かぶれの世界(新)

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野糞あれこれ

2018-08-30 16:12:58 | スポーツ
野糞(のぐそ)とは野外のトイレがない所で排便をすることだ。これから私の野糞体験を紹介したい。これから食事する方は少なくとも今すぐは読まないことをお勧めする。

一昨日いつもと違うコースをジョギングした。母校の中学校の北東方面の山間部に入って行くと喜多山という小さな集落があり、そこから同級生が何人か通っていた。子供心にどんなところか興味があったが一度も行くことなく都会に出て働くことになった。

暑くて暇な田舎生活に飽きた今チャンスが訪れた。思ったより山奥で目的地に達する前に薄暗くなり引き上げることにした。途中矢落川の下流に向かって歩くと、大洲盆地の西端の山々に広がる夕やけは美しかった。と、予告なく突然催した。恥ずかしいとかトイレを探す暇などなかった。

徐々に催すというより直ぐに飛び出して来そうになり、慌てて堤防沿いの藪を見つけてパンツを下ろした途端に出た。それは下痢便ではなく至極普通でパンツに汚れが認められず肛門の周りも全く汚れてなかった。幸い誰の目にも止まらなかった。

白状すると、その4日前にも夕方逆方向に向かい肱川沿いをジョギング中に野糞をする羽目になった。その時は人影を見つけ何とか河川敷の藪を見つけて済ませたがパンツを汚した。便も少し柔らかめだった。二度とも午前中の排便の習慣が乱れたのが第一の原因だと思う。第二の原因は通じの良いオールブランを多めに食して便の滑りが良くなっていたと素人判断した。

実は私の長い人生の間に何度も野糞をしたことがある。20-30代の頃よく登山に出掛けた。今は分からないが、当時南アルプスはルートによって山小屋やトイレの数が限られやむを得ず野糞をした。奥多摩でも同じような経験をした。大抵の場合、早朝出発するので排便のタイミングを失った為だ。

それでも日本での経験はまだましだった。米国駐在時の週末にワシントン州のレニア山等の国立公園やカリフォルニア州タホ湖周辺をテントを背負って山歩きをした。記憶では山小屋があったのはレニア山だけ、トイレも奇跡的に1か所あった。凄く臭かった。こりゃ、もう野糞しか選択の余地がない。

ということで、私は長い人生の中であちこちに野糞をして来た。言い訳にはならないのは分かっている。もう一つ30年前だったか多摩川をジョギング中に急に催し河川敷の木陰でやったことがある。
この時は誰にも見られない様念入りに時間をかけて適当な場所を捜した。

だが、最近は頻尿になってこらえ性がなくなり、恥知らずになってしまった。「小」の場合など多摩川の堤防でも何度かやった。田舎ではほぼ走る度にやる。2-3年前に多摩川でそれを見かけた女性が驚き私に聞こえるように、「信じられない!」と言って通り過ぎた。その通りです。ゴメン。ただ、今回の二度の出来事は絶対にマズイ。何とかしなきゃ、ジョギングできなくなる。■
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支援物資が我が家にも

2018-08-29 22:48:08 | ニュース
朝食後に居間でテレビを見ていると燐家のオバサンに大きな声で呼び出された。ビニール袋のパンを頂いた。今日だけではない、実は最近になって惣菜とかパン・野菜等を何度か頂いた。お礼を言った後で訳を聞くと被災者支援物資を貰ったが、食べきれないのでおすそ分けしてくれたようだ。

彼女の息子の家族は近くの商店街、娘の嫁ぎ先も近くで、90半ばの独居老人を二人が入れ替わり毎日様子見に来る。本人は未だに短時間だけど野良仕事をし、散歩で出会うこともある。息子家族の住まいは床上浸水し、いまだに避難所住いのはずだが、不便でも生活に困っている様子はない。

最近は支援物資が潤沢になりオバサンにも息子経由で回って来て、彼女は消化しきれず私におすそ分けされたということのようだ。食料品については私だけ特別ではなく、多分、この地の被災者に十分な支援物資が出回るようになったサインだと思う。

これから大きな問題は被害を受けた地場産業の復旧だろう。中小企業やパパママが経営する個人企業が存続出来なければ、この地は衰退してしまうと心配する人は多い。いまだにシャッターが下りたままのレストランは結構見かける。■
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経済新聞を読んだ農家の寡婦

2018-08-28 11:20:09 | 本と雑誌
先週土曜日に新聞料金を集金に来た若者と話をした。炎天下に市内を回るのは大変だねとねぎらってから得意(!)の世間話をした。西日本豪雨の時もちゃんと新聞配達したという。市内の所帯を配達し集金する彼は、ある意味この地の状況を一番よく知っているのではないかと思う。

彼が扱っているのは朝日新聞だ。数年前に老齢で取扱を止めた会社の依頼を受け、日本経済新聞も配達するようになり我家ともつながりが出来た。15年前に会社を辞め母の様子をみにちょくちょく田舎に帰るようになった時、その日から東京に戻るまで経済紙が配達されてきた。母が気を利かし頼んでくれた。

その頃もう母は新聞を購読してなかったが、多分60代頃まで同じ日本経済新聞を読んでいた。当時、日経を読む農家の女性は他にいないと珍しらしがられたと彼女に聞いた記憶がある。もっと遡ると50-60年前私が子供の頃、母は野良で仕事しながら短波放送で株式市況を聞いていた。

それを思い出して集金の彼に聞くと、扱っている地域で朝日新聞の購読者が1000所帯余り、日本経済新聞が250-300所帯だという。その中で日本経済新聞を購読している女性(多分、寡婦)は1人だという。女性の社会進出が進んだ今も昔も変わらないということだろうか。

