かぶれの世界(新)

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勘違いのシティポップ

2023-01-24 22:13:41 | 音楽
最近散歩する時はよくシティポップを聴きながら歩く。シティポップなんて洒落た言葉は知らなかったが、昨年頃から70-80年代の日本の都会的な曲が海外で人気だと何度か聞いた。私はこの20年間くらい竹内まりやのファンだったが、音楽番組で彼女の曲がシティポップとして海外でヒットしていると知った。

それは「プラスティック・ラヴ」という知らない曲だった。というのも、私がファンになったのは米国から帰任後今世紀になって「人生の扉」を聞いてからだ。それ以前の曲は好きでも嫌いでもなかった。だが、娘の夫君が竹内まりやのファンと聞いて彼女の曲一式を集めてくれ何度も聞くうちに好きになった。

今年になって、テレビの音楽番組でシティポップとは何か解説する番組やネット情報を何度か見てやっとどういうものか少し理解できた。都会的でちょっとお洒落な曲なら何でもシティポップと呼ぶ様だ。具体的な定義はないが、お洒落と感じるのはコマーシャルに使われたのでそうなったらしい。

ネット情報によればユーミンや松田聖子もシティポップスのジャンルに入るらしい。ユーミンの曲は最初から良いと思った。松田聖子は「風立ちぬ」からファンになった。だが、その他の歌手や曲は殆ど私の記憶になかった。多分、聞いても記憶に残らなかったのだと思う。

70-80年代の私は電子技術者として長時間残業の連続だった。当時はただ耳に入ってくる音楽を聴いていただけだ。改めてシティポップなるものを聞いて、私の好みと一致する曲は全てではなかった。知ったかぶりでシティポップを勧めたりしなくてよかった。竹内まりやが特別に好きなだけだった。

他にユーミンや松田聖子以外の歌手の曲でも好きなものがある。それがシティポップだから気に入った訳ではない。その前の70年代の演歌の特集番組(あまり人気のないBS番組)で、若い頃は演歌が出てくるとチャンネルを変えた牧村三枝子や青江三奈の曲を今聞いて悪くないと思って驚ろいた。■
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鳥の鳴き声が聞こえた!

2022-10-19 20:04:16 | 音楽
川沿いの散歩道を通って買い物から帰る途中で小鳥の鳴き声が聞こえた。当たり前の事なのに感動を覚えた。最近はいつもスマホでYouTubeの音楽をワイヤレスイヤホンで聞きながら散歩するので、煩いカラスを見かけなくなった今では鳥の鳴き声を聞くことはないからだ。

実は昨日息子から抜け落ち難い骨伝導イヤホンを勧めるメールが届き早速AMAZONに発注し、今日の午後には届いた。自宅からオンラインで発注すると四国の小さな町にも翌日商品が届くから止められない。早速息子に伝えると骨伝導だと構造的に外からの音が聞こえるという。

最初耳にセットした時は音楽が聞こえづらかった。だが、歩きながらイヤホンをいじっているうちに何故か突然良く聞こえるようになった。その状態でも外からの音が聞こえるのだ。何が骨伝導なのか良く分からない。だが、低音は今まで使ってたものの方が良く聞こえる。

息子はそれも構造的な理由であり、骨伝導式だと低音が外に逃げるのだそうだ。私は低音の効いた音楽が好きなのでそこは残念だ。だが、音楽を聴きながら安全にサイクリング出来るだけで最高だ。全くその通りで、息子は状況に応じて使い分けよと勧めてくれ私もその通りと納得した。

ということは、静かな環境で高価な(多分!)ワイヤレスイヤホンを使って音楽を聴き、サイクリングやウォーキングをしながら骨伝導ワイヤレスイヤホンで抜け落ちる心配をせず音楽を聴く。音が良くて安価な商品はまだ見つかってない。その次は、YouTube以外の音源の多様化だ。まだ入口に立っていないかも。■
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ワイヤレスイヤホン

2022-04-11 21:31:02 | 音楽
家内と息子が最近流行りのワイヤレスイヤホンをプレゼントしてくれ、たった3日でハマってしまった。ものによって価格帯が異なるようだが、プレゼントされたのは5千円弱の安価品という。だが、私が今まで使っていた有線イヤホンより音質が断然よく、装着感も良くなった気がする。

早速外出する時はスマホのYouTubeで音楽を聴きながら歩くようになった。最初は歩き始めると途中で時々音楽が止まったり、耳からイヤホンが外れて落ちることがあった。音楽を聴きながらジョギングは無理みたいだし、多分山歩きも注意しないと無くしそうだと思った。

だが、生活が変わったと感じている。今迄は外に出て優先して音楽を聞く気にはならなかったのに、今では積極的に聞きたいと思うようになった。この程度の音質になったら好みの音楽を聴いてみたいと思うようになり、昔よく聞いた音楽をスマホに登録し聞くようになった。

米国にいた90年代頃にヒットしたポピュラー音楽や、80年代以前の日本のヒット曲のCDを、2000年頃からステレオセットでよく聞いた。最近は滅多に聞くこともなくなったが、プレゼントされたワイヤレスイヤホンをきっかけに昔の懐かしい思い出が湧いてきた。

シアトルのジムで一汗かいてシャワーを浴び地下車庫から車を出して支払いをすべく窓を開けた時、たまたま流れ出したしわがれ声が今でも忘れられない。窓口の黒人女性が一瞬笑顔で「いい曲ね」みたいな反応で短く話をした。それはRマルクスのNow and Foreverだった。

