し、一休みして大洲市の実家に戻った。娘の夫君も忙しいのに都合を付けて来てくれたのは嬉しかった。

1月に見たときより頬がふっくらしていたが、母が急速に弱ったのに驚いた。動きがスローになり声が弱々しい。子供達から色々な贈り物を貰って嬉しそうだったが、その喜びの表情すら弱々しいのを見るのはちょっと辛かった。沢山お土産で圧倒されている様子だった。

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子供達は私の還暦のお祝いの贈り物も用意してくれていた。還暦のお祝いなど絶対して欲しくないと普段から言い張っていたが、私の好みを良く考えてくれた贈り物は凄く気に入った。最新技術(と思う)繊維のスポーツ・ギアと誕生日の日付の入ったお酒のセット、癒し系の人形とか。

翌日午後お墓参りに行った後、司馬遼太郎の小説で坂本龍馬が立ち寄ったといわれる元旅館の油屋で全員揃ってお祝いの食事をした。由緒ある名前だが街の中心が郊外に移り、付近の再開発の一環で内装を変えて居酒屋風に衣替えしていた。事前にオーダーした鮎づくしの創作会席料理を食べた。会席としては安価な値段なので贅沢はいえないといったところか。

翌日、家族は夫々帰京し私と母が残った。空港まで見送りに行った後、早速明日からの食料を仕入れに行き、いよいよ2ヶ月の田舎暮らしが始まった。一気に7人から2人になったので日曜の夜は急に寂しくなった。残ったお酒を飲んで寝るしかない。

の様子を1週間見たが思ったより身体が弱り、食事を作ることすら辛そうな様子だ。近所の知り合いに材料の宅配サービスを勧められたが、来週調理済みの給食サービスを頼むことにした。母は作るのは出来ないけど、外に頼むのも気が進まないといった感じだが背に腹は代えられない。

母は声が弱々しくなり反応が遅く、鈍くなった。前後で矛盾したことを言うし何をしたいのかはっきりしないことがある。しかし恐れていたような認知症の気配はなさそうでほっとした。今回は家内の勧めで車を持って帰ったので、外に出る機会を増やし刺激を与えたいと思っている。

5月に大阪にいる妹が様子を見に帰ってくれたとき食事を作ってくれたのが良かったようだが、私にはとても出来そうもない。これは私の為なのだが、私でもやれそうな料理教室が近場にないか色々な人に聞いてみた。今のところ見当たらない。田舎の小さな町では無理かもしれない。

今までヘルパーの方に毎週1回来て助けて頂いていたが、私が帰ってきた先週から規則で来られなくなったらしい。認定を受けていると週1回のヘルパーサービスは市の補助があるので時間200円の負担だという。介護レベルを更に高める事態が来るのもそう遠くは無いと覚悟している。

私自身はここ数年田舎暮らしを続けてきたのでやることがなくて困ると言うことはない。IT 環境はCD-Rのファイル転送とノートパソコンのバックアップで至極スムーズに移行できる。メールはどこでも受けられ、私が田舎にいることもメール連絡で済ませた。

バドミントンクラブにはもう2回顔を出し、次の大会に参加することもお願いした。昨日は市の総合体育館に行きジムでトレーニングした。半年振りに皮膚科の先生に水虫の状態を見てもらい、治療法を替え新しい薬を処方してもらった。

市の一斉清掃(ドブさらい)の通知も受けた。近所の知り合いにウリを作らないかと勧められ、そうしようと思っている。涼しくなった今(5時)から畑に鍬を入れに行く。田舎モードにスイッチが切り替った。もっとのんびりするはずだっただけど。■

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宮沢喜一元首相死去

2007-06-29 10:58:31 | 国際・政治

首相死去のニュースが昨日午後流れた。国内外のメディアは保守本流・経済通・外交通・アジア関係重視・護憲派・戦後最高の知性・積極財政論者・格調高い英語の使い手等々宮沢氏の多彩な才能を評価している。私は少し辛口の言葉をおくりたい。

彼の政治キャリアは1951年サンフランシスコ講和条約に池田勇人蔵相の秘書官として出席して以来半世紀以上にわたるという。70年代の日米繊維摩擦時には通産相として日米交渉を取り仕切った。私には遠い昔のような気がする、そんな昔から既にリーダーとして貢献して来た。

しかし、私の宮沢氏の印象といえば「バブル」に尽きる。プラザ合意後、蔵相に就任し内需拡大策をとりバブルをもたらした。90年代に入りバブル崩壊後に首相就任、不良債権の問題を的確に認識し金融機関への公的資金投入に言及するも反対を押し切れず実現しなかった。

戦後最高の知性とまで高く評価されても、厳しく言えば結果として戦後最悪の国難に向かって舵取りをした船長であることに違いは無い。米国最高のブレインといわれたケネディ政権がベトナム戦争の泥沼に向かったように、最高の知性が最良の結果を生むわけではない。 

小泉前首相の何が何でも信じる方向に突き進むというより、宮沢氏の場合はそれがおかしいと思い、個人的に大嫌いでも利害調整して落し所を探す調整型の官僚的政治スタイルであった。それが我が国最高の知性を殺してしまった。個人的にも我が国にとっても不幸な出来事であった。

