かぶれの世界(新)

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混沌の2022年

2022-01-30 21:57:12 | 国際・政治
先週火曜日25日の未明1時前にトイレに立ちベッドに戻った後ラジオを聞くと、ニューヨーク市場のダウ平均が一時1100円も暴落とのニュースにたまげた。聞き耳を立てるとウクライナ情勢が悪化して米軍8500人が派遣されるニュースに市場が反応したという。だが、朝になって改めてニュースを聞くとダウが99ドル上昇、ナスダックも86ドル上昇していた。

何で? 投資家は安値買い(!)に動いたという。その翌日はダウ平均は66ドル安と聞き落ち着いたと安堵したが、ナスダックは316ドル大幅下落していた。投資家は長い目で見てハイテック株の成長を期待したが、世界が不安定化すると見て短期志向の判断をするようになったようだ。

世界を混乱させる二つの要素
2022年は米中対立関係と米国連銀の金融引締めの二つの変数が関わりあって、世界を混乱させることになると予測する。先週の市場混乱はこの二つの要素の変化の前触れであり、更なる混乱が待ち受けているとみる。現在は世界の政治経済が密接に絡み合う中でのせめぎあいであり、かつて経験したことのない戦いである。冷戦時代の軍事的な優劣が戦いを左右する時代より複雑だ。

この複雑な戦いを米対中と見るか、米欧vs中ロなのか、民主主義国vs強権国なのか、軍事力の優劣かサイバーの戦いか、夫々の専門家が異なった視点と立場で予想する。聞くと夫々が尤もらしく感じるところがあるが、総合すると一体何が起こるのか分からない。夫々の得意な分野での戦いに持ち込みたいのだろうが、トータルで見て誰が勝つか負けるか混沌としている。

2022年は20年代の兆候を示す年
どうも2022年が戦いの結論を出す様な時期ではない、というのが私の予測だ。その中で私が注目したのは仏歴史学者エマニュエル・トッド氏が指摘する中国の人口増減が国力と連動して戦いを左右するという説だ。中国は30年代に米国経済を追い越すが、国民一人当たりの豊かさは先進国に届かないまま短期間に峠を越える。その後再び米国が世界経済のトップに立つとの予測に同感する。

一方で、ロシア経済は苦境が続いておりウクライナ侵攻など軍事力頼りの強権外交を続け存在感を示している。だが、私はロシアが長期にわたって広範囲に強力な軍事力を保つことは難しい、あくまでも短期的かつ局地的な戦いが狙いと予測する。長期的な視野に立てば中ロ両国は優勢な地位を保てず、連携して米欧に対応する道しか残されてないだろう。

米国も世界の警察官を続ける力は無くなったと宣言して久しい。どの国にも絶対的な力はないというGゼロの世界と以前から指摘されているが、いざという時に欧州も日本も米国に頼るのが現実だ。その米国は今年は前哨戦となる中間選挙で共和党が多数派を取れば、2024年の大統領選を決定づけることになりバイデン政権は強い立場を取れなくなるだろう。

バイデン温泉
オバマ大統領時代に人々の心に響くあるべき姿を説いたが実行は出来ず、言うだけ(湯だけ)の「オバマ温泉」と私は揶揄した。だが、この世界情勢においてはバイデン大統領のベストの政策は皮肉にも先例に倣って「バイデン温泉」になることだと考える。しかし、それは容易ではないだろう。

「バイデン温泉」は現状維持を続ける、といっても何もしないということではない。中ロのような強権国相手には現状維持することも容易ではない。オバマ時代にロシアにウクライナ侵攻を許したことが今日を招いた。更に世界は香港の民主化を守れず崩壊させた。日欧等は米国頼りから自ら立ち上がって民主主義を守らなければならない。その先に世界の繁栄があり‛私の投資’もある。

再び経済について、特に個人的な投資
実際、今年に入ってNY市場は乱高下しながら大きく値を下げ、特にここに来てナスダックの下げが目立つ。私は米国ハイテック株中心の投資を続けて来たので、年初から下げが続き特に先週1週間で4%以上の下落となりがっかりだ。米株以外にも新興国や通貨でバランスを取った積りだが、今回は全般に下落傾向が続き歯止めが掛かってない。

単純に言えばハイテック株はそれ程儲かっていないのに株高だった。つまり、長期的な利益を反映した株価の恩恵を受けていた。だが、コロナや地球温暖化に米中対立やウクライナ情勢などで混乱して先が見えなくなると、投資家は短期的志向になり足元の経営状況を反映して株価が下がった。

私の素人投資戦略は機能していない。私的には何を買っても下がる、現金しか頼れなかったリーマンショックと同じ恐怖を感じる。そこで、久方ぶりに今年世界がどう動くか占ってみようという気になった。70歳までお正月になると「天邪鬼占い」と称して主に世界の政治情勢の占いを投稿した。目的は自分の投資資産がどうなるかという、かなり自己中心的な占いだ。

