かぶれの世界(新)

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野田代表誕生の意味

2011-08-30 10:51:09 | 国際・政治

決選投票で海江田経済産業相に逆転し野田佳彦氏が民主党代表になり、次の首相に指名されることが決まった。下馬評は寧ろ前原人気が高かったが、徐々に野田氏の政策を支持する声が高まっていたという。1回目の投票で予想を上回る102票を獲得した野田氏が、決選投票では3-5位前原・鹿野・馬淵氏の支持を得て代表に選出された。

昨日からの報道では、海江田氏の支持グループから強引な多数派工作を受けて、鹿野陣営と浮動票が反発し野田支持に回ったという。マスコミは政策本位とか言いながら、このような政局本位の数合わせの報道を強調し勝ちで、今回もその傾向が変わらないと感じた。

だが、野田氏の勝利の最大の意味は民主党に残された「見識或いは良識」が働いたように私には感じる。民主党には候補者の演説内容を聞いて投票を決定する層、いわゆる「派閥」の縛りや「グループ」の方針より自分の考えを優先して判断する浮動票がいる。

私はこの浮動票が民主党の良識であり財産である(必ずしも毎回とはいかないが)、と考える。彼等はネジレ国会の環境下でマニフェスト原理主義のように妥協を拒む鳩山・小沢グループでは国会運営は成り立たない、強いては我国の為にはならない、と判断したように感じる。浮動票が民主党を正気に戻し何とか健全さを保たせたと思う。

全くの不能振りを曝け出し退陣し次回総選挙に不出馬生命をした鳩山前首相と、強制起訴され裁判を控え党員資格停止されている小沢代表の指示を受けて、発言を変えるような海江田氏では元々首相の器ではないし国民の支持は得られないと判断した。(尤も政策を権力闘争の道具扱いにする小沢氏が、一旦権力奪取すると豹変して野党と手を結ぶ可能性は大きいのだが。)

野田新政権に期待するところ大だが、役割を全うすることなく短命政権に終る可能性は十分ある。現状の自公の姿勢とマニフェスト原理主義の党内反主流派の両方を納得させ、安定した与野党協力体制を作ることは極めて困難で、解のない方程式を解く様な難しさがある。そこで政権運営が機能しなくなった時、小沢氏の出番待望論が出て来る可能性がある。

結果として国会が停滞すると、マスコミは性懲りもなく政局報道を繰り返し解を持たない新政権を集中的に叩き、次第に国民の支持を失い野党は国会審議より解散を求める。ネジレ国会も小鳩派勢力も維持されており何も変わらない現状では、この悲観的な予測が繰り返される可能性はある。野田政権が機能するかどうかは、マスコミや国民の見識が試されることでもあるのだ。■

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菅首相の400日

2011-08-26 23:13:04 | 国際・政治

今、世界は一人の男の発言を息を詰めて待っている。それは、オバマ大統領でもなければ、先ほどテレビ中継で退陣を表明した菅首相ではない。それはバーナンキ米国連銀議長が講演で、金融市場と米国景気動向について何を語るか、である。これほど世界が注目する発言は中々ない。一方、菅首相は過去の人になった。菅首相の400日はどういう政権だったか、私なりにまとめるとこうなる。

「最悪条件下で最悪事態を迎え国民の期待したリーダーシップを発揮できなかった政権」と特徴付けられる。だが、直前の鳩山政権は最低で論外だとしても、その前に3代続いた自民党短命政権よりましだったと感じる。ましだと感じる根拠は、参院選に大敗して生じたネジレ国会の下で、1000年に一度という東日本大震災と福島第1原発事故を取り組むことになり、4代続いた短命政権と同じ運命(ネジレ国会で政権放り出し)を辿りそうになったが、最後に粘り腰で復興のための補正予算を通し脱原発依存という国の新しい道筋をつけてその役割を果したことだ。端的にいうと、放り出さなかったことを評価する。

脱小沢を掲げてスタートし国民の高い支持率を受けた菅内閣は、9月の参院選で唐突に消費税10%を掲げて戦い大敗した。この「唐突」という言葉が菅首相の代名詞になり与野党の反対の理由になり、これ以降首相の打ち出した政策はネジレ国会で審議が進まず、国民の支持を失っていた。消費税、TPPなど日本の大方針を決める重要政策が、「思いつき」「人気取り」「延命策」と揶揄され、まともに議論されること無く先送りになって行った。菅首相にリーダーシップが無いと非難される所以となった。

菅首相の「思いつき」の多くは我国が本来あるべき姿を指し示しているように私は感じたが、それが首相の思いつきの延命策と切り捨てられ結果的に先送りされたのは残念だ。その責任は首相のリーダーシップだけの問題ではない、ネジレ国会下では野党の責任は同様に重いし、結果としてそれを許したマスコミや世論を含めた我国の政治システムに欠陥があると私は考える。それが、ムーディズが格下げをした本当の理由なのに、首相の責任と矮小化していると私は考える。