造改革が本格化し公共投資を大幅に削減する動きが具体化した頃、宮沢氏はインタビューに答えて「私は今も基本的にケインジアン」といって、従来の「大きい政府」政策支持を表明していたのが鮮明に思い出される。筋金入りの積極財政論者だが、私には懲りてないなという印象を受けた。

憲法改正やアジア外交問題など広範な政治領域で示される高い見識は、評論家としては申し分ないのだが、彼の冷めた喋り方は私のような凡人には他人事のように聞こえ、熱意を持って見識を具現化していく迫力を感じなかった。

宮沢氏は何もかにも見え過ぎて、肝心なことだけやればいいという小泉前首相のある種の乱暴さが欠けていたのではないかと思う。それではあちこち抜かりが出て非難を受けることになる。それを避けようとして出来なかった、宮沢氏の最初のキャリア大蔵官僚の性格の表れだったのだろうか。

今回の報道で初めて知ったのだが、宮沢氏は日韓W杯の招致委員長で日韓同時開催を韓国側と推進した功績があるという。当時日本と韓国は激烈な招致競争をしており正に必要な政治判断であった。それが的をえた判断であったことは大会の成功とその後両国民感情の融和が進んだことでも証明された。

報道によれば宮沢氏の最後の言葉は「少し休ませてもらう」で、眠るような最後であったという。こういう記事を見るとほっとする。謹んでご冥福を祈る。■

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私の社保庁体験記

2007-06-24 23:58:22 | 社会・経済

先週終に還暦を迎えた。厚生年金付加給付は1ヶ月前くらいに通知を受け取り、書面を郵送して手続きを済ませていた。しかし、報酬比例年金は数年前にいわゆる代行返上されて社会保険庁で手続きが必要だった。

報酬比例分は経過措置で今後段階的に廃止される方向らしいが、私の場合はまだ古い制度の下でフルに支給されることになっている。因みに今世間を騒がせている消えた年金問題は基礎年金で、私の場合は経過措置で64歳から支給される。

年金の杜撰な管理に対する国民の怒りの声や、社保庁への問い合わせが集中しているという連日の報道を見ていたので、正直なところ混乱が収まるまで社保庁には暫く行きたくなかった。しかし今週末は母の傘寿のお祝いで家族が田舎に集結し、私はその後8月一杯母と同居する予定だったのでどうしても木曜日までに手続きを済ませておく必要があった。

ネットで場所を調べて木曜日の夕方、最寄の社保庁事務所に行くと、予想に反して待合室は数人しかおらず閑散としていた。目を吊り上げて怒号が飛び交う絵を予想したのだが。受付嬢によるとそれでも前日までは順番待ちが20人以上で混雑していたらしい。

順番待ちの番号札を取ると印鑑を忘れてきたことに気づいた。受付に聞くと窓口が4つあり一人20分かかる、近所なら待ち時間を考えて番号札をそのまま持ったまま印鑑を取りに戻っても間に合う。もし、間に合わなかったらその後に呼ばれるようアレンジすると言ってくれた。

引き返して印鑑を持ってその旨受付嬢に伝えた後、10分程度待つと私の番号が呼ばれた。窓口ごとに屏風のような可動型の仕切りがあり、担当の職員と11の会話が出来るようになっていた。必要な書類は電話で確認して用意したつもりだったが、3月頃に郵送された通知があったのを忘れていた。

しかし、用意してきた書類入れの中に運良く入れていたのでその場で記入して手続きを進めることが出来た。必要な書類は戸籍抄本、住民票、年金手帳、失業保険証書、配偶者の年金手帳と課税証明書、年金振込みの金融機関預金通帳など。

手続きにはそれほど時間がかからなかった。海外生活、退職後に都財団でコンサルタントの仕事をしたので雇用主が何度か変わったが全て正しく記帳されていた。家内の年金の支払いも20歳から抜けなく支払われていたことが数分で確認された。

そうしているうちに支給される年金額がどのようになるかシミュレーション結果がでてきた。60-63歳の報酬比例分支給額、64歳の移行時の支給額、65歳以降の基礎年金を含めた支給額。いずれも退職時に会社が教えてくれた推測値より若干多い。ラッキー! 支給開始は通常より遅れて10月に3ヶ月分まとめて頂けるという。

その後米国で働いたとき支払った社会保険料も年金支払いの対象になるはずだがと米国社会保険局からの通知を見せると、62歳になるとパスポート、社会保険番号が分かる保険証をつけて申請するよう申請書を渡され全ての手続きは落着した。20分程度かかった。

総じて受付も窓口も受け答えは的確であったように私には思えた。しかし、相手をしてくれた窓口の担当は今まではそうではなかったとやたら謙った返事が返ってきた。

翌日昔の同僚と食事を一緒したとき、彼女の妹さんが社保庁でアルバイトした時には報道されているような働き振りの職員がいてあきれたというから彼の反省は本当なんだろう。大変だね、ご苦労様といっても中々笑顔が返ってこなかった。余程非難が身に沁みているのだろう。

