かぶれの世界(新)

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雇用が民主党政権の命取りに

2009-09-30 12:26:38 | 国際・政治

鳩山首相の外交デビューは概ね成功と見られているが、G20直後の成果は皮肉にも円高と株価急落だった。政権交代後100日以内でまだ批評を控える試運転の段階だが、早くも難問山積で政権舵取りは容易ではないだろう。それは予想されたことだが、ここに来てもっと厳しい状況になる可能性が出てきたように感じる。

新政権は経済無策?

最も懸念されるのは一貫した経済成長政策が見えないことだ。総選挙の前から指摘されてきたことだが、矢継ぎ早に打ち出される新方針からもまだ具体的なプランがうかがえない。消費者に直接支援して民需を喚起するという以外にコレといった景気対策が見受けられないのは異常だ。

総選挙圧勝後の派手な外交デビューとマニフェストに基づく新方針連発の高揚感で見逃されているが、気がつくと経済無策が足元の実体経済を危うくし今後具体的に出て来る現実が、早々と民主党政権に冷や水をかける恐れがあるように感じる。民主党政権はこの現実を直視して早々に手を打つべきと信じる。

雇用悪化と株価低迷が政権の脅威

何といっても先ず雇用の問題だ。善悪の問題はさておき公共事業の見直しは特に地方の雇用悪化をもたらすことは避けられない。G20とその後の藤井財務相の不用意な発言は直ちに円高を招いた。民主党政権下で派遣禁止の行方を案じ、円高が続く経営環境が避けられないとみて、頼みの製造業は生産拠点の海外シフトを加速させるのは必至と各紙は報じている。どうやって雇用回復するのか私には分からない。

更にメインストリームメディアは殆ど報じていない問題がある。日本が売られているのだ。総選挙があった8月末から世界の株式市場は米国・欧州・アジアは全て上昇しているのに、日本のみ株価が下落している。どこに投資したら一番儲かるか、日本に投資しても大丈夫かという、新政権の高揚感など無い投資家の冷徹な判断は無視できない。

国内の高支持と海外の冷めた目

亀井金融相のモラトリアム・郵政民営化後退は金融株を暴落させ、経済界だけでなく政権内にも懸念する声が出ている。円高進行に慌てた藤井財務相は発言を訂正した。海外の投資家はこのような発言のブレで、元々経済政策に不安のあった新政権を疑いの目で見るようになった。私は信頼回復のための具体的景気回復プランを早急に示すべきだと思う。

雇用悪化が更に悪化するような事態になると内需回復など期待できず、株安は年金資金の運用損など徐々にボディブローのように効いて来る。そうなると、折角の政権交代で進むと期待された政治改革が支持を失い腰折れになる可能性がある。

金の切れ目が政権失速の始まり

足元での鳩山内閣の高い支持に基づいた改革も、国民の財布が寂しくなった途端に冷めてしまう。加えて民主党は総選挙に圧勝したが、国民は政策を支持していないことにもう少し謙虚になるべきであると思う。国民新党・社民党の政策を支持して民主党に勝たせた訳ではない。新政権の維持の為には民意を探りながら修正を図る慎重な運営が必要ではないだろうか。

最後に基本に戻って単純な内需重視が、我国にとって適切で経済を牽引できるか再考すべきだ。日本は本来輸出立国で外需が日本経済を引っ張って来た。少子高齢化が進む我国はグローバル経済から利益を得て豊かになるのがベストだ。利益配分を見直し国内需要の喚起を図りつつ、世界同時不況後の枠組み作りに積極的に参加して国益を守る、そういうセンスを持ったリーダーシップが今求められる。■

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炭酸抜いたら痛風が飛んだ!

