かぶれの世界(新)

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恍惚の報い

2012-02-06 13:16:13 | インポート

久し振りに家族が集合して恵比寿で食事をした。昨日は少し寒さが緩み午後の日差しに暖かさを感じた。娘が予約してくれた恵比寿駅前の中華料理の京鼎樓(じんてぃんろう)で、孫の顔を見ながら美味しい小籠包(ショウロンポウ)を頂き、恍惚の時間を過した。

最初はブランチの積りだったが、お店は人気があるらしく1時半からしか予約が取れなかった。定刻に店に行くとお店は満員で行列が出来ていた。やっと席に着いて最初に頂いたのがカニ味噌入りの小籠包で、沢山食べた中でこれが結局一番美味しかった。お店のスタッフに伝えると、人気メニューだという。

私には点心とか飲茶とかディンサムとか何が何なのか区別が付かない。台湾や香港とか米国で食べたものは例外なく熱くて舌を火傷するので、一旦スプーンに乗せ箸で抑えてお汁を出して食べたものだ。子供達が口を揃えて美味しい食べ方じゃないと言う。実際このお店では程よい温度に下げてあった。何だか物足りない。何れにしろ、少しずつ食べても気がつくと満腹になった。

勘定を終えてガーデンプレースに向かった。長く東京に住んでテレビやネットでは知っていたが、そこは見たこともない無国籍な風景だった。30年位前に五反田のTOCでショーをやった後立ち寄った時の恵比寿の風景は何一つ残ってなかった。テントの出店が出て何か催し物をやっているような人出だが、お祭りというよりサーカスといったテーストだった。

その先にある三越百貨店内のハーブスでお茶を頂いた。若い女性が多く、子供達と一緒でなければ絶対来ることもないようなカフェだった。それでも何時もの週末より客は少ないとのこと。ここはミルクレープが人気だと聞いて、物は試しで‘ストロングコーヒーと一緒に頂いた。果物と甘い生クリームが一杯で凄いボリュームだった。ついつい全部食べてしまった。それがいけなかった。

自宅に戻り夕食はお蕎麦で軽く済ませたのだが、風呂に入り体重計に乗ると68.4kgもあった。私にとっては黄信号どころではなく、赤信号だ。この体重まで到達した時は必ずコレステロールが危険値を大きく超える。頭の中で赤いランプが点滅し、甲高いブザーが鳴った。■

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参院選結果のメッセージ-保守王国の反乱

2007-08-04 22:30:18 | インポート

主党が支援する昨年まで現役だった元Jリーガーが自民党のベテラン議員を破り、初めて私の田舎で野党候補が議席を獲得した。これが驚くべきことに四国全県の現象であり、全国の1人区で起こったことだった。地元のテレビ局はこれを「保守王国の反乱」と称して特番を組んでいた。

残念ながらうっかり番組を見逃したが題名を聞いてその内容は予想がついた。構造改革で公共事業の予算など国から資金のパイプが絞られ地方は苦境に陥った。資金を地方に誘導する役回りの自民党支援団体の集票能力が低下し、民主党がそこに代案を提示し受け入れられた結果というものだろうと推測する。

前回の郵政解散の衆院選の結果を、従来野党の票田だった若者を中心とする都市部と無党派の票が小泉自民党に流れた現象を「都市の反乱、若者の反乱」と評価した。それと一体何が違うのだろうか。

「都市の反乱」とは、都市で生んだ富を車が殆ど通らないような地方の道路や豪華な公民館を作るという効率の悪い投資に無駄に使われ、その間都市の国際競争力が低下、ひいては日本の地盤沈下に対する不安、「若者の反乱」とは、バラマキ政策で積み重なった国の借金を次の世代に先送りする老人(既得権益)世代への反発というものであった。

争点を俯瞰すると格差は富の配分にかかわることであり、今回の参院選は議論が深まらず振り子が左右に振れるだけで議論に進歩が見られない結果だった気がする。未来の少子化・老齢国家を一体どうすべきか、子孫に何を残すのかという議論がない。困っているから何とかしろという議論ばかりだった。

このような事態を克服するのは政策決定プロセスを変えることから始めるべきであり、小泉改革はその端緒であると期待した。田中直毅氏はそれを2005年体制と呼び継続性があるプロセスと説いたが、今回は結果論のみ議論されそれが検証されなかった。

選挙を保守王国の反乱で済ませたのでは何も変わらない。次の選挙では振り子が逆に振れ、都市か若者が反乱を起こす。今日の新聞によると都市人口が50%を超えたそうだ。老齢化社会といえ、いつかは今の若者以下の比率が多数派となるのだから。■

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生活変えたら - 本音編

2007-05-13 23:56:16 | インポート

覚君、コメント有難うございます。種明かしすると、人の役に立つボランティア活動をする高尚な目的の為に生活を変えたのではないのです。今の生活パターンに飽きたからなのです。コンサルタントの仕事も開店休業状態だし、働いてお金を稼ぐのを終わりにしようと思ったからです。

