かぶれの世界(新)

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頑張れ国際観光都市松山

2024-10-30 19:36:27 | 社会・経済
月曜日に松山に行ってきた。友人と情報交換後に昼食を一緒し、1時過ぎに松山市駅前にバス停に行った。バス停は改修されたばかりと聞いたが、まだ駅周辺は工事中で最終形には程遠く整理されていなかった。市駅前とバス停の間を歩く人達もやや混乱しているように見えた。

そういう私はもっと南の大洲盆地から来た田舎者で、工事中で移動したバス停がはっきり分からず周りの人達の様子を見ながら確認していた。私の乗る宇和島バスは松山空港行きの伊予鉄バス停と同じ位置にあり、列を見ただけではどこへ行くバスが停まるのか全く分からない。

停車したバスの会社と行先を見て乗車するしかない。私はそれらしき人に行先を聞いて後ろに並び、宇和島バスに乗る列を作るように並んだ。しかし、次々と来る空港行きのバスが来ると周りにいる乗客がバラバラな位置から乗り込む。残った人が宇和島行きに乗ると思うしかなかった。

だが、空港行きに乗るのか乗らないのか分からない若い女性が、行ったり来たりするのが気になって来た。空港行きリムジンが停まると一瞬乗るかと思ったが、乗らず逡巡している様子だった。堪らず声をかけると日本語が分からない様子、英語で聞いて韓国から来たと分かった。

その時運転手が現れて会話に参入したが、彼の英語も私と同じ位曖昧だった。彼女は空港に行きたいのだが、運賃の支払い方法が分からない様子だった。彼女は一旦その気になってバスに乗ったが、何故かバスから荷物を下して出て来た。運転手によると韓国観光客用のバスが別の停車場から出てるらしい。彼女の乗りたかったバスはそれだったと後から気付いた。

私はその手の情報は何も知らず役に立たなかった。結局彼女は再度リムジンに乗り込んで出て行った。少し前に松山韓国間の定期フライト運航が知事も参加して発表された。なのに、市駅やバス停などに韓国人観光客の為の韓国語の説明書き等が全く見られない、オカシイと思った。

私は去り際の運転手に問題提起すべきと言うと彼は頷いた。彼はオフィスの戻って問題提起して欲しい。松山や愛媛県が国際観光都市を目指しているのなら、もう少し知恵を働かして欲しい。報道によると四国で最もインバウンド観光客が増えたのは香川県だそうだ。頑張れ松山!■
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田舎暮らし雑感2024(19)

2024-10-29 19:48:29 | 日記・エッセイ・コラム
秋も深まり田舎暮らしも残り少なくなった。今朝目が覚めると部屋は寒々としてるにもかかわらず布団を蹴飛ばしていた。昨夜就寝した時は暑くて寝苦しかったので夏布団だけで寝たが、深夜寒さで目が覚め毛布一枚を追加して眠り、それでは暑いと深夜に布団を蹴飛ばしたようだ。

もう一度夏布団と毛布を重ね合わせると具合が良く7時までぐっすり寝てしまった。布団を蹴飛ばしたり掛け直したりと、私は高齢化して調整能力がなくなったのか自分は訳が分からなくなった。朝食の準備をしながら新聞を取りに外に出ると雨が降っていた。

小雨に当たり震えた私は午前中に予約した歯科医に行きたくなくなった。体調が悪く雨の中自転車で出掛けるのは厳しいと言い訳して予約をキャンセルしたくなった。ところが朝食を済ませ念の為外に出ると、小雨が極小雨になっていて言い訳に使えなくなっていた。でも寒かった。

2階に上がってクローゼットを漁って防水ジャンパーとかコートを取り出し選んだ。ついこの間までUVカットや半そでシャツを着てた、昨日も半袖と短パンで今月10回目の10キロ走ったと言うのに。だが、川沿いの道を走ると丁度良い具合に温度調節で来た。

先生に問われて帰京日程と歯科医の治療スケジュールを考慮すると、天候に関わらず今日は無理してでも冬のコートを着て予約通りに出かけて正解だった。左上奥の虫歯は深い孔が開いて、先生が掃除するとゴミが一杯出て来た。孔を削ってセメントを詰め、今週金曜日に型を取って被せることになった。帰りは小雨がポツポツ降って来た。

自宅に戻るとMLBワールドシリーズの実況中継が始まっていて、二日前に肩を亜脱臼した大谷が出場していて安堵した。今年は野球ファンでもない女性達が野球を話題にする。野球部出身の私も最近は日本のプロ野球に興味を失っていたが、昔の思いが復活した感じだ。