2009-09-27 21:16:48 | 健康・病気

定期健康診断を受けた1週間後の先週金曜日に結果を聞いた。かかり付け医者の見立ては前回に比べて全体として良かった。降圧剤服用の効果で血圧が下がり、体重と近年話題のメタボリック・シンドロームの象徴である腹囲が減少したことを最初に指摘された。

先生は生化学検査結果を見て、「肝機能が改善されたように見えるが・・・」と、腑に落ちないという印象の口振りだった。私は節制しましたからと答えたが、期待した答ではなかったのかそれ以上の質問は無かった。肝機能は悪化する一途で理屈に合わないということか。

次に指摘されたのは尿酸値がかなり下がって正常値まで戻っていたことだ。突然の激痛以来約10年間痛風と付き合ってきた。足の親指と小指の辺りが赤みを帯びてかゆくなり終いに痛風になると経験上分かっていたが、この1年間その気配が無かったので予測した通りであった。

一方、コレステロール値は期待に反して余り低下してなかった。依然として高脂血症と呼ばれる範囲にあったのは予想外で残念だった。気にしていた眼底検査では昨年「軽度の動脈硬化」があるとの所見があったが、今回所見なしと診断でホッとした。

私自身は近年では体調が最もいい状態にあると感じていたので、当然のように健康指標が改善するのを期待していた。改善したのは予想通りだった。何故、改善したのか私の生活習慣を振り返ってみる。余り論理的ではないが個人的に効果があったと感じる順に整理してみる。

1)    ウォーキング 散歩やジョギングは不定期的に続けていたが、ちょうど1年前頃から食後の散歩を始めた。最初は朝食とか昼食後の散歩から始め、この半年は毎食後3-5km散歩している。そのうち1km位は軽く走る時もある。食べたものが身につく前に消費してしまおうという考えだが、果たして理屈にあっているのかどうか。

補足1 散歩する代わり週2回ジムでのウエイトトレーニングは止めた。激しい運動よりもゆったりと散歩する効用、特に脳を刺激する脳内分泌効果説を最近見かけたが、具体的な効果は自覚できない。

補足2 週一バドミントン練習(田舎では週三)は私には激しい運動で、その翌日血圧が正常値に下がりその後徐々に上昇する。グラフにプロットすると電子回路でおなじみの「のこぎり派」のようで、多分身体の中も類似の化学反応が起こっていると思うと面白い。

2)    炭酸抜き ビールからコーラやサイダーなどソフトドリンクまでソーダ飲料を全て止めた。プリン体が高尿酸の原因だと知り数年前ビールを止めたが、それでも痛風の症状が出たので今は炭酸が原因だったと感じる。今たまに炭酸入りのビールやジュースを飲むと酷く美味しい。

3)    アルコール習慣 上記の炭酸抜きの取っ掛かりとしてビールを止め、ウィスキーを経てワインや焼酎を飲むようになった。更に最近になって寝酒を止めた。より大きな健康効果は酒と同時に就寝前にツマミを食べなくなったことだと思う。

寝酒を止める時は寝つきが悪くなるのを心配した。最初はツマミを大好きだったチーズ類から冷奴に変え、次にアルコールの代わりに豆乳にしてお腹に何か入っている状態で寝た。結果としては余り苦労することも無く短期間に寝酒を止めることができた。

4)    食の生活習慣 基本的に野菜と魚類を多めに取り、脂分の多い揚げ物はなるべく避けるようにしてきた。朝食はヨーグルトに果物と牛乳、時間を置いてコーヒーとクッキーを食べる習慣を数年続けたが、特別健康に変化があったようには感じない。が、好きだからまだ続けている!

昨年末の田舎生活頃から肉類は牛を止め豚にした。理由は単純、豚のほうが身体にいいと誰かに聞いたから。気になることは田舎にいる間、母のツマミ食い対策で毎度1食しか作らないようにし、勢い殆どはレトルト食品や麺類になった。長期的には健康に影響があるかも。

5)    心の平和 母の介護や子供達が直面する問題を考えると心配になるし、昨年の世界同時不 況で個人資産がダメージを受けた時ははとてもがっかりした。しかし、今年になり景気は底を打ち回復の道を辿り、長男は結婚した。私も人の子、その頃から寝つきが良くなった。

   更に付け加えるなら、この年になっても興味を持って新しい機会に尻込みせず、新しい友と知り合い、心の張りを保つことが健康の維持に繋がっていると感じる。「養老院内の恋愛や性が高齢者の健康に貢献する」というある調査結果は、平和より心の張りが今後の私の健康維持に役立つ示唆のように感じる。

ここ数年では体力の衰えは感じるものの、最近の体調はとても良くなったと感じる。散歩する時背筋を伸ばして腰から歩くように歩き方を改めた頃から、バドミントンやジョギングなど運動の後の筋肉痛や膝疼が和らぎ、疲労回復が早くなった気がしていた。

