土曜日の夜は息子と同室になったが、一晩中彼の凄いいびきで眠れず最悪だった。スマホで好みの音楽を聞いて眠りにつこうとしたが役に立たなかった。後から家内に泣き言をいうと、「彼のいびきは昔からのこと、何度も旅行に行って同室で寝たはずで気が付かなかったの」という。
横で聞いていた娘から助けが入った。家内と娘は隣の和室で寝たのだが、娘は隣から息子の盛大ないびきが聞こえて来たという。だが、それでも私と違い彼女は眠れたらしい。実際息子のいびきは朝の5時まで続き、私はそれから7時までたった2時間の睡眠がとれた。
朝食は前の晩と同じ6階の広間の窓際のテーブルでいただいた。食器は全て和風だったが、食事の材料や味付けは中華風だった。美味しいのだが私には若干の違和感があった。前夜と同じウェイトレス達が給仕してくれ散々褒めた後なので、一々味付けがどうのこうのと文句は言い辛かった。
それよりも残念だったのは多摩湖の先に富士山が見えなかったことだ。富士山が見えなくとも、ホテルから見下ろした多摩湖の景色は十分美しかったと思うが。写真で見た富士山は本当にきれいだった。一言付け加えると、前夜の夕食時に飲んだ地元のビールはギネス並みに美味しかった。出来たら夕焼けの富士山を見ながらドラフトビールを飲みたかった。
朝食後は長男が下の孫を連れて参加する予定で、それまで皆夫々にやりたいことをやった。私は多摩湖湖畔の道を是非とも歩きたくて、西武球場に向かって30分余り歩道を歩いた。昨夜の湖畔は雪が降り冷え冷えとしてたが、それでも歩道を走る人達がいた。そして翌朝も多少寒かったが気分良く歩けた。ジョギングする人達がどんどん追い越して行った。いつか足腰が治ったら走ってみたい。
ホテルに戻ると丁度娘がチェックアウトを終えた時で、そこで家族に別れを告げて私一人戻ることにした。家内に引き留められたが、私は美しい景色の見える多摩湖湖畔の南側も歩いてみたかった。前夜の寝不足に加え、その後合流予定の長男と元気な孫達についていけるか体力に不安があった。
早朝散歩した西武球場と反対側の多摩湖湖畔の南側はあちこちに観光客がいた。人工湖の多摩湖を構成する数キロの長い堤防と狭山公園には親子連れが沢山いた。私はこの思ったより長い堤防を歩く自信がなく、その横の長い勾配と観光客を見ながら西武多摩湖線の電車で国分寺まで戻った。長男と孫はその頃「西武ゆうえんち」で家内や娘たちと合流して楽しんだようだ。■
横で聞いていた娘から助けが入った。家内と娘は隣の和室で寝たのだが、娘は隣から息子の盛大ないびきが聞こえて来たという。だが、それでも私と違い彼女は眠れたらしい。実際息子のいびきは朝の5時まで続き、私はそれから7時までたった2時間の睡眠がとれた。
朝食は前の晩と同じ6階の広間の窓際のテーブルでいただいた。食器は全て和風だったが、食事の材料や味付けは中華風だった。美味しいのだが私には若干の違和感があった。前夜と同じウェイトレス達が給仕してくれ散々褒めた後なので、一々味付けがどうのこうのと文句は言い辛かった。
それよりも残念だったのは多摩湖の先に富士山が見えなかったことだ。富士山が見えなくとも、ホテルから見下ろした多摩湖の景色は十分美しかったと思うが。写真で見た富士山は本当にきれいだった。一言付け加えると、前夜の夕食時に飲んだ地元のビールはギネス並みに美味しかった。出来たら夕焼けの富士山を見ながらドラフトビールを飲みたかった。
朝食後は長男が下の孫を連れて参加する予定で、それまで皆夫々にやりたいことをやった。私は多摩湖湖畔の道を是非とも歩きたくて、西武球場に向かって30分余り歩道を歩いた。昨夜の湖畔は雪が降り冷え冷えとしてたが、それでも歩道を走る人達がいた。そして翌朝も多少寒かったが気分良く歩けた。ジョギングする人達がどんどん追い越して行った。いつか足腰が治ったら走ってみたい。
ホテルに戻ると丁度娘がチェックアウトを終えた時で、そこで家族に別れを告げて私一人戻ることにした。家内に引き留められたが、私は美しい景色の見える多摩湖湖畔の南側も歩いてみたかった。前夜の寝不足に加え、その後合流予定の長男と元気な孫達についていけるか体力に不安があった。
早朝散歩した西武球場と反対側の多摩湖湖畔の南側はあちこちに観光客がいた。人工湖の多摩湖を構成する数キロの長い堤防と狭山公園には親子連れが沢山いた。私はこの思ったより長い堤防を歩く自信がなく、その横の長い勾配と観光客を見ながら西武多摩湖線の電車で国分寺まで戻った。長男と孫はその頃「西武ゆうえんち」で家内や娘たちと合流して楽しんだようだ。■