かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

東京郊外の生活2024-25(5)

2025-02-16 20:11:58 | 日記・エッセイ・コラム
今年の東京は沖縄の次に暖かい冬が続いている。毎年同じ冬なのかは分からないが。サラリーマン時代に4月に雪が降り、登山靴で会社まで通勤した記憶がある。毎日の天候の推移を眺めていると、今年は雪が降りそうもない。

先週水曜日に突然「春一番」が吹き荒れた。というか、私には「春の嵐」の様だった。近くの遊歩道から南武線に沿って崖線上の歩道を歩くと、西側に見える多摩丘陵は茶色に煙って見え、その先に見えるはずの富士山は茶色の空に隠れてた。強風が多摩丘陵一帯に畑の土を吹き上げていた。

翌日も強風は止まず甲州街道沿いの歩道を自転車で買い物に行った家内は余りに強風で怖くなり、狭い歩道は怖くなって自転車を押して歩いたという。次の日も強風は続いたが見上げると空は真っ青に晴れて、夕方の多摩丘陵とその先の富士山のシルエットが美しく見えた。

「春一番」に先立って私の股関節痛が少しづつ良くなってきた。今週月曜日から毎日1万歩7-8キロの散歩をこなす様になった。と言っても最初は午前と午後に分けて散歩した。最初の1万歩の挑戦の翌日の朝は足痛が不安だったが、目が覚めると特別の違和感もなく毎日やれる自信がついた。

慎重に散歩を続けたつもりだが、5日目に私の得意の「やり過ぎ病」が再発した。自宅から新府中街道を経由し新鎌倉街道に出て、関戸橋から多摩川を下り遊歩道を通って自宅に戻った。新府中街道の真っすぐ先に見える富士山は、まるで富士吉田市の市街地から見る富士山の様だった。

関戸橋の手前の多摩川沿いから見る富士山は真っ白で自転車やジョギングをする人達とすれ違った。その頃から左足に少し痛みを感じるようになり、ああまた「やり過ぎ病」が出たと思った。帰宅後の歩数は1万歩程度だったが、休みなしで1万歩以上歩いたので足への負担が大きくなった。

翌日(昨日)の朝は足の痛みが再発したが、何とか我慢して午前と午後に分けて1万歩を歩いた。平日だけど大國魂神社からケヤキ並木通りの人通りは多く、若干だけど足を引きずる様に散歩を続けた。まだ暫く続けて1万歩を歩くのは無理なようだ。

毎日1万歩歩いて足腰痛が良くなったと見定めて、思い切って4月中旬に羽田から松山への航空便を予約した。一昨年に廃車手続きをし、車なしの田舎生活をする様になった。なので足腰の回復は必須条件だ。残った2か月の東京郊外の生活の間に回復しなければならない。

実は今日も「やり過ぎ散歩」に挑戦、東京競馬場を周回し約1万歩歩いた。最早孫と一緒に奥多摩の山歩き等とても無理だが、多摩丘陵くらいは何とか歩きたいと思う。自転車にも普通に乗れるようにしたい。田舎での一人暮らしには自転車で買い物に行けることも必須だ。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

痛みが転移した

2025-02-12 18:39:25 | 健康・病気
年末から2か月近く続いた股関節の痛みがここに来て回復してきた。一昨日に恵比寿で孫の誕生祝いを兼ねて家族が集合して食事会をした。子供達は私の足腰の具合を心配してくれたが、新宿で乗り換え恵比寿の陸橋を無事に歩けた。足の具合が良くなり夕方の散歩を含め1万歩歩いた。

昨朝起床時の足腰の具合は悪くなかった。午前中は西府中迄歩き、格安スーパーOKに買い物に行き、夕方になって神社まで歩き二日続けて1万歩に増やした。今朝方も足腰に異常を感じることはなかった。走ると膝がカクカクして怖くなるが、若干の急ぎ足程度だと膝や腰は大丈夫だ。

多分ここ1か月以上は朝食と夕食後に痛み止め(ロキソニン)と胃粘膜保護剤(レバミピド)を服用している。たまに飲み忘れると足腰に違和感が出てくる。足腰の回復は間違いなく薬のお陰だが、ここ数日の回復感は買い物に行くなど生活していけると実感している。