私は同じ生活パターンを長く続けることは出来ない人です。会社勤めしている頃(管理職になってから)、同じ会社内でも2年から3年周期でかなり劇的に担当業務が変わり、それによって幸運にも生活パターンを変えることが出来ました。

実際、早期退職までの最後の15年間は生産から営業まで7つの領域を担当しました。2-3年サイクルで色々な経験をさせゼネラリストを育て、その中で幹部を選抜昇進させていく日本の大企業に典型的な年功人事システムの中にすっぽり入り、ある意味楽しく仕事をしました。

私の場合、この会社内転職サイクルは新たな知識を学び、内外を旅行し人と知り合う機会を与えてくれるものになりました。うんざりしてやり残したことを全て忘れて新しいことに取り組める機会を定期的にタダで与えてくれる仕組みは私には決して悪くはありませんでした。

私の場合、新しい部門の責任者として赴任すると新しい役割とスタッフを理解するのに約1年かかり、成果が出始めるのは2年目に入ってから、3年目にはややマンネリになるパターンを繰り返したと思います。お陰で真の専門家になることは出来ませんが私は気に入っていました。

先日エルピーダの坂本社長が外資系の会社では1年以内に成果を出さなければならないとテレビで答えていました。かつて一緒に働いたコンサルタント諸氏は1年といわず出来るだけ早く効果を見せ(Quick hit)ないと信頼を得られないと言ってました。その点私は時間がかかり過ぎました。

退職後は自らアクションをとらないと何も起こらないことに気が付いたのですが、いつも変化に対し受身だったので中々その気にならず、今回が退職後初めて自分が決めた軌道修正でした。といっても活動の場は変わらず経済を含め生活環境を激変させた訳ではなく、精神的な切替が主の気楽なものでした。

ということで、多分1年も経つとボランティア活動についてウンチクを語るようになり、2年経つとそれなりに貢献できるようになるけど飽きてきて、3年以内に又新しい何かをしていると思います。■

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再び、天邪鬼「格差社会」考

2007-02-23 21:48:51 | インポート

倍内閣はここに来て当初の成長戦略から格差問題に基本政策の軸足を移したようだ。参院選を控え支持率が危険水域に低下し自信が揺らぎ、野党の攻勢に浮き足立ってメディア受けのいい格差問題をテーマに生煮えとも思われる対策を矢継ぎ早に出し始めた。

野党もメディアも格差を最大の悪として政府攻撃の材料とするのは、私はちょっと違うんじゃないのか、同じ格差問題でももっと他の角度からの切り口があるだろうと思う。結果論的な問題のみ指摘する動きは、小泉以前に戻そうとする動きに他ならないと私は憂慮する。

格差問題は既得権益支援に向う

ニュースショウが取り上げる貧困層の支援だけに焦点を当てた政策に格差問題が矮小化されると、そもそもこういう状況を作り出した根本原因・仕組みと責任を曖昧にし、温存させる。格差問題の裏でこれを機会に既得権益を守り、新たな権益すら生まれる可能性がある。

例えば地方格差を取り上げると、何故夕張市が再建団体に陥ったか、その他の自治体を含め転落の経緯を当時係わった政治システムとその責任者たる官僚・首長・議員の名前を明確にし、再発防止の仕組みを作らなければいけない。今回彼らに係わらせていいのか、そしてそういう代表を送った住民の選択も反省してもらう必要がある。

それは小泉首相が進めた構造改革であり、国民の圧倒的な支持を受けた所以である。安倍内閣が改革続行内閣といったのは、この改革精神を引き継ぐことを宣言したと受け取られ高い支持を得た。そして、今その精神がぐらついていることが支持率低下の根底にあると理解すべきだ。

自助の精神とタカリの構造

二つ目の指摘として格差問題を公的支援にフォーカスすると、又もや公共事業や補助金を期待する「タカリの構造」が息を吹き返す恐れがある。今求められているのは苦難に耐えて互いに助け合う「自助の精神」なのである、それは昔からあった日本人の優れた精神の復活だ。

それは「助け合い精神」だったり、「お天道様が見ている」式の高い道徳心、勤労精神だった。そこに政治が介入し「公」が係わった時から精神の堕落が起こり、票目当ての政治が更に事態を悪化させ悪貨が蔓延るが如く意地汚い「たかり精神」が残った。

格差問題を下手に公が手を出すと結局「予算ばら撒き」で終る。やるなら先ずは制度的な格差、例えば年金の官民格差を是正すべきであり、本当に生活に困った人達に生きていくための最低限の生活を出来るようにしてあげることに留めるべきだ。

部分最適と全体最適

三つ目に格差問題は端的に言うと国家が栄え強くならなくても国民は幸せになれば良いのか、果たしてそういう解が存在するのかという問いかけである。歴史的には一時期そうあっても継続した例はない。経済成長を牽引した者が報酬を得ることで格差は拡大し、それが徐々に全体に広がり国が栄えるのは自然な流れである。