東京の自宅では私が日本経済新聞、家内が朝日新聞を読んでいる。年の半分は田舎にいる現在、家内は最近日経も読むので購読を継続してくれと言われ、数年前から田舎にいる間は変形の3紙購読をするようになった。農家の寡婦と同じよう家内も都会の寡婦みたいなものかもしれない。因みに長男の家では新聞はとってない、ディジタル時代のリテラシー断絶だ。■
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高校野球と過労死問題の二枚舌

2018-08-26 16:30:02 | ニュース
100回目を迎えた全国高校野球選手権大会は全国の野球ファンを興奮に巻き込み成功裡に幕を閉じた。最も注目をひいたのは二度の春夏連続優勝を達成した大阪桐蔭より、秋田県の金足農の吉田投手の快投だった。決勝まで5試合54イニング、地方予選を含め1517球を投げ抜いたという。

本大会の2試合を勝ち抜いた頃から吉田投手は負けるまで全試合を投げ抜くだろう、彼が優秀であればある程勝ち進み、続く限り酷使され、体を傷める恐れがあると私は懸念した。彼にはそうなる力があると。同時に昨年頃から社会的問題になり大々的に報じられた「働き過ぎ問題」を連想した。

甲子園で戦う高校野球選手はいわば選ばれた人であり、それを望み覚悟してプレーする特別の人だという主張もある。一方で、彼等はまだ15-18歳の判断力も十分とは言えないいたいけな少年達だ。更に、本大会の裾野には県予選などで同じように酷使して体を壊した少年たちがゴマンといる。

大会後、吉田投手の投げ過ぎを懸念する声がインターネットで流れていた。素人から専門家まで多数の心配する声を見かけた。又、米国では年令別に科学的に厳密な投球数の制限が適用されており、吉田投手の様な投球数過多を強いるのは犯罪になるとまで指摘する声があった。

日本の高校野球も一昔と比べれば高校生の身体を考慮した制度変更が取り入れてきたが、子供達の健康を考えれば依然として異常なほどに体を酷使させている。体が出来上がっている大人のプロ野球でも絶対にあり得ない連投を平気でさせている。プロ球団にとって選手の健康は「お金」で計算される財産だが、高校野球の選手の健康は使い捨ての様だ。

私が気になるのはこの実態を高校野球大会の主催者の一つである朝日新聞社がだんまりを決め込んでいることだ。過労死した電通社員の問題をあれ程熱心に報じた同社が、高校野球選手の酷使については責任放棄している様に感じる。NHKを含む他のメディアも又しかり。

電通社員社員は自分で考えることが出来る「大人」の働き過ぎ、片や吉田投手は自ら申し出たとしてもまだ未熟な未成年、大人が守ってやるべきなのはどっちだろうか。私にはメディアの二律背反(二枚舌)、特に朝日新聞社は自ら主宰する大会の利益を優先した判断のように感じる。

テーマによって判断基準が揺れ動くのはメディアにあってはならないことだ。だがよく見かける。万が一、吉田投手に身体的な不具合が生じ彼の将来に影響する事態になったら監督のせいで済ませる積りか?今からでも遅くない。早急に高野連に問題提起すべきだ。■
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西日本豪雨後に聞いた市井の声(3) 特に高齢者

2018-08-26 14:40:46 | ニュース
先月の豪雨の後も変わらず夕方の散歩を続け、その機会に出会う人達とのコミュニケーションが密になった。今迄は挨拶するだけだった人達と長々と立ち話をするようになった。この「散歩ママさん同盟」は色気はないがスーパー等の復旧状況の情報交換をするという凄い実利があった。

彼女達程元気じゃない80から90代のお婆ちゃん達とも、夕方散歩の時間になると表通りにあるオワン(お庵が訛った郷土の偉人の墓地)の入口に続く石段に自然発生的に集まり雑談に花が咲く。彼女達は戦前生まれで、全員後家さんだ。男はそれ程長生きできない。私は遠慮なく会話に入って行く。

この二つのグループには明確な違いがある。表向きは現役の主婦と引退した寡婦だ。彼等は今回の豪雨の比較基準が異なる。ママさん同盟は今回の豪雨を23年前(平成7年)の氾濫と比較し、お婆ちゃん達は必ず昭和18年の大雨を引き合いに出す。私も子供の頃から昭和18年を聞かされてきた。

私が子供の頃は台風シーズンになると毎年1度か2度は川が氾濫し学校が休みになった。いわば氾濫は当たり前の年中行事で驚きはなかったし、氾濫しても浸水しない様に山裾の1-2m高い所に集落の家が建てられていた。今回の氾濫でも浸水した家は比較的新しく建てられたもので、先人の知恵が生かされてない低地にあった。お婆ちゃん達は口々にそう指摘し、私もその通りと相槌を打った。

勿論、その間に肱川やその支流の矢落川の堤防は驚くほど高く補強され毎年の氾濫は無くなった。その前提で農地に大企業の工場が進出し、幾つかのショッピングモールからなる新興商店街が創られ、警察署や法務局・図書館などが移動して来た。しかし、それでも今回のような何十年かに一度の豪雨と、ダムの放流に満潮などの悪条件が重なると、昔と同じ水害が起こり昔からの住宅のみ助かったという訳だ。

多分何度か書いたと思うが、40年余り前に東京近郊の勤め先の近くに自宅を建てた時、父の友人の不動産屋さんは土地の人に聞いて回り歴史上水害のない土地を選んでくれた。今回、その有難味を改めて感じた。被害に遭った方には申し訳ないが何であんな低地に家を建てたのか理解できない。広島の土砂崩れのあった地域に住む人達は何も調べなかったのだろうか、等々話は尽きなかった。昔から住んでいた人たちは同情しつつ、一方でそう思う訳だ。■
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