ところが、今度は右肩に痛みが移って来た。足腰の痛みは良くなって就寝時の寝返りが出来るようになったが、今度は右肩の痛みが徐々に酷くなってきた。多分、昨年右肩の痛みの原因になった筋肉や筋の石化が再発したと思う。しかし、昼間は痛みは酷くないので生活に困ることは余りない。

ということで、毎年春から夏にかけて半年間帰郷していた田舎暮らしを今年もすることにした。昨日、羽田から松山までの飛行機チケットを購入した。フライトを2か月前に予約すれば9千円弱と安価に購入できる。但し、体調悪化などの理由でキャンセルできないが。

今日も最寄りのスーパーに買い物に行き、このところ恒例になった神社までの散歩と合わせて1万歩を無理なく歩けた。だが多摩丘陵や奥多摩等山歩きは当分しない積りだ。昨年までは家族や田舎の親友にやり過ぎと言われた運動は股関節痛を再発しては元も子もない。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランプ2.0は悪くない(3)

2025-02-09 19:53:16 | 国際・政治
日米首脳会談は米国から安全保障や経済分野で厳しい圧力を受ける恐れのなか実施されたが、今回は何とか無難に終了したようだ。背景には米国にとって最大の難敵中国に対応する為に日本の戦略的地政学的な位置を優先したとの見方があるようだ。会談の前は散々不安を煽っておいて、無難に終わると日本の戦略的価値とか安倍元首相の貢献を持ち上げる何時もの報道と感じた。

トランプ大統領就任後、私はトランプを支持する「ヘンテコ」記事の投稿を続けていると、もしかしたら私はトランプ好きかも知れないと感じるようになった。それでも私は「アメリカかぶれ」であり、このブログの題名「かぶれの世界」を変更する必要はない。問題は、果たしてアメリカは自由民主主義国と言えるか、だ。日米首脳会談の結果は重大な変更を強いるものではなかったと思う。

大袈裟な議論を展開したて来たが、それはさて置き私はトランプがトランスジェンダー選手の女性競技参加を禁止したことに全面的に賛成する。従来この手の発言をすると「差別主義者」と批判されてきたが、彼は恐れることなく明確に禁止した。日本ではトランスジェンダー選手に対しては暗黙の反対があったと思うが、表立って発言することを控える傾向があったと感じる。そういう国だ。

トランプ発言はある意味とても勇気ある意思表明だったと思う。私が若い頃にテニス世界選手権の賞金を男女平等にすべきという運動がおこった時、私はこの男女平等運動にひどい違和感があったのを思い出した。世界選手権とは性別にかかわらず世界で一番強い選手を決めること、人類最強の選手を決めることと。文句があるなら女性選手も参加しろと思った。それは今も変わらない。

逆に現在の「女子選手権」なら女子選手の一番を決める大会であり、トランスジェンダー選手は「トランスジェンダー選手権」で争えばいい。そして同じ賞金を要求しろと言いたい、現実的ではないと思うが。現在は差別という言葉を使ってこの手の議論を抑制する傾向が強い。一方、人間を男女の性別に分けるのは難しいという議論もあるようだ。私は本件についてはトランプの様に単純に性別を決めていいと思う。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランプ2.0は悪くない(2)

2025-02-07 18:13:41 | 国際・政治
ヘンテコ評価第2弾です。前回断ったように私はトランプは大嫌いの自由民主主義「アメリカかぶれ」です。トランプは米大統領就任以来やりたい放題で、好意的でないマスコミ報道が続いている。パレスチナ自治区ガザを長期所有するとの爆弾発言が飛び出した時は世界がぶったまげた。

トランプ側近が米軍派遣などの大統領発言内容を修正するニュース速報が飛び込んで来た時はヤッパリと思い、トランプの暴言に驚いた私も流石に「さもありなん」と思った。だが、私は「ちょっと待てよ」と思い直した。今回の戦争はパレスチナがイスラエルに仕掛けた所から始まった。

