昨年来、神戸製鋼や日産自動車などの日本を代表する会社の製造部門で、品質詐称(製品データの改竄等)等の不祥事が相次ぎ日本製造業の信頼を揺るがす重大な事件が起こった。その根本的な原因として、日本経済新聞(1/15)はコラム記事で「経営者と社員の意思疎通」を取り上げ、現場との共感が重要と報じている。
記事は京セラ稲森元会長、クボタ木俣社長、積水ハウス和田会長を例に挙げ、社員との感情のこもった密な交流で現場との信頼関係を築いたという。成長の為に困難な目標を達成するには経営者への共感があれば社員が発奮し飛躍や革新をもたらし、逆に無理な押し付けと感じたら不正や隠蔽が起きかねないと指摘している。
これを読んで、「おいおいそれだけかよ、そんなに甘くないだろう」というのが最初の印象だ。私は技術者上がりの管理職で40後半になって会社都合で突如工場運営を責任を負った。なもんで、経営者と社員の意思疎通を偉そうに講釈する経験や実績がある訳ではない。工場といっても米国ワシントン州だった。
その工場は円高で誰もが海外進出を始めた90年代半ばに、元々広大な倉庫だったところに製造ラインを作りノックダウン製造を始めた、いわば付け焼刃の生産ラインだった。日本から数人の生産技術者が出張り現地作業員役500人を雇い工場を動かし始め、半年くらい遅れてど素人の私が工場責任者として赴任した。
マーケティング本部のあるカリフォルニアからの需要計画を受けて工場で生産する訳だが、赴任した頃は生産計画通りに物を集められず作っても不良品が多発するという、全てにわか作りの工場で営業部隊の信頼を得られなかった。日本から応援部隊が来てくれたが事態は一向に改善しなかった。困った現地会社社長は自分の給料より大金を払って専門家Kを雇い私の上司に据えて改善しようとした。
彼は既に業界で実績を上げ成功した会社経営のプロで、自宅がクルーズ船といういわば大金持ちだった。早速私に面会に来た彼に、私は用意周到に資料を作り渾身の力を込めて改善策をプレゼンし信頼を得るよう努めた。彼は経験豊かな工場管理のプロBをリクルートし私の下に送り、そこから芋づる式に優秀なスタッフを雇い生産ラインを組織化し改善してくれた。それから半年かそこらで劇的に製品品質が改善され棚卸が激減した。
米国では私を高く評価してくれたが、実際に私のやったことは生産のプロが作った生産ラインの改善計画を承認し、カリフォルニア本社の理解を得て計画をスムーズに進めるようバックアップしただけだ。私の特徴といえば本社筋から「売られた喧嘩は買う」、片言の英語でも絶対に引き下がらない根性があったことだろう。それが、米国の辺鄙な土地の工場の従業員にとっては守ってくれていると思ってくれたようで幸運だった。
実際、工場運営が改善したのは上司がきっかけを作ってくれ、その後優秀なオペレーション管理者や技術者を雇えたことだと思っている。私のアイデアなんて一つもない。彼等は生産ラインを作り直し、予算が限られている中で徹底的にIT化し効率的で高品質なラインを作ってくれた。その結果を見て現場作業者が新しい改善策を信じてしっかりやってくれた。という所だ。
見る目ができた私が、その後日本に戻って、初めて日本の生産ラインを見ても遜色がなかった。特に部材発注から棚卸・生産・品質管理を経て出荷まで一連の生産活動と経理情報が統合ソフト(SAP)の下で密接に連携して動くところまで達した工場は、当時日本ではまだなかった。それはそれでがっかりしたのだが。私など想像もしなかったレベルまでよくぞ到達したと思う。
このような私の素人経験から言っても記事にあった様な、頻繁に工場に行きコンパに参加する、バースデーカードを全社員に出す、リーダーを集めて塾を開く、とかだけで何とかなってるはずがないと思う。そんな浅い見方で何とかなる程経営は甘くない。例に挙げられた3つの優良会社はもっとプロフェッショナルな取り組みをしてるはず、そこまで深く掘り下げないと誤解を生んでしまう。しかし、それなりに興味深い記事だった。■
