パトリシアがニュージーランドに行った後、秘書が会社の近くのモールにシアトル・マッサージ・スクールがあり、そこで生徒の練習台になって安くマッサージを受けることが出来ると教えてくれた。物は試しと予約してもらい型どおり問診表を埋めマッサージを受けた。薄暗い大部屋をカーテンで仕切った一角に案内され服を脱いで暫くベッドで待っていると、生徒の若い男性が現れマッサージを始めてくれた。
悪くないと聞いていたのだが、予想以上に下手くそでただ触られ手を擦っている感じだった。そのうち先生らしき人が来て一言二言言い私に手を触れた瞬間、手が生きていると言うか、全く違った感覚が伝わった。やはりプロは違う。残念なことに先生は直ぐに行ってしまい二度と戻ってこなかった。時間が来てオイルを拭き取り服をつけ、通常の半値か3分の一程度の料金を払ったと思う。サンキュー、(もう来ないよ)。
そうこうしている内にある日突然パトリシアからNZから帰ったと電話が入った。早速予約を入れて久しぶりにセラピーを受けたが、以前とはマッサージのスタイルが変わっていた。NZのマオリのやり方を学んだといって、神秘的な力を持つという石を使い、精神から健康になることの大切さを説いた。マッサージする部分に長い間集中して手をかざし、かすかに熱気のようなものを感じた。しかし私は以前のほうが好きで、以前は楽しんだ会話も何故かギクシャクした。その後2,3回セラピーを受けたが徐々に留守電のメッセージを交互に残すだけで双方の都合がつかない場合が多くなり、自然と遠ざかっていった。
その後も替わりのセラピストを探したがこれはと言う人には見つからなかった。初夏になり、再びSさんからイサッカにある日系の女性が経営しているエステティック・サロンを紹介していただき、早速連絡を取り出向いていったが途中イサッカの町で道に迷い、スーパで待ち合わせ迎えにきてもらう羽目になった。
米国では道順は通常地図ではなく文章で伝える。電話で道順を聞いて目的地に到着するのは慣れない間は大変だった。パトリシアの診療所が時々変わったので新しい住所の時は道に迷ってもいいよう若干早めに出発しにしていたのだが、日本語で聞くと安心して余裕を持たないで出かけたものだから迷惑をかけてしまった。その後新しい町に引っ越した時地域の地図を買い、電話で道順を聞く時地図を見ながら確認をして間違いの無いようにした。
サロンでは経営者のサチコさんとアシスタントのユキエさんの二人にスゥエーデン式マッサージをしてもらった。二人とも資格を取っており、ユキエさんは例のマッサージ・スクールに通い資格を取ったそうである。パトリシアのように年季は入っていないが、二人にやってもらうのは初めてで悪くなかった。それにエステに使ういい香りのオイルや電子機器を使った顔面マッサージなどの役得もあった。料金は1回2時間で110ドル、10回分のクーポンを纏め買いし、通常は毎回次の予約をするシステムであった。
この頃は異国暮らしに慣れたのはいいが体重が増えバドミントンをやる体力・気力が落ち、週末日帰りの山歩きがメインになっていた。土曜日の朝エステでマッサージを受け、近くのスターバックスでコーヒーとパンを買って食べながら空港の南にあるフェデラルウエィ市の自宅(97年に引越しした)に戻り、午後は地図を調べ、食料などを準備し、翌日タコマ富士やオリンピック国立公園の山歩きをするのが習慣であった。土曜朝のマッサージの後車でコーヒーをすすり、何処の山に行くのか色々と考える時が最も楽しい一瞬だった。一寸寂しいけど、他にやることもなかった。
慣れてくるとマッサージ中の井戸端話が楽しみになった。サチコさんは日本人のご主人と、ユキエさんは米国人と結婚した日系アメリカ人でご両親は日本におられる。話題はパトリシアの時に比べより生活に密着した内容で、買い物情報、何処のスーパがいいか、日系人社会情報、ゴシップ情報等など。国際結婚の離婚と財産分割などの事情・日本との差と助言は万国共通の話題で実に興味深かった。この仕事は色々な顧客と長時間に渡り濃密なコミュニケーションをするので、パトリシアとも共通して沢山の雑多な情報があり毎回新しい事を聞いても尽きる事がなく、私の貴重な生活情報源となった。
死亡時遺言がないと日本の家族に渡らないので弁護士に依頼して遺言を作るよう勧められ、後に発展させてトラストを組む事になった。その話はまた別の機会に。サチコさんは経営者でもあり、投資してお金を運用するよう勧めてくれ、私がその後投資信託を考えるきっかけになった。彼女はカリフォルニア州で暮らした事もあり、マッサージ・パーラーの選び方として日本地名の入ったところ、例えばトーキョー・マッサージ、はやめたほうが良いといった。直ぐに何か理解できた。因みにバンクーバーに行った時やたらとその手の名前のマッサージ・パーラーが多かった。勿論彼女の忠告が本当か試していない。
折角慣れてきたのだが1年も経たないうちに仕事の都合でカリフォルニア州に引っ越さなければならなくなった。引越しでは日本と違い荷物がチャンと届くと期待してはいけない、特にN運送会社はダメと最後の助言をしてもらったのに、仕事の関係でそこに頼み結果的に酷い眼にあった。最後の助言を聞けばよかったと今でも後悔している。いずれにしても二人のお陰で退屈な週末を少しでも色付けして過す事が出来た。■