他にもSトウェインとLライムズ、Aグラント、Gストレイト、Dフォーゲルバーグとかよく聞いたものだ。日本では竹内まりやとか高橋真梨子とかもファンだった。だが、気が付けばこんな大好きだったポップスも聞かなくなっていた。散歩時に好んで聞くこともなくなった。

帰任して暫く経って2003年に退職後に暇になり日米のヒット曲を良く聞いた。実家を改築して秋葉原で買ったステレオセットでCDを聞いた。思い出せば2010年代頃から母の体調が悪くなった頃からたまにしか聞かなくなり、最近では全く聞かなくなっていた。それが、突然ワイヤレスイヤホンのお蔭で突然思い出した。来週田舎に戻りゆっくり聞きたいと思う。■
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33年ぶりのカラオケ

2022-04-03 11:08:16 | 音楽
昨日家族が世田谷の祖師谷に集まって孫の誕生日と小学校入学を祝って食事会をし、その後近くの店でカラオケパーティを行った。山形牛を使ったボロネーゼが美味しかった。最後にお祝いのケーキに家内の名前を見て、彼女の誕生日でもあったと思い出した。すっかり忘れてて謝るしかなかった。

私の家系は遡っても音楽家の血筋ではなく、誰も好んで歌を唄う姿を見たことがないので冥途の土産にと思いカラオケパーティに行こうと提案した。33年前に職場の責任者になった頃に女の子を誘ってカラオケに行ったのが最後だった。取引先との付き合いは食事かゴルフがメインで、カラオケはたまに先輩同僚に誘われていく程度だった。歌もうまい方じゃなかった。

予約してくれたカラオケの部屋に入って音楽が入ると最初はその音量の大きさに圧倒された。昔はそうでもなかった気がする。子供達が尻込みする中で息子が大音量の歌を何曲か唄って先陣を切ってくれ、そのあと少しずつ子供達や親も歌い始めた。息子のありようを伺い知った気がした。

だが、私が聞いたことがあるのは数曲だったと思う。言葉が詰まっていて間をあけず忙しい、昔の抒情的な歌など何処にもなかった。Yoasobiとかの名前は知っていたが、殆ど聞いたこともない。しかし、息子の嫁によると紅白にも出た歌手だと聞き記憶力の劣化を思い知らされた。

大きな画面の字幕に出て来る歌詞の内容は、凄くまともである意味社会的な鋭い突っ込みのようなものを感じ、それを年端も行かない小学生が歌うのを見て二度驚いた。彼等は唄っている内容を理解しているのか聞くと、嫁は一番年上の小学6年になる孫は理解しているという。

長男が襟裳岬を選曲して唄い始めると、やっと私の出番が来たと昔を思い出してマイクを持った。ついでにと嫁に頼んで五番街のマリーを選曲して貰い、昔十八番だった森進一の物まねで唄って私もカラオケパーティに参加出来た。結局、家内と下の息子は1曲も歌わなかった。

これで、今回の東京での予定もほぼ終わった。孫や息子との雲取山登山は先送りになった。次に行く力が残っているか自信はない。証券会社の担当と話し合い私がいつまで適切な判断が出来るか、そのの資産管理をどうするか話し合いを開始した。提案を聞いて2週間後田舎に行く予定だ。■
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木綿のハンカチーフ

2020-04-21 12:13:55 | 音楽
昨日はいつもより早く散歩から帰り、NHKBSプレミアムの副題が「木綿のハンカチーフ誕生の秘密」という音楽番組を見た。この曲を聞くと、何故か田舎から東京に出て来てエンジニアとして一生懸命働いていた自分の姿が浮かんでくる。自分の若い頃を思い出させてくれる歌謡曲なのだ。

その頃の私は20代半ばでコンピューター技術者として経験を積んだ開発担当者として毎日遅くまで働いていた。ある意味若者同士で業績を競う競争で、やる気満々で遥か先頭を走る米国を追いかけ必死で働いた。私は会社の寮住いで仕事を終えて帰って来てそのまま食堂に行き、遅い夕食をテレビを見ながら見た。その時よく見かけたのが太田裕美の「木綿のハンカチーフ」だった。

歌の出だしの「恋人よ僕は旅立つ、東へと向かう列車で」を聞くと、それだけで四国から東京に出て来て必死で働く自分の姿に重ね合わせられる曲だった。太田裕美の甘い声が妙に引っかかった。今でも、夜遅く寮の食堂で音楽番組を見ながら夕食を食べた自分の姿が浮かんでくる特別な歌だ。

だが、当時から一度も「木綿のハンカチーフ」が好きだとかいった記憶が無い(はずだ)。その頃は戦争反対とか主張するメッセージソングが最先端を飛んでる若者の間で人気だった。BディランとかJバエズとか、日本では岡林だとか。日本の反戦ソングには音楽性を感じずファンになれなかった。だが、世の中は豊かになり徐々に受け入れられる音楽が変化した様に素人の私にも感じた。

このあと若者に受け入れられたニューミュージックもメッセージ性がない、私は音楽をそんな風に理屈だけで決めつけていた。世界的にもこういうトレンドはあったと思う。美しい声で愛を歌うカーペンターズなどはバカにされていた。第一線で頑張る技術者として(そう見られたい)私はそんな気持ちだったと思う。白状すると、洋物に憧れる私は後にカーペンターズのファンになったのだが。

50年近く経っていまだ若い頃の自分の姿が思い浮かぶ曲は太田裕美の「木綿のハンカチーフ」なのだ。その頃からずっと好きだったのだが拘りがあって言えなかったのだと思う。番組で音楽的な解説を聞いて何故キューンとなるのか少し分かった気がしたが、私には音楽の言葉で語ることなどとてもできない。でも未だに心に響く。■
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