何が体調改善に貢献したのか整理してみたが、悩みのタネだった痛風の原因であった高尿酸については炭酸を止めた効果は間違いないと思う。食後のウォーキングは肥満の防止以上の効果があるように思うが、最近始めた寝酒や食生活の改善と合わせ様子を見たい。

そう思って生化学検査結果をパソコンのスプレッド・シートに入力して、指標の遷移をチェックしてみると、意外にも改善幅は過去データのばらつきの範囲程度だった。体感健康度はとてもいいのだが、数年前にはそれよりいいデータだった時もあった。私事になると過剰に反応する傾向は何時までたっても直らない。

最後に今回の健康診断を受けるにあたり、心と健康の関連について今までに無くその重要性を感じた。私がどういう老後を過ごしていくのか大事な課題になる気がする。■

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民主党政権の課題: 総論賛成各論反対のワナ

2009-09-25 18:30:07 | 国際・政治

米国で鳩山新首相が派手な外交デビューを飾っている一方、国内では前原国土相が就任早々難問にぶつかっている。一昨日は八ッ場ダム中止の現地視察、昨日は日本航空(JAL)再建問題と何れも自民党政権時代から解決が先送りされてきた難問だ。

民主党政権は国民の圧倒的支持を得て誕生した。本来なら政策が支持されたと言うべきところだが、今回は自民党と官僚に対する不信感から政策の内容より(官僚主導の)政策の決め方が、それを実現する為の「政権交代」が選択されたことは各種調査結果からも明らかである。

民主党の政策がそれ程支持された訳ではないとすれば、八ッ場ダム問題のように今後具体的な政策で「各論反対」が続出し、新政権は対応に苦慮する事態が起こるのは必然と私は予測する。これらは起こるべくして起こるいわば構造的な問題であり、二者択一の善悪の問題ではない。政権与党とは如何なるものか貴重な教訓を得ることになるだろう。

今までの民主党の役割は、多数の意見を反映した政治では救えなかった少数意見を伝え、境界領域にある人達に政治の光を当てる少数野党としての存在意義があった。しかし、一旦政権をとったらそうは行かない。先ず総選挙で示された最大多数の意思を尊重した政権運営が求められ、それに応えようとすれば新たな少数の意見や反発が出て来るのは当然といえよう。

ある意味、ポピュリズムを煽るメディアを利用した民主党が払う「ツケ」のようなものだ。何れにしろ、上記のごとく民主主義が多数の利益を優先する政治システムである以上、少数の不利益は必然的に発生する。次のステップとしてそれをどう救っていくか配慮していくアプローチしかない。

今後も同種の問題が続いて出て来るだろう。昨日も、子供手当てを貰えなくなる境界領域の人達は政策の根拠を問い、声高に自らの苦境への配慮を求める人達を伝えるニュースを見た。何故高校生を持つ親は手当てを貰えないのか、何故年収1千万円の人達にも同じ扱いをして手当てを与えるのか。

政府支援を求める声は止まらない。今日はJAL社長が再建の政府支援を求めて前原大臣と会い再建プランを説明したと報じられている。国民はこれら個別問題に民主党がどう対応するかじっと見守っている。だが、恐れることはない。

民主党はポピュリズムに直面しても基本原則を曲げず、支持を受けた政策決定プロセスに従って粛々と意思決定をしていくべきだと考える。これが政権誕生直後の難問題を切り抜ける最善手だと思う。

連立政権としての不安もある。それは連立与党の少数党が支持基盤の利益を主張し、全体最適を損なう事態が発生することである。かつて自社さ連立政権では社会党がコペルニクス的大転換して全体最適に順じたが、結果として社会党は存在意義を失った。

今回も彼らの支持基盤の利益確保は党の存続にとって死活的テーマであり、前例に倣って容易に妥協することはないだろう。そういう事態が生じる可能性は高い。鳩山内閣は政局(小沢氏が活躍する事態)にならないようにならないよう、参院選までの政権運営も重要な課題だ。■

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平均寿命世界一のコスト(続)