いずれにしても私の年金は報道されているような滅茶苦茶な問題も無く終った。これで正式に年金生活者になった。■

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上昇が続く長期金利

2007-06-18 23:09:44 | 社会・経済

短金利差の縮小が2005年夏頃から顕著になり、昨年7月以降遂に逆ザヤになったという「異常事態」について何度か書き込みをした。当時長短金利の縮小・逆転の理由は二つの過剰、即ち世界的過剰流動性と輸出国の過剰貯蓄が定説であると紹介した。

ところが昨年12月を底に長短金利逆ザヤが縮小し始めた。5月になって、米国の長期金利が急上昇しFFレート(短期金利)に急速に接近してきた。これは何を意味しているのだろうか。逆ザヤの世界はどういう世界で、今後何処に向かっているのだろうか。

逆ザヤになった昨年7月に遡ること2年前からこの3年間の世界的超低金利が世界的好況をもたらし、住宅ブーム、好調な企業業績と買収による株高を実現したという見方がある(NYタイムス6/15)。世界で不況な国が一つも無いという未曾有の好況に沸き、業績好調・雇用改善・物価安定が続いていた。

原油価格が高騰し、米国の経常赤字が悪化、世界的に金融引き締めをしているにもかかわらず、経済学的に見て考えられない程の「好都合な非常識」が続いていいのだろうかと専門家は疑いの目で見ていた(武者陵司ドイツ証券副会長-楽天証券)。

「非常識」はかつて無い規模の過剰流動性を媒介して中国・インドの低賃金労働力を最適活用し得られた利益をポケットに入れる構図から生まれた。議論はあるだろうが、利益を自国に還元すべき明快な理由は道徳的なものを含めても私には見当たらない。(別途議論したいと思う。)

中国やインドの労働市場は徐々に逼迫してきており、賃金上昇が続いている。先進国の賃金に近づいていく内に、どこかで上記の「好都合な非常識」構図が崩れるはずだ。長期金利上昇はその変化の兆候かもしれない。それは全く違った分野から突然現れるかもしれない。

今回のボンド価格急上昇が何を意味するか明確な説明はないが、上記構図が変化する兆候という見方がかなりある。例えば上記NYタイムスは企業買収資金が細る一方、住宅ローン金利上昇は悪化している返済を更に滞らせ、物価を上昇させる恐れがあるとみている。

証券会社・経済誌などの見方は概して「世界的ディスインフレの終わりの始まり」(楽天証券)とか、「長短金利の本来の姿への回帰」(NB Online)とか意外にプラスの見方が多い。その視点から日銀の金利上昇を正常化すべきと期待する向きがある。

しかし何故か、私には余り自信のない予測の様に聞こえる。それは上記のように長期金利上昇による住宅ローン会社の苦境、特に一旦落着いたサブプライムローンの返済が再度滞り始めると、持ち直しが予測されるようになった米国経済に深刻な影響が出る恐れがあるからだ。

先週末に持ち直した米国証券市場とドル高に引っ張られて、今日の東京市場も円安・株高となり今のところ悪い材料とは見られていない。しかし、長期的には今年末にかけて金利上昇とインフレが進む環境が醸成されていく感が強まってきたように私には思える。■

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逆説・コムソン擁護

2007-06-15 12:05:33 | 社会・経済

日本中で袋叩きにあってるコムソンを敢えて擁護するのはいささか腰がひける。厳密に言うなら「コムソンの功罪」のうち無視されている「功」にもっと光を当てる必要があると思ったからだ。親会社を含め会社組織としての違法行為について擁護する積りは全く無い。

コムソンは2000以上の事業所を通じて約65千人に訪問介護や介護施設などのサービスを全国展開する最大の介護事業者であるという。そのサービスは他の業者が儲からないと手を出さない離島にまで及んでいるとNHKの「クローズアップ現代」は報じていた。

富山県高齢福祉課のケアマネジャーの一人は「24時間365日対応可能という大手ならでのサービスはありがたかった。」と伝えている。その中には認知症介護も含み、全国で非常勤を含むホームヘルパーら従業員は24000人が対応しているという。(6/6朝日新聞)

コムソンが急成長した裏にはヘルパーらスタッフが不足していても利用希望者からの依頼には断るなという厳しい顧客獲得のノルマを現場責任者に課し、「利益優先の体質」が不正を生んだとしている。(6/15日本経済新聞) だが、それは極悪非道なことだろうか。

厳しいノルマが他の業者が手を出さなかった僻地や24時間サービスを可能にし、感謝されていた側面がある。その辺のところを久坂部氏は「介護に縁の深い福祉や医療関係者は敏速に動かない、(省略)他業種からの参入なしには、今や日本の介護は成り立たない状況、(省略)介護の現場は善意や奉仕の精神だけで成り立つほど甘くはない。」と指摘している。(615産経新聞)

折口グッドウィル会長の責任追求ばかりに焦点を当てるだけでなく、コムソンが実現した介護サービスの「功」に光を当て、今そのサービスを必要としている人達にサービスが継続・改善される視点での報道が影響力の大きいテレビメディアに求められる。■

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