今年の初めから占いをもう一度やってみようと思い、新聞やネットを見て情報を整理してきたが中々考えが纏まらなかった。多分、私の高齢化と記憶力や考える力が劣化したせいだろう。しかし、気が付けば今日は1月30日、2月なって今年の占いはあり得ない。最早、占いの中身よりタイミングだと考えた。今年もどうぞよろしく。■
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高齢者のドラマの楽しみ方

2022-01-28 11:44:04 | テレビ番組
2週間前に英国テレビドラマ「刑事モース」の再放送に嵌まっていると投稿した。昼食後に家内と一緒に見る唯一のテレビ番組だ。ただ、家内がドラマの前半に犯人を特定するような細部の場面を記憶して指摘するのが余り面白くない。何故か悉く的を得ているのだ。私は全く覚えていない。

私はドラマを見始めてから小一時間前の場面ですらはっきりと覚えてなく、言われても思い出せないこともある。家内によれば「意図的に細部を映し出した時はそういうものだ、わかんないの?」と言い、私には偉そうに聞こえるのが癪だ。彼女だって最近言葉が出ない時がある。

再放送で初めて見るドラマではないので象徴的なシーンは写真として記憶がある。だが、どんな筋書きだったか全く思い出せない。しかしそれはそれでメリットがある。良かったという記憶だけは残っている。期間をおいて見ると、初めて見るようにドラマを楽しめるのだ。

もう一つ気に入ったドラマがある。それは「グリーンブック」という映画だ。ケネディ政権と懇意な一流黒人ピアニストと、運転手兼ボディガード役の教育が無く乱暴だけど筋を通すイタリア系白人が60年代の人種差別が残る南部アメリカをツアーする間に友情を深めて行く物語だ。

アカデミー賞を取った映画らしいが、私は最近まで全く知らなかった。しかし、一度見てすっかりはまった。実話というが、それほど米国社会は単純ではない、楽観的な物語に脚色したと私は思う。でも、米国に住んだ経験からそうあって欲しいと願うのが自称アメリカかぶれの気持ちだ。

「刑事モース」を見ながら家内に言った。人の名前だけじゃなく何でも忘れっぽくなった、特に固有名詞が出てこない。正直言うと名前だけじゃなくストーリも忘れる。でも、忘れても全てが悪い訳じゃない。同じ映画を何度も新鮮な気持ちで楽しめるというと彼女は大笑いした。■
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温泉の危機と高齢者の思い出(蛇足)

2022-01-24 22:05:25 | 日記・エッセイ・コラム
ちょっと前に娘が家族旅行である温泉がどうか考えていると聞いた。私は即座に田舎の寂れた温泉で子供連れの家族で行くところではないと助言した。実はその温泉には行ったことはないが、長年の経験で子供連れには適切ではないと思った。正直言うと今はどうか知らなかったが。

数年前に私自身が時代遅れの経験をした。まだ母が生きていた頃、彼女の様子を見に年に2度か3度車で四国の実家に戻っていた。私は60半ば過ぎで四国から東京まで車を運転するのが辛くなっていた。その時はどうにも体力が続かず名古屋を過ぎ中津川で高速を降りて下呂温泉まで北上して一泊した。その年が車で田舎まで往復した最後の年だった。

その時は単純にこの機会に名の知れた下呂温泉に浸かってみたいと想い付いた。疲れて運転する気力がなくなった以外に理由はなかった。街の案内所で紹介して貰った旅館は若者が利用する雰囲気だった。構わず旅館にチェックインして芸者を呼んでくれと頼むと、街中にそういうところがあるから行くといいとあっさり断られた。話し相手が欲しかったのだが・・・世の中変わった。■
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温泉の危機と高齢者の思い出(2)

2022-01-23 20:43:35 | 日記・エッセイ・コラム
仕事以外で強烈に印象に残っているのは和歌山の白浜温泉だ。卒業後別々の会社に勤める同期の2人から連絡を受け、3人揃って大阪万博を見に行った。日本初の万博で国中が湧き、どの国の展示場も入館入口に長い列が続いていた。だが、我々3人共に根気良く長い列に並ぶ輩ではなかった。

短い列を選んで展示場を見終わった後、大阪に住む一人が「もう万博はいいや、白浜に行こう」と切り出した。残りの2人は即合意してさっさと和歌山に向かった。その頃の白浜は近代的なビルなどどこにもなく、昔風の木造の温泉旅館が並んでいた。車を流していると所謂「やり手婆さん」に呼び止められ、何の疑問もなく奥の旅館に導かれ泊まった。

聞かれるままに3人の芸者を呼び脇に座らせて酒を飲んで大騒ぎ、2人は夫々別の部屋に芸者と消えて行き私も残りの芸者と隣の部屋で男と女の関係の教育を受けたという訳だ。結果は初めて貰ったボーナスを握りしめて社員寮を出て、次の日は東京に戻る新幹線の運賃しか残ってなかった。