今、実質次の首相を決めることになる民主党代表レースが進んでいる。マスコミはいわゆる政治記者を登場させ、民主党内の数合わせばかり報じている。そして、最後に言い訳のように数合わせより政策を議論しろという。だが実態は、マスコミが数合わせに最も熱心だ。首相時代に資質に疑問を呈した鳩山氏の発言を繰り返し、小沢元代表の幹事長ポストへの執念を報じるが、彼らの政策は依然として不明だ。 

このようなプロセスで選ばれた首相では、今までの短命政権と同じ運命を辿る可能性が高いと私は感じる。6月頃に自公党首が菅さんさえ辞めれば何とかなると驚くべき発言をしたが、マスコミは無批判にその発言を報じた。そこには政策のセの字もなく、新内閣が同じ運命を辿る臭いがする。逆説的だが、このマスコミ体質にぴったり合うのは小沢氏であり、彼の傀儡が次期首相になれば新内閣はうまく機能するかもしれない。それ程馬鹿ではない?一寸待てば直ぐ分かる。■

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日本をスポイルする被害者史観

2011-08-24 13:32:15 | ニュース

島に原爆投下された日の前からお盆が終る頃まで、今年も戦争回顧録モードになった。何故無謀な戦争をし、早期講和に向けた努力があった等々戦争秘話が紹介される。悲惨な戦争や被爆体験を語り伝える為生き残った兵士や従軍看護婦とか当時の子供達が経験を語る。私には何かが欠けているように違和感があった。

今年は福島原発事故が原爆反対運動に多少の色を添えたが、恒例となった年中行事として実施されたと思う。高校野球大会が終ると戦争回顧、そしてお盆が終ると一気にモードチェンジする年中行事の一環である。気になるのはそのあと何事も無かったように少しも後を引かないことだ。

私が考えるに、その理由は戦争回顧モードになると誰もが被害者になることだ。被害者意識になることで無罪放免されたと勘違いし、そこから思考停止することが最大の理由だと私は考える。戦争の体験者も被爆者もその直前までは、戦争推進の尖兵であったり戦争を支えた裏方だったはずだが、その意識は微塵も感じられない。

戦争では300万人が亡くなり、それ以上にアジアの国々の人々が被害を受けた。マスコミも国民も殆どが米国との戦争を煽り、勝てば提灯行列してはやし立てた。だが、敗戦後に被害者意識を持った瞬間から戦争を後押しした責任を逃れた気分になれた。それは被爆者であっても被害が大きかった分だけ、尚更変わらないように感じる。

私は戦争回顧モードの期間中、この被害者意識のオンパレードにうんざりした。子供達に戦争や原爆の悲惨さだけを訴えさせている映像を見ると、中国の反日教育の形を変えた歴史教育みたいに感じてしまった。ここは原因と結果を切り離して考えるべきではない基本のところだ。これなくして物事をキチンと認識して判断できる大人になれるだろうかと。

治以降、新聞に煽られて圧倒的国民が過激な主張や運動を何十年にも渡り繰り返したことが、軍部が非合理な主戦論に傾き暴走していった。先の大戦は軍部が主役だとしても国民とマスコミが強力に後押しした戦争で、何百万人の命が失われ原爆が落とされたのである。

被害者であると同時に、直接間接に加害者であったことがすっぽり抜けた毎年最も暑くなるこの時期の戦争回顧は、正直まがい物の反省のように毎年感じていた。半藤氏や田原氏が著書の中で歴史を見直し、新聞や国民の支持なくして戦争はありえなかったと説いても何も変わり無かった。

今年もこんな思いをしているのは私だけかと思ったが、「原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?」と題して池上彰氏が加藤陽子東大教授にインタビューした下の記事(日経BP8/9)を読み、私の思いを見事に代弁してくれていると思いいささか元気になった。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110802/221831/

題名だけで大よその内容が予想されると思うが、興味のある方は是非読むことをお勧めする。若い頃大岡昇平氏の戦記物を殆ど読んだが、著者が「戦争批判したつもりが実は許容していた、その前提で戦争や軍隊のことを書かねばならないと決意した」事は知らなかった。記事はここから始まり、戦争も原発もマスコミの報道姿勢の変わらない問題を指摘している。

者必ずしも善ならずが私の口癖だ。大震災や原発事故の被災者だけでなく社会保障や一次産業の問題でも、弱者や被害者が一方で受益者や既得権益者でもあるとみる必要があると繰り返してきた。

だが、メディアは言論の自由な戦後になっても、自衛隊の合憲性や原発の安全性、現在では増税などの問題になると妥協を許さない神学論争にしてしまった。万が一原発が大事故を起したらどうすべきか議論すること自体をタブー視する風潮を作ったのはマスコミだった。

原発だけではない。国論が割れるような他のテーマについて議論が深まらなかった。内々で最悪ケースを検討したというだけで、不祥事の犯人みたいな扱で報道されてきた。それが、今回の事故では官僚や東電の隠匿体質を助長し、政府の初動が批判されることになった。

先日、子供達が官僚に放射能汚染の状況を解決せよと迫るニュースを見た。子供達の厳しい質問と返答に詰まる官僚の場面を見て、子供の思いは嘘ではない本物だと思うが、極端に言うと利用しされているように感じた。純真さは強い武器になる。

上記記事を引用すると「事故が起きる当日まで、電力の大量消費の便利さを積極的に享受していたのは、私たち一人一人だ」という認識がニュースに全く感じられなかった。このままでは子供達は被害者として可哀想にと同情され大人になり、被害者歴史観を繰り返すと思うと切なくなった。■

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高齢化の時計(3)

2011-08-22 18:51:16 | 日記・エッセイ・コラム

ハリウッド映画で「グッドニュースとバッドニュースがある、どっちから聞きたいか」という場面が出て来る。映画だけでなく、実際の仕事の場で私も聞かれたことがある。そういう時、私は悪いニュースから聞くことにしている。1週間前に受けた健康診断の結果は正に悪いニュースだった。

私はグッドニュースを期待して医者に行った。比較的空いている時間帯と看護婦に聞いて、11時半頃に受付に行ったが、休み明けの待合室は患者で一杯だった。小一時間待たされて診察室に行くと、先生はややお疲れ気味で挨拶も無くいきなり「3つ問題がある」と言われた。

尿酸値が9.5に跳ね上がり、悪玉コレステロール(LDL)が20増えて171になった。更に腎機能が低下しているとの事。前から気にしていた血圧がこのところ正常だった(130-75)ので安心していたのに、検査結果を見せられてショックだった。特に尿酸値が一気に9.5になったのには驚いた。

2年前の尿酸値は7.1で、過去の最悪値でも8.5-8.7だったが近年は節制して改善していた。何度か痛風が出て痛い思いをしたが、その時は8台だった。何故痛風が出ないのだろうと医者に聞いたが、それには答えず「心筋梗塞になる恐れがある」と言われて、父を思い出しドキッとした。

帰宅してパソコンに記録している生化学検査の履歴をチェックした。コレステロールの悪玉善玉バランス(LDL/HDL)が3.4もあった。これほど酷い値は米国駐在の90年代後半と、体調が悪く早期退職を決意した2002年頃以来だ。次に腎機能が低下していると説明された。尿や排泄に関係するらしいが良く分らない。

生化学検査をしなくとも異常に気がつくべきだった。2年前の検査に比べ今回体重が3kg増えて67kg、腹囲が7.5cm増えて87cmになった。とんだ体型変化だ。お腹が膨れてみっともなくなったと、バドミントン仲間に言われたのに積極的に生活習慣を変えなかった。今更ながら何とかしなきゃ。

良いニュースもある。昨日、市の後援で学校開放クラブのバドミントン大会に参加した。最も下のクラスに入れてもらったお陰で、リーグ戦に全勝し他リーグの勝ち残りとの12位決定戦も勝った。初心者相手に勝った、勝ったというのも大人気ないが、理由は何であれ勝つのは嬉しい。

顔ぶれを見ると私と同年代らしき参加者を数人見かけた。年上の方も2,3人いたかもしれない。私は後10ヶ月で高齢者になる。高齢者になっても若い人達とゲームを楽しみたいと思うのだが、来年どうなるのか予想がつかなくなった。生化学指標の改善は必須だろう。

時計版上に時間を刻む印があって長針と短針を見れば誰にでも時間が分る。だが、老化の時計には針も印もない。私にとっては生化学指標であり、記憶力や思考力と精神力、バドミントンなどの体力の経年変化である。あの時出来たことが今は出来ない時、針が一つ進む。

従って、手抜きした時のデータでは後から比較できない、常にベストの力を出しておかないと思ってやってきた。だが、いつかベストを尽くせない時が来る。その時どうするか。今のところアイデアがない。■

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ニューノーマルは日本化(訂正)

2011-08-20 17:48:05 | 社会・経済

まさかこの記事を見て投資を決めている人はいないと思いますが、情報に変化がありましたので念のためにアップデートしておきます。

VIX恐怖指数は18日に記事を書いている時までは安定していたが、その日に跳ね上がり以後高止まりしている。又、銀行間取引金利(LIBOR)は18日までのじり高上昇傾向がその後も続いており、金融システムの信用不安が広がる恐れが出てきた。私には過剰流動性相場の見直しと、経済指標悪化の過剰反応が同時に起こっているように感じる。

リーマンショック時のパニックに近い状況になってきたというのが現状を良く表しているようだ。最も心配なのは信用不安が世界に広がることだが、とはいっても3年前より足元の企業業績は良く、新興国の備えが格段に改善しており、私は最悪の状態は避けうると期待している。■

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