実家に戻った翌日の午後、早速松山市衣山にある母の入院先に行った。無料化対象だった高速道路を利用してみたが、交通量は1―2割増という程度だった。元々国道を通っても松山市近郊以外は渋滞しなかったから当然だろう。それでも高速道路を通せと散々陳情したに違いない。
今月初め予告編を投稿した時から母の容態は更に悪化していた。その後主治医から電話があり、即効性のあるインシュリンに変更し食事量を減らした後も、血糖値が300台になることがあり、検査の結果バセドウ病であると判明した。誤嚥で肺炎を併発していたので、老人ホームでの治療は適切でなく入院させて治療する、家族の了解を得たいという。勿論即答で了解した。
松山に住む友人と久しぶりに会って昼食を済ませ、1時過ぎに病院に着くと先生は3時まで予定があると聞き、先に病室に行き母を見舞った。病院は5―6階建てのビルでエレベーターが無く廊下に段差が残っており、3階のいかにも古ぼけた小さな部屋のベッドサイドの車椅子に母がいた。
予想以上にみすぼらしい部屋に小さくなった母を見て言葉に詰まった。廊下は冷房が聞いておらず暑い。母は私に車椅子上のテーブルをどけさせ、部屋の前の約10m程度の廊下を車椅子で行き来し始めた。狭く段差のある廊下で難儀しながら介護婦らしきオバサンの手を借りて何度も往復した。一生懸命リハビリに努めようという気持ちが伝わってきた。
オバサンによれば、母はやっと熱が下がり容態がよくなったので車椅子で運動し始めたところだという。母は一言も喋らず黙々と車椅子を動かし、廊下を3‐4往復すると頭部や上半身に汗が浮かんだところで部屋に戻った。母が落ち着いたところで、先週土曜日に息子夫婦が明治神宮に孫のお宮参りした後、食事会で家族揃って撮った写真を母に見せた。
母は黙って見ていたが殆ど反応が無かった。曾孫の大写しの写真以外はよく見えないそぶりをし、うかつな私もやっと気が付き申し訳なく思った。今まで写真に反応しないのを興味がなくなったと思い込んでいた。デジカメで撮った動画も良く見えない様子だった。大写しの写真だけテレビセットの前に置いた。
ベッドに戻せと言われ抱えると母は意外に重く、思ったより上手く行かない。半ば強引にベッドに移した。母の体が曲がり窮屈そうだったが、どうすれば良いか要領が分からない。そうしている内に先生が戻ったと看護婦が呼びに来てくれ、1階の診察室に降りた。
病院の名前と同じ姓の若い先生だった。古ぼけたビルから想像するに、二代目先生だろうと思った。みすぼらしい病棟でいい加減な治療だったら母が可哀想だと不安だった。だが、この先生の説明は私には明確で納得できる内容だった。
先生の母の病状を分かりやすく説明してくれた。母の血糖値が安定せず300台になることもあり、熱が下がらないので入院治療することにした。レントゲン写真を比較して肺炎にかかっているが、抗生剤を投与してもCRPが下がらない。即効性インシュリン投与しても血糖値が安定しない。
その原因として、バセドウ病による甲状腺ホルモン分泌異常を疑い検査した。エコーを撮ると、血流がバセドウ病の特徴を示したという。その自己抗体生産がコレステロール消費を促進して、脈拍を高め発汗を促進するのだという。その結果、過剰な新陳代謝が進みいくら食べても体重が増えず、食欲が止まらない。正にこの数年間、母が悩んできた症状で納得できる説明だった。
現在の1日の食事量1400kcal、インシュリン投与4回を変更したいと申し出があった。インシュリンの代替として、新薬「ビクトーザ」の投与を勧められた。説明によれば血糖値が上がりそうな時にインシュリンの効果が出るという真に都合の良い薬効があるという。インシュリン投薬による低血糖の恐れが無くなるので、看護婦が1人だけの老人ホームの環境にあっているという。
但し、白血球がなくなり抗体が失せる副作用があるので、3ヶ月間は注意深く見守る必要があるという。今後1‐2週間様子を見て症状に変化がなければ老人ホームに戻り、往診で対応できる見通しだという。薬の費用が2-3倍程度になるらしいが、保険が効けば問題ないと答え新薬投与を了解した。一時17‐25あったCRPは0.4にまで下がり、熱も下がったので肺炎は心配なくなった。
母の病室に戻ると綺麗に寝かされ、毛布がかけてあった。酸素チューブが鼻にセットされていた。先生に聞いたことをかいつまんで説明し、もう少しで良くなってホームに戻れそうだ。食事を我慢できなかったのはバセドウ病のせいだと分かって良かったね、というと母の表情が一瞬和んだような気がした。まだ気力が残っている。
帰る前に何か欲しいものはないかというと、「バナナが食べたい」との返事。変わらないなと思い苦笑いしながら、「言ってみるけど期待しないで」と答えた。途中であった看護婦に一応伝えると、彼女も予想通りの表情で返事にならないような返事をした。彼女が何と言ったか覚えていない。■