記事は京セラ稲森元会長、クボタ木俣社長、積水ハウス和田会長を例に挙げ、社員との感情のこもった密な交流で現場との信頼関係を築いたという。成長の為に困難な目標を達成するには経営者への共感があれば社員が発奮し飛躍や革新をもたらし、逆に無理な押し付けと感じたら不正や隠蔽が起きかねないと指摘している。
これを読んで、「おいおいそれだけかよ、そんなに甘くないだろう」というのが最初の印象だ。私は技術者上がりの管理職で40後半になって会社都合で突如工場運営を責任を負った。なもんで、経営者と社員の意思疎通を偉そうに講釈する経験や実績がある訳ではない。工場といっても米国ワシントン州だった。
その工場は円高で誰もが海外進出を始めた90年代半ばに、元々広大な倉庫だったところに製造ラインを作りノックダウン製造を始めた、いわば付け焼刃の生産ラインだった。日本から数人の生産技術者が出張り現地作業員役500人を雇い工場を動かし始め、半年くらい遅れてど素人の私が工場責任者として赴任した。
マーケティング本部のあるカリフォルニアからの需要計画を受けて工場で生産する訳だが、赴任した頃は生産計画通りに物を集められず作っても不良品が多発するという、全てにわか作りの工場で営業部隊の信頼を得られなかった。日本から応援部隊が来てくれたが事態は一向に改善しなかった。困った現地会社社長は自分の給料より大金を払って専門家Kを雇い私の上司に据えて改善しようとした。
彼は既に業界で実績を上げ成功した会社経営のプロで、自宅がクルーズ船といういわば大金持ちだった。早速私に面会に来た彼に、私は用意周到に資料を作り渾身の力を込めて改善策をプレゼンし信頼を得るよう努めた。彼は経験豊かな工場管理のプロBをリクルートし私の下に送り、そこから芋づる式に優秀なスタッフを雇い生産ラインを組織化し改善してくれた。それから半年かそこらで劇的に製品品質が改善され棚卸が激減した。
米国では私を高く評価してくれたが、実際に私のやったことは生産のプロが作った生産ラインの改善計画を承認し、カリフォルニア本社の理解を得て計画をスムーズに進めるようバックアップしただけだ。私の特徴といえば本社筋から「売られた喧嘩は買う」、片言の英語でも絶対に引き下がらない根性があったことだろう。それが、米国の辺鄙な土地の工場の従業員にとっては守ってくれていると思ってくれたようで幸運だった。
実際、工場運営が改善したのは上司がきっかけを作ってくれ、その後優秀なオペレーション管理者や技術者を雇えたことだと思っている。私のアイデアなんて一つもない。彼等は生産ラインを作り直し、予算が限られている中で徹底的にIT化し効率的で高品質なラインを作ってくれた。その結果を見て現場作業者が新しい改善策を信じてしっかりやってくれた。という所だ。
見る目ができた私が、その後日本に戻って、初めて日本の生産ラインを見ても遜色がなかった。特に部材発注から棚卸・生産・品質管理を経て出荷まで一連の生産活動と経理情報が統合ソフト(SAP)の下で密接に連携して動くところまで達した工場は、当時日本ではまだなかった。それはそれでがっかりしたのだが。私など想像もしなかったレベルまでよくぞ到達したと思う。
このような私の素人経験から言っても記事にあった様な、頻繁に工場に行きコンパに参加する、バースデーカードを全社員に出す、リーダーを集めて塾を開く、とかだけで何とかなってるはずがないと思う。そんな浅い見方で何とかなる程経営は甘くない。例に挙げられた3つの優良会社はもっとプロフェッショナルな取り組みをしてるはず、そこまで深く掘り下げないと誤解を生んでしまう。しかし、それなりに興味深い記事だった。■
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