マスコミはガザ住民は戦争被害のみ報じるが、ガザ住民がパレスチナテロを育て戦争を始めたことを忘れてはいけないと私は思う。トランプの爆弾発言の狙いが、ガザ住民の子供たちが次々とテロリストに育って行かない様にする為なら決して悪くないと思った。

世界はパレスチナの子供たちがテロリストに育っていくことに何故目をつむるのか私には理解できない。そういう視点からガザの住民を非難する声が聞こえないのは何故なのか。

カナダやメキシコに対する報復関税の場合も、両国からの不法移民と麻薬密輸に対応する為に国境管理を強化すると申し出を受けてトランプは報復関税適用を1か月延期した。私には当たり前の対応の様に思えた。ガザ地区所有はちと乱暴かも知れないが変わらないと思う。

そこで私はもし日本がアメリカの立場になって意思決定することになったらどうするか考える。日本人はアメリカみたいに不法移民が押し寄せてきたら、或いは麻薬が密輸されてきたら果たして黙って受け入れるだろうか考える。多くの日本人はトランプの政策を支持すると思う。

ということで私は「トランプ2.0は悪くない」とヘンテコ評価をする。何故こういう評価を全く見かけないのか、アメリカかぶれの私は不思議に思う。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確定申告への道(2)

2025-02-05 20:24:08 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、確定申告作成の支援を受ける為3度目の青白申告会(青申)ビルに行った。今年から確定申告を青色に変えるので手助けを受ける為だ。恥ずかしい事に、手助けの約束の時刻11:15から20分遅れててしまった。私のパソコンに書き込んだ予約時刻は11:15と正しかったが、私はこの時間を自宅を出る時刻と勘違いしてしまった。

10時頃からパソコンに記録した申告データを確認をして、自宅で本番の準備を始めた。その頃に気付けば問題なかったのだが、青申カードに書き込んだ青申での開始時刻が11:15だと気付いた時は何と11:15分だった! 慌てて家内の自転車を借りて行こうとしたが、サドルの高さ調整ネジが強過ぎて調整出来ず乗れなかった。

部屋に戻って約束より10分遅れると青申に電話で伝えたが、慌ててバタバタしているうちに20分遅れてしまい担当者と顔合わせしたのは11:35分だった。そこから3種類の年金(国、厚生、米国)を報告したところで予定の11:55になった。担当の方は昼食後直ぐに次の予約があるからと目の前からいなくなった。すべては私のせいであり文句は言えなかった。

受付に戻り次の支援を3月2日(日)に予約したが、次回で申告作成が終わるのか担当の方も保証できないとのこと。私は一昨年まで自分で申告を全てやっていた、しかも半日くらいで済ませていたのが不思議だ。酷くボケてしまったと帰り道を情けない気持ちで自宅に向かった。

と、前方に珍しく私より遅い足取りで歩く老婦人がいた。私と同じ青申の予約を終えて戻る方だったと思う。追い抜いたところでポケットをまさぐって手袋が無いと気付き、「あれっ、ない」と小声をあげて彼女の前で立ち止まった。急に彼女の前で立ち止まったので「スミマセン」と謝った。

彼女はにこにこ笑いながら「大丈夫ですよ」と優しく答えた。それから次の交差点まで「歳をとって人の迷惑も顧みずついつい立ち止まった、残り少ない人生をどう過ごすか、母や父の亡くなった年齢によって死に顔が違った」等など「年寄り会話」を続けた。何を言っても「それも人生」と彼女は受け流すように答えてくれ、旧甲州街道との交差点で分かれた。神様みたいな人だった。

残り1キロ余り歩いて自宅に戻った。一人歩きになって気付いたのは、昨年末から痛みが続いていた足腰の痛みを殆ど感じなかった事だ。何で痛みが取れたのか分からなかった。今迄なら「万歳、良くなった!」と調子に乗ってあちこち歩き回り、痛みが再発したが今回は用心した。

昨日も自宅に戻ってから運動を控えたが、今日も家内に頼まれた買い物をしに近くのスーパーに行っただけだ。昨日も今日も高々3キロの距離を歩いただけ。これで何とか足腰を治して、初の「事業者」としての青色確定申告を終わらせ、4月に田舎に戻りたいと思う。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする