草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本人の弱点さらけ出した鳩山外交

2010年03月22日 | 思想家

 鳩山由紀夫首相や民主党が今一番問題なのは、交渉ごとがまるっきりだめだということだ。鳩山首相は、米国がきっと理解してくれるだろうという思い込みだけで、相手の立場になって考えようとしていない。そして、日本側がこれだけ悪戦苦闘しているのだから、手を差し伸べてくれるはずだ、との希望的観測だけで発言している。山本七平が『比較文化論の試み』のなかで、日本人の精神的弱点について取り上げ、「ひとりよがりで同情心がない」ことを問題にしていた。その例として挙げたのが、日本人の宗教に対する考え方であった。「自分は何も信仰はしていないが、何かを信仰している人たちを否定するつもりはない」という言葉を口にするのは、最初から相手の立場になることを放棄している。これでは、相手の主張と衝突することもないし、相手がなぜそのように考えるかについて、思いめぐらすはずもない。鳩山首相は、それこそ山本に言わせれば、自分の感情を相手に移入しているだけなのである。本当の同情ということであれば、相手のために何ができるかというのが問われるべきなのに、それが抜け落ちている。「ひとりよがりで同情心がない」とオバマ大統領を怒らせてしまうのは、そのせいなのである。鳩山首相は「開かれた日本」を目指すそうだが、それと裏腹なことをやっているから、国益をそこなってしまうのである。今回の普天間