2009-09-20 17:18:16 | 社会・経済

「#$%&x!」女性の声がロビーから診察室からレントゲン室など病棟へ続く廊下に響いてきた。 声の方向に目を向けると、割と品のよい身なりの老婦人が自分の順番が遅いと看護婦に抗議しているようだった。品のよい身なりから醸し出される先入観と言葉の強さに違和感があった。

それは、私の住む市が40歳以上の市民に提供している無料健康診断を受けた時のことだった。毎年7-9月の3ヶ月間に実施されるが、9月に入り涼しくなった先々週あたりから受信者が急増したそうだ。定刻の9時半より10分前に病院に着いたのだが、既に待合室は受診者で一杯だった。

病院はある程度予想はしたものの、見た目には医者や看護婦が夫々の検査に並ぶ受診者の長い列の間を駆け巡って右往左往しているように見えた。世界に冠たる日本の製造業の効率的な生産ラインとは大違いで、あちこちにボトルネックがある非効率なものだった。

健診の為に前日夜9時から絶食してきた人の中には、11時頃になると空腹で待ちきれず苛立ってくる人が出て来るという。後から来た人より自分の順番が遅いと大声でクレームする冒頭の老婦人の一件が落ち着いた後、看護婦さんは慣れた口調で話してくれた。

私の健診が終った時は12時半頃だった。そういうこともありうると覚悟して本を持参した。こういう時受診者は文句を言うより余裕を持って笑顔で接したほうがいい。冗談を言って気分転換をさせ、大変だねと言ってハードワークに対し感謝の念を示すと、一生懸命やってくれポロッと病院の事情など話してくれる。お互いに気分が悪いまま物事を進めるよりよっぽどいい結果が期待できる。

今や医療はサービス産業で、消費者である患者はお客様という認識が行き渡っている。医者や看護婦もそういう雰囲気を出して仕事をしていたが、効率化という点では後発産業だ。この医療問題は種々指摘されているが、一方で患者側の問題で医療を劣化させている側面がある。

「お客様は神様」と言い黙っていても良いサービスは当たり前という、ビジネス論理が医療行為に持ち込まれて光と影の部分があると私は常日頃思っていた。こういう影の傾向は医療だけでなく教育・社会保障などの公的サービスの領域にも幅広く広がり、劣化させていると危惧する。

その中でも社会の安定剤となるべき老齢者世代の引き起こす社会の劣化が私には気になる。老人国になる日本で、その主要な部分の劣化が続く将来危機を恐れる。冒頭の健康診断で私にはやや醜悪と感じたシーンは、その一例を垣間見た気がする。彼等は単純に「待つ」ことが出来ないのだ。現実には「待たされる」という受動的な状態が犯罪になるケースが多いと報告されている。

昨今は社会全体に何かと政府に頼ろうとする傾向を感じる。中でも老人が苦境に直面し辛抱できなくなり、自己抑制や自力(近隣の助けも含め)で問題解決しようとしなくなったように感じる。それは介護や病気に苦しむ人達ではなく、いわゆる「すぐ切れる老人」達のことだ。近年の報道を見ると明らかに切れた老人世代の犯罪が多くなった。

メディアは目立つ若者の凶悪犯罪として個々の事件をセンセーショナルに報じるが、以前投稿したように若者世代の犯罪は戦後一貫して減少している。社会全体では改善してきているのだが。一方、高齢者の犯罪が過去10年急増していることが報じられてない。

平成20年度の犯罪白書によれば 、平成9年度から10年間で10代の一般刑法犯検挙人員は3分の2に減少したが、50歳以上の中高年検挙人員数は人口増加比率を上回る勢いで増えている。ざっと目の子で50代が倍、70代は4倍も増えているのだ。この増え方はどうにも異常だ。

私は今まで年金・医療費から交通事故まで高齢化社会のコストについて懸念を書いてきたが、どうも個別政策ではうまく対応出来ない、放置できない状況にあると危惧する。政府も当然気がついて手を打とうとして来たと思うが、今までのところ国民の共感を得る有効な手立てが無かった。

振り返ると個別対策より何か高齢化社会に対応した包括的なプログラムが欠けていたように私は感じる。多分それと並行して昔老人が尊敬された所以である知恵、辛抱とか自立心を取り戻して貢献する社会的運動みたいな雰囲気が社会全体に醸し出されないと難しいような気がする。