この手の思い出には間違いなく温泉が関わったと思う。温泉か芸者のどっちが主役か分からないが、振り返ると私にはどちらもなくてはならない重要な存在だった。

勿論、家族と一緒に行き印象に残っている温泉もある。珍しく母が上京してきた時家内がアレンジしてくれ、家族全員で西伊豆の温泉に行った時のことはよく覚えている。だが、正直言うと印象に残る鮮明なシーンが浮かんでこないのだ。だからと言って、温泉芸者を呼ぶ訳には行かなかった。

実はもう一つ鮮明に映像が浮かぶ温泉シーンがある。仕事で米国のワシントン州シアトルの近郊に住んだ時、週末になるとテントを背負って山歩きをした。今は実家に資料を保管しており場所が何処だったか思い出せないが、太平洋に面する西部には有名な火山があり温泉も沢山あった。

ある時ガイドブックで山歩き道のすぐ傍に露天風呂があると紹介する記事を見て、米国の温泉はどんな雰囲気なのか興味が湧いて立ち寄ってみた。そこはホテルとか小屋どころか脱衣場すら見当たらない、岩で囲った小さな風呂が幾つか点在し、周辺に山歩き姿の人達がパラパラ見かけた。

一番目立つ大きめの池に素っ裸の男性とビキニ姿の女性が突っ立っており、他の誰も気にすることなく通り過ぎていた。日本にも沢山露天風呂はあるが、多数の人が同時に入浴する風景は見なかった。しかし、全くの他人が横を通り過ぎる「たたずまい」に日本とは異なる印象を受けた。

更に歩を進めると、トレイルの奥の木陰に隠れた小さな池もあったが、私は何故か気が進まず入浴しなかった。一人で入るのは気が引けたと思う。多分、そのたたずまいの違いに勇気が湧かなかったのだと思う。今となっては残念に思う。

コロナ5波が終わり経済回復が見えていたのに、今年になって突如オミクロン株の感染が激増する第6波が来た。私の人生にとって思い出の尽きない各地の温泉旅館が苦境に陥っているとのニュースを聞き、何とかしてやりたいが何ともならない報道に接して辛い思いがする。■
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温泉の危機と高齢者の思い出(1)

2022-01-22 21:50:18 | 日記・エッセイ・コラム
オミクロン型の感染急増で「まん延防止等重点措置」が13都県に適用され、更に関西の3府県を始め全国から重点措置の適用の要請が報じられた。東京の感染者は遂に1万人を超えた。経営危機から徐々に立ち直りを見せていた飲食業界や旅行業界への打撃と失望が報じられた。

高齢者の私は個人的理由で各地の温泉旅館が生き残れるのか心配している。

50年以上前に四国の片田舎から上京して夢に見たコンピューター技術者として働き始めて数か月後、職場の宴会とか旅行で初めて都会での仕事以外の生々しい世界に触れる経験を経て大人になった気がする。中でも主な舞台が東京近郊の温泉だった。

仕事が終わると同僚と近場の飲み屋に行くとか、休みに東京近郊の行楽地を経験した。というか、正直言うとかなり真剣に教わった。中でも私には温泉旅行が新鮮だった。入社2年目には職場の宴会担当に指名され、ベテランの書記さんの助けを得て社員旅行を計画し草津温泉に行った。

温泉旅館に着いた夜、我々新人は先輩に連れられて色々経験した。旅館の浴衣姿でストリップ小屋に行き舞台にかぶりついた(少なくとも私は)。続いて、混浴風呂を初めて体験した。記憶では洞窟みたいな薄暗い岩風呂で、入浴中の女性と言えばお婆ちゃん二人いただけだったが。

それから50年以上経って温泉街がどうなっているか、報道で見る風景は近代化され随分変わったようだ。私が経験した草津温泉は最早ないかもしれない。今は社員旅行とか宴会の人気が無いという。だが、私は新人が色々な意味で職場の人達と交流する良い機会だ今も思う。

私が若い頃に経験した温泉は殆ど社員旅行だった。中間管理職になってからは取引先の接待で温泉に行くことが増えた。東京から近い熱海とか箱根にはよく行った。ある年の社員旅行で取引先社員も参加して熱川に行き宴会が盛り上がった時、取引先社長が伊東から芸者を呼んでくれた。

いわゆる温泉芸者が加わって宴会は一気に盛り上がり大騒ぎになった。翌朝寝不足で目をこすりながら同僚と温泉街を歩いていると、見覚えのない女性に挨拶された。同僚の一人が昨夜の芸者だと教えてくれた。着物を脱ぎお化粧を落とした芸者は全く別人の普通の人だと鮮明に覚えている。

白状すると私にとって温泉の記憶の多くは女性がらみだった。特別な女性という訳ではなく温泉芸者に代表されるような、温泉を魅力的にするプロフェッショナルな人達の記憶だ。50年以上経ってもXX温泉と聞いて頭に浮かんでくるのはそこにいた女性達だ。■
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