悪くないと聞いていたのだが、予想以上に下手くそでただ触られ手を擦っている感じだった。そのうち先生らしき人が来て一言二言言い私に手を触れた瞬間、手が生きていると言うか、全く違った感覚が伝わった。やはりプロは違う。残念なことに先生は直ぐに行ってしまい二度と戻ってこなかった。時間が来てオイルを拭き取り服をつけ、通常の半値か3分の一程度の料金を払ったと思う。サンキュー、(もう来ないよ)。
そうこうしている内にある日突然パトリシアからNZから帰ったと電話が入った。早速予約を入れて久しぶりにセラピーを受けたが、以前とはマッサージのスタイルが変わっていた。NZのマオリのやり方を学んだといって、神秘的な力を持つという石を使い、精神から健康になることの大切さを説いた。マッサージする部分に長い間集中して手をかざし、かすかに熱気のようなものを感じた。しかし私は以前のほうが好きで、以前は楽しんだ会話も何故かギクシャクした。その後2,3回セラピーを受けたが徐々に留守電のメッセージを交互に残すだけで双方の都合がつかない場合が多くなり、自然と遠ざかっていった。
その後も替わりのセラピストを探したがこれはと言う人には見つからなかった。初夏になり、再びSさんからイサッカにある日系の女性が経営しているエステティック・サロンを紹介していただき、早速連絡を取り出向いていったが途中イサッカの町で道に迷い、スーパで待ち合わせ迎えにきてもらう羽目になった。
米国では道順は通常地図ではなく文章で伝える。電話で道順を聞いて目的地に到着するのは慣れない間は大変だった。パトリシアの診療所が時々変わったので新しい住所の時は道に迷ってもいいよう若干早めに出発しにしていたのだが、日本語で聞くと安心して余裕を持たないで出かけたものだから迷惑をかけてしまった。その後新しい町に引っ越した時地域の地図を買い、電話で道順を聞く時地図を見ながら確認をして間違いの無いようにした。
サロンでは経営者のサチコさんとアシスタントのユキエさんの二人にスゥエーデン式マッサージをしてもらった。二人とも資格を取っており、ユキエさんは例のマッサージ・スクールに通い資格を取ったそうである。パトリシアのように年季は入っていないが、二人にやってもらうのは初めてで悪くなかった。それにエステに使ういい香りのオイルや電子機器を使った顔面マッサージなどの役得もあった。料金は1回2時間で110ドル、10回分のクーポンを纏め買いし、通常は毎回次の予約をするシステムであった。
この頃は異国暮らしに慣れたのはいいが体重が増えバドミントンをやる体力・気力が落ち、週末日帰りの山歩きがメインになっていた。土曜日の朝エステでマッサージを受け、近くのスターバックスでコーヒーとパンを買って食べながら空港の南にあるフェデラルウエィ市の自宅(97年に引越しした)に戻り、午後は地図を調べ、食料などを準備し、翌日タコマ富士やオリンピック国立公園の山歩きをするのが習慣であった。土曜朝のマッサージの後車でコーヒーをすすり、何処の山に行くのか色々と考える時が最も楽しい一瞬だった。一寸寂しいけど、他にやることもなかった。
慣れてくるとマッサージ中の井戸端話が楽しみになった。サチコさんは日本人のご主人と、ユキエさんは米国人と結婚した日系アメリカ人でご両親は日本におられる。話題はパトリシアの時に比べより生活に密着した内容で、買い物情報、何処のスーパがいいか、日系人社会情報、ゴシップ情報等など。国際結婚の離婚と財産分割などの事情・日本との差と助言は万国共通の話題で実に興味深かった。この仕事は色々な顧客と長時間に渡り濃密なコミュニケーションをするので、パトリシアとも共通して沢山の雑多な情報があり毎回新しい事を聞いても尽きる事がなく、私の貴重な生活情報源となった。
死亡時遺言がないと日本の家族に渡らないので弁護士に依頼して遺言を作るよう勧められ、後に発展させてトラストを組む事になった。その話はまた別の機会に。サチコさんは経営者でもあり、投資してお金を運用するよう勧めてくれ、私がその後投資信託を考えるきっかけになった。彼女はカリフォルニア州で暮らした事もあり、マッサージ・パーラーの選び方として日本地名の入ったところ、例えばトーキョー・マッサージ、はやめたほうが良いといった。直ぐに何か理解できた。因みにバンクーバーに行った時やたらとその手の名前のマッサージ・パーラーが多かった。勿論彼女の忠告が本当か試していない。
折角慣れてきたのだが1年も経たないうちに仕事の都合でカリフォルニア州に引っ越さなければならなくなった。引越しでは日本と違い荷物がチャンと届くと期待してはいけない、特にN運送会社はダメと最後の助言をしてもらったのに、仕事の関係でそこに頼み結果的に酷い眼にあった。最後の助言を聞けばよかったと今でも後悔している。いずれにしても二人のお陰で退屈な週末を少しでも色付けして過す事が出来た。■