日本的文化の中では微妙な取り扱いが必要で、そこのところで今まではうまく行かなかった。日本軍隊では1日でも早く入隊した兵には服従するという極めて日本的な文化は今も続いている。総選挙惨敗後の自民党の総裁選で、老害全開の派閥のボスに退場を求めたのは始まりの始まりかもしれない。 

多くの若い議員が選ばれた民主党新政権にそれが出来るかまだわからない。個別対応は結果的にバラマキ政治の域を脱せず、いつか日本を夕張市化させることになる可能性がある。その恐れも無きにしも非ずだが、もう少し様子を見るべきだろう。■

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私的リーマンショック1周年記念

2009-09-15 10:35:38 | 社会・経済

ーマンショックから早いもので今日でまる1年経った。世界大恐慌になるか恐れおののいたものの、世界経済は意外に力強く回復の道を辿っている。1面から経済ニュース欄に移ったものの、9.118周年は何気にやり過ごした新聞及びテレビメディアも、リーマンショックについては特集を組んでこの1年を振り返っている。

私にとっても会社勤めを辞めて以来最も刺激的な1年だった。ここで振り返ってみたい。

5-6年前頃から米国内の報道を見て住宅バブルを私は注目していた。不動産業界の知人は自分のところは大丈夫と楽観的だった。日本列島全体がバブルに浮かれた時代と異なり、当時の米国の不動産バブルは州によって状況が全く異なり、今から思えば全体像が見えてなかった。

その頃は私もそれが世界に波及する大問題だとは思わず、やがて自分の身に降りかかる世界的危機に発展するとは予想もしなかった。当時は退職金を元手に、高リスク資産でも投資の種類と国や通貨の組合せで分散させて運用すれば、全体としてリスク管理して高いリターンを得られると考えていた。だが、あちこちに地雷が埋められていた。

しかし、1年前のリーマン・ブラザーズの経営破綻が全てを吹き飛ばした。住宅価格の暴落により焦げ付いたサブプライム・ローンが世界有数の投資銀行を破綻させ、世界の金融システムを揺るがした。半年前ベアスターンズを救済したのに何故という思いは今でもある。

1年前のブログの記事を読み返すと、私自身予期せぬ出来事に動揺し、米政府は何という決断をしたのか、必ず高いツケを払うことになると嘆いている。言ってもせん無きこと、パンドラの箱は開けられた。しかし、その後世界中がひっくり返る展開になるとはまだ予想してなかった。

何故そんなことになったかというと、金融技術によって細分化されたサブプライム住宅ローンが証券化され「優良マーク」格付けをつけて世界中に売られていたからだ。これが、米国内に限定できたはずのローカルな問題を世界に伝播する媒体となり、グローバル金融システムを信用不安に陥れた。発端は米国だが、世界の金余り現象もこのドラマの重要な役割を果たしたと言える。

更には、インターネットが信用不安の伝播速度を瞬時に加速させ、「世界同時信用不安」と呼ばれ世界を震撼させることになった。企業は直ちに設備投資を抑制、労働者は職を失い消費は失速、新興国への資金の流れが絶たれた。企業の引き締めもコンピュータ化され、史上かつて無い速さで実施され、世界経済縮小の速度が恐怖を呼んだ。

私の僅かな金融資産も例外なく暴落したが、振り返ると比較的早く正気に戻り対応をしたと思う。

は分散投資したといっても、全ての資産が影響を受け暴落の影響は甚大だった。高リスク資産であっただけ下げがきつかった。暴落した金融商品の損を確定する資産売却をする気にはならなかった。根拠無く塩漬けにした訳ではないが、萎縮して動けなかった側面もあったのが正直なところだ。最初は恐怖で的確な判断が出来るか自信がなかった。

しかしパニックにはならなかった。この世界同時不況は「恐慌」にはならないという(希望的だが確信的)読みがあった。1929年は各国政府は考えうる最悪の施策を打ったという知識があり、今回は世界中の政府が恐慌を防ぐ為に史上かつて無い規模の救済を連携して実行したからだ。又、新興国は度重なる危機で学びショックを和らげる準備が十分ではなくともある程度できていた。