小泉首相が指摘したように格差が拡大したと非難するのは筋違いである。失われた十年間に浪費された国富とその後の建て直しで我国が停滞した間に、中国には世界の資本が投下され急成長、日中のGDPの差は5倍から2倍に縮小、国民の収入も急増し日本以上の格差拡大が起こった。どつぼに入って始めて民意は永田町の優先順位と異なることを明確に示した。

誤解を恐れずに言うと最低限の生活を維持していく為のコストを低下させることも強力な支援の一つである。当初まがい物を売っているように感じた100円ショップの最近の充実振りは目を見張るばかりである。品揃えも増えてコンビニから顧客が流れている。米国で暮らしたとき食料等の基礎的な生活費の安いのに驚いたが、現在はそのレベルに達したのではないだろうか。

公的な支援はその意味で医療費や介護など自助努力では解決できない領域に限るべきである。制度的な格差の修正こそ優先して取り組むべきことである。企業の労働法違反は論外だ。しかし、選挙対策としか見えないような支援パッケージを次々と立法化するのは、過去を反省しない愚行であり厳に慎むべきこと。その上で政府は改革の旗を高く掲げ推進すべきである。■

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私的・民意の測定とメディア(中)

2006-09-16 14:57:07 | インポート

選挙直後メディアが報じた小泉政権の歴史的な勝利の解釈に違和感があったが、暫らくたって出口調査のデータに基づく分析にインタビューを補足させ本質に迫ったと思われる報道に出会った。

出来が良かったNHKの衆院選分析

確か昨年の総選挙一週間後のBS1週末のニュース番組だったと思うが、結果分析は奇をてらわない唯一まともなものだった。番組は出口調査データをキチンと分析し、変化を起こした選挙民像を生き生きと描き出した。評論家の思い込みやイデオロギーは一切無く、データに語らせた手法が却って新鮮で信頼性を高めた。

私はたまたまNHKの出口調査を受け、その質問内容からその分析を引き出すだけの情報量があることを実感した。一言で言えばこれは信頼できると思った。(それを踏まえて、この評論家はこういう理由でこう解釈すると報じるのがベストなのだが、不偏不党のNHKにはそれはない。)

一方民放の選挙結果分析は予め準備されていた評論家の私見とも言うべきもので、根拠としてメディアが選別した投票者の声を流すだけだった。果たしてそれが民意を代表する声か根拠が不明確なものだった。メディアの取り上げた市民の声や専門家の意見は、メディアが報じたい内容にそった恣意的な選択になっていた。速報性を重視したと言うのは言い訳にはならない。

批判の為の批判

政府だって都合のいい情報ばかり流すのだからバランスをとる、権力に対して常に批判的な姿勢をとると言う考えは理解できる。しかし、真実や物事の本質を捉え世の中に伝えていく役割を忘れた批判は、批判の為の批判になり、いつか信頼を失う。メディアが信頼できない国は不幸なことだ。

先日ニュース・ステーションのキャスターが小泉時代を突然「失われた5年」と言いだしたのは唐突で不可解な独りよがりと私には感じた。話を聞いているとこの人達は構造改革以前の派閥のボスが仕切る既得権益政治に戻りたいのかと感じることが度々ある。

民意の軽視は自らの首を絞める

小泉首相の5年間を総括する中で、小泉首相の高支持率は国民が小泉劇場に乗せられたものであるという論調が多い。小泉首相の成果を低く見る為に世論調査の支持をダウンプレイする傾向がある。そうなると逆説的だが、世論調査結果を分析して報道の正しさを検証すべきである。小泉劇場と決め付けた時点で思考停止しそれ以上本質に迫る努力を止めてしまう。

先の靖国参拝報道と前後して実施された世論調査の食い違いは非常に分り易い例だった。報道は中韓の反応にフォーカスし、まるで紛争を期待するかのように声高に報じた。事の善悪より寧ろその報道姿勢が反感を呼んだ。何故食い違ったか分析せず又もや小泉マジックに惑わされたと決め付け、驚いたことにそのあと黙り込んだ。私には「世論の反乱」のように感じた。

真実は海外と市場に聞け

この3年事件が起こる度に新聞・テレビ・雑誌などの報道を追っ掛けた結果、日本メディアの報道だけでは真実に迫れない場合があると度々感じ、気になる事件は海外の主要メディアをチェックするようになった。彼らの見方には表面的な側面はあるが、利害関係が無く思わぬ視点から本質が見えることがある。殊に小泉改革に対する評価が180度異なることが多いのには頭を捻った。

又、経済に限ればマーケットの反応は極めて直截的だ。お金が係わると徹底的に透明性を追求し、その評価が正直に株価や為替相場に現れる。恣意的な偏見が入る余地はない。どういう言い繕いをしようと、構造改革が停滞すると見做せば海外の投資家は資金を引き上げ、あっという間に株式市場は下げ相場になる。勿論それは経済にとって良し悪しの判定だけではあるが。■

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