昼食は何年かぶりにスパゲッティを作って食べた。何年か前に買ったパスタの賞味期限は来年5月だった。娘がくれたレガーロ「ペペロンチーノの希望」は今年1月で、まあ大丈夫!ちょっと多めのパスタ(110g)にたっぷり塩をかけて湯煎した。ガーリックの香りは素晴らしく美味しく頂けた。インスタントでも自分で料理して作ったパスタを食べるのは格別だった。

昨日今日は米野球より選挙が優先されて報じられたが、田舎で投票に行くこともなかった私には野球のニュースの方が気になった。といっても、自公が過半数割れした後どうやって政権を維持するのか興味がある。報道によれば、カギを握っているのは国民民主党らしい。だが、最も気になるのは1週間後の米国大統領選の行方だ。■
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地獄の峠越えとパンク、その教訓

2024-10-26 13:50:20 | スポーツ
私の「やり過ぎ」性格は生まれつきだ。だが、偽痛風で入退院後に運動能力が絶望的に劣化した後期高齢者が、本格的に回復を始めたのは9月25日に大洲市のシンボルの高山の激坂を自転車で乗り越えた時からだ。それ以降「やり過ぎ」を発揮して、自転車以外にジョギング10キロ走にも挑戦し、既に7回走り切った。正に後期高齢者のやり過ぎだ。

その意味で私にとって高山は忘れられない山になった。高山越えはその1か月前の8月に思い付きで高山に挑戦した時から始まった。登口から誤った道に取り付いた為「地獄の峠越」を経て上須戒に降り、肱川を渡る橋の手前辺りでタイヤがパンクし、橋を渡り切った所のファミレスで「天使」(大野さん)に助けられ、自転車ごと車で送って貰いDCM修理依頼し自宅まで送って貰った。

ところが暫く経ってから後輪が空気を入れても1日持たなくなった。私は山道の激坂を走るのが好きなので、2-3時間程度の距離では困らなかったが、結果的に長い距離を走れない制約になった。山間部でタイヤの空気が短時間で抜けたら大事になる、放置できず昨日DCMに持ち込んだ。

運よく他に客がいなかったので、持ち込むと直ぐに慣れた手つきで修理に取り掛かってくれた。先ず空気を抜きチューブを車輪から取り外し、再びチューブに空気を入れたところで、8月のパンクとは全く別のところに小さな孔が開いているところを見つけた。10分もかからなかった。何で分かったのか聞くと、空気の抜ける音が聞こえたと言う。

作業員はタイヤの辺りを「もさぐって」(方言だそうです)小さな茶色のゴミを見つけ、「木片」だと言って手渡してくれた。更に5ミリも満たない「木の針」みたいな物が出て来た。彼は木の針が刺さったままなので空気が漏れるのに時間がかかり、2-3時間走れるとの説明に納得した。

私はてっきり8月のパンク時にチューブがぺちゃんこになり、反対側にも傷がついたのではと推測していた。実際はぺちゃんこになる前に自転車から降りて押して行った。だが、今回のパンクは全く別の原因で、別の場所で別の日に木の釘が刺さったのだろうと思う。チューブの他の場所にも傷がついた恐れがあると思ったが、今朝タイヤを調べると異常がなかった。修理完だ。

これで長い距離が走れそうだ。パンクにも色々なパターンがあるものだと思った。多分、「木の針」はバラのトゲのようなものだろうか、東京でもあり得ないとは言えない。DCMでの修理に立ち会え作業員と気楽に話せるようになった。計1500円の費用で得た成果だ。■
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夏バテ回復か?

2024-10-24 19:39:56 | 健康・病気
今週の月曜21日は朝から体がだるかった。友人と昼食を食べた時に何故か妙に汗が出て、何時もの様に気分転換にならず、友人と別れた後も重い足取りで戻った。その後はかったるい日が続いたが、今朝起きると何故か気分すっきりしてた。何故なのかよく分からない。

何故こんなだるい日が続いたのか原因を考えてみた。最初に思い付いたのは、今年の暑い夏が続き今頃にになり夏バテになった。先週末10月半ばに大洲盆地は30.8度まで上昇した。昼間は家に籠っていたのでそれ程気にならなかったが、ニュースを見て驚いた。

翌日曜日にはこのところ定例になった10キロジョギングをした。実は今月初めに10キロ完走して以来嬉しくなり、今月5回も10キロ走し毎回ほぼ同じ記録で走れた。だが、6回目の日曜日は頑張って再開後初めて約1分記録を短縮出来た。後期高齢者になってまだ記録短縮出来たと感激した。暑さに加えて、走り過ぎが原因で疲れが出て、月曜日に疲れが出たのかもしれない。

火曜日には予約した歯医者の治療を受け、その後警察署に行き免許証再発行を相談し、スーパーに立ち寄り買物をした。これで気になっていたプランを殆ど済ませることが出来た。帰宅するとヤクルト販売の綺麗なおネーさんが来て、長長と雑談の相手になってくれ気分がすっきりした。

帰り際にサンプルの商品をくれ、更に加えて元気が出るという「ヤクルト1000」も試しに飲んでみろと頂いた。それで凄く気分が良くなり、夕方になった何時もの様に思い付いてサイクリングに出掛け、菅田町から冨士山の裏側を周り、大洲市街を通り抜けて肱川沿いに走った。

何時もなら終わる所を更に距離を伸ばし神南山の山裾の坂を走って自宅に戻った。ところが冒頭で述べたように今朝は気分良く起きることが出来た。ヤクルト1000のお陰かもしれない。調子が悪い時はスマート時計が示す睡眠時間が3時間にも満たなかったが、今朝は4.4時間を示していた。経験的には4時間以上だと気分良く目が覚める。仮眠・浅い睡眠・深い睡眠に分けて記録される。

目が覚めた時の室温は、先週土曜日は23.9度で、それから21.6度、19.2度、20.8度、21.8度、今朝は18.8度と下がって来た。単純に気温が下がって来て夏バテが解消されたのかもしれない。何故かよく分からないが、とにかく元気が戻ったように感じる。

ということで、上記の記事を書いたところで、何時もの様に突然思い付いて10キロ走った。この1か月10キロ走を始めてからこれで7回目の今日、前回に続き記録が改善した。今日も1分時間短縮した。時間短縮出来た直接の理由は歩幅が広くなった為だ。前回が12370歩、今日は12050歩だった。■
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田舎暮らし雑感2024(18)

2024-10-22 17:52:43 | 日記・エッセイ・コラム
来月半ばに帰京を控え一昨と昨日に庭師に庭の手入れをやって貰った。毎年この頃になると田舎暮らしが終わりに近づき、帰京前にやるべき事を済ませお土産を用意する、次々とアイデアが湧いて来て落ち着かなくなる。1年ぶりに会った二人の庭師さんも私と同じ様に年をとっていた。来年もお願いできるか、両方ともに健康を保てるか不安だった。もしかしたら帰郷出来ないと伝えた。 

今年の猛暑もあって庭の手入れが殆どできず雑草が背丈近く伸び、かつ体調も十分でなかったので私はほとんど何もしてなかった。初日は庭師というより草刈りをして貰い、二日目から本来の庭木の手入れをやって貰った。二日目の午後外出から戻ると休憩中の庭師さんが疲れた様子で東屋のテーブルに突っ伏して休んでいた。その気持ちはよく分かったが、やはり心配だった。

母が長年かけて育てた隣家との境の茶木と五月の生垣は、雑草を処理して貰ってもデコボコでかなりみっともないまま。だが、それは庭師のせいではなく毎日手入れした母がいなくなったからだ。生垣はまだ残っているが、シャクヤクやユリなどの庭の花は雑草の中に消えてしまった。

私が最もがっかりしたのは庭の柿や梅の実が今年は全く実らなかったことだ。近所も事情は全く同じで毎年頂く好物の柿が、今年は頂けなかった。どこの家も同じ事情だと庭師は言う。だが、商売で育てている柿などの果物はちゃんと育っているという。確かにスーパーの棚にはある。

今年は4月半ばに帰郷した時から実家は異常だった。家の中はカメムシの死骸が沢山転がっていて、その後洗濯物を干すと時折カメムシが付き臭いが酷かった。一方、蚊や蛾とかゴキブリなど気持ち悪い虫は、今年は殆ど家の中に入ってこなかった。猛暑が良い方向に影響したのかもしれない、ただここに来て涼しくなるとゴキブリだけは時折目立つ様になって来た。

ゴキブリは見つけると直ちに処理するようにしてる。武器は殺虫剤で追い込み、ホウキかスリッパでぶん殴る、最後までしつこく追及して処理する。一方、蜘蛛とヤモリは見ただけで気持ち悪いが害虫を捕食する「幸運のお告げ」として放置している。家の外の蜘蛛は単にキモイだけだが。

帰郷以来ほぼ毎週のように歯科医の治療を受けているが、帰京後に自宅の近くの歯科医に診て貰うのを何とか避けたいと思うようになった。昨冬まだ東京にいる時、「他の歯科医で受けた歯の治療には余計に5000円払って下さい」と言われたからだ。だが、東京だろうと田舎だろうと変わらない、歯の治療は次から次の虫歯へと移っていく。東京でもそうなるだろう。

来月半ばの帰京までに全ての治療が終るか分からない。先生にはいつ頃帰京するかは言ってあるが、今日の治療が終わった時に余計な5000円の件は先生には伝えなかった。治療が終わると警察署に行き免許証の再発行の相談に行った。住所が東京のままだと再発行の手続きが面倒だ、当地の大洲警察署ではなく八幡浜警察署に行く必要があると言われ、帰京後手続きすることにした。■
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