加えて私自身、市場で一体何が起こっているのか情報収集に努め、個々の物件情報だけでなく世界で何が起こっているか注目し大局観を失わない様努めた。運良く最大の投資物件について詳細な報道が続き、情報不足で不安に押し潰されるような事態にはならず、心の平静を保てた。日本での報道はネットを通じて殆ど事前に知っており、専門家の過剰反応もやり過ごせた。

今年に入り3月になると、シティバンクが業績改善の社内向け情報が伝わって以来、市場は急ピッチで上昇に向かった。その後は新興国に引っ張られる形で、先進国の実体経済も底を打って回復の道を辿るようになり、今日では株式市場は若干過熱気味となり調整段階にあるようだ。

今年初め頃だったがNYタイムズの経済欄にあった簡易ツールを使って、損を取り返すために何年必要かシミュレーションをやった。楽観的な条件でも10年弱かかる見積もりが出てがっかりしたものだ。しかし、実際のところ私は何とか個人資産の危機を脱したように感じる。

今朝のCNBC放送によれば、リーマンショック前に比べダウ平均は86%だという。実際のところ私の現在の金融資産はピーク時からマイナス15%程度だから、大体世間並みの水準に回復していると思っている。因みに「金」はプラス34%だというから、人間の心理は昔も今も同じようだ。

、世界経済が回復途上にあるといっても、回復後の世界や日本経済が元に戻るわけではない、雇用なき回復が今後かなり長く続き先進国の消費スタイルが変わると予測される。その結果として中期的には先進国と新興国の商品が徐々に似てくるのではないだろうか。「ローエンド破壊」が世界規模で起こるというのが私の予測だ。

日本市場特有の高付加価値商品は、経済的効率からいうと徐々に姿を消す運命にある。商品開発のリソースには限りがあり、巨大な需要がある新興国のニーズにあった商品開発を優先させるしか生き残りの道はなさそうだ。日本の消費者もまたそれを受け入れ定着すると私は思う。もちろん国内限定のニッチ商品も生き残るだろうが、日本全体がそうなるのは避けるべきだ。

さてこの先の見通しだが、政府の景気刺激策が切れる頃の冬から来春にかけて二番底が来る予測をする専門家は多く、景気刺激策の第二弾も議論されている。私の予測は、内外の企業はスローな回復を織り込み済みで企業業績はそれ程悪化しないと見る。

その分雇用回復が更に遅れ消費が低迷するのは避けられない。雇用なき回復だ。それは従来発想に基づく見方で、決して一時的なものではないと私は予想する。それが常態になるのではないだろうか。上記の新しい(合理的)消費スタイルは特に縮小均衡に向かう日本、そして多分欧州も、良く当てはまる気がする。

一方、金融不安を起した取引慣行の規制については少しタイミングを失しつつあるように感じる。金融業界の記憶時間の短さは殆ど病気だ。政府の支援策のお陰で収益性が回復した瞬間から彼等は記憶喪失にかかったようだ。これを厳しく非難するオバマ大統領を今朝のニュースは伝えており、結果的により厳しい規制を提案する欧州に歩み寄る可能性を示唆したように感じた。

個人的な話に戻ると、私の高リスク資産は下げがきつかった分、回復も早かったのかもしれない。回復が早いもう一つの理由は、リーマンショック後茫然自失の日々から暫らくして正気に戻り、早いところでは10月から新しい状況に合わせポートフォリオの見直しを継続してきた為と思う。

危険は冒せないが、初めは残りの資金で底値を狙う一方で、徐々に低リスクの債権に切替えて行き、最近は市場の落ち着きを見て再度リスク許容度を高めた。しかし、この年齢で毎日株価を追うのはもう無理、信託投資を除き株券は全て売却した。結局、それは私の世界観の表れと言える。

言い換えると状況認識と私自身のかかわりだ。それは経済回復後の世界や日本経済が元に戻るわけではない、雇用なき回復がかなり長く続き先進国の生活スタイルが変わる、その中で日本は縮小均衡の道を辿り、私は徐々に高齢者の領域に入るというようなことだ。

あまり魅力的な世界とは言えない。如何にも夢の無い老人の考えだが、これが現実であることを認め、此処にボトムラインを引いて失望することなく上を目指すというのも悪くない気がする。少なくとも私のスタイルには合っている。総括すると何ともお粗末、しかし刺激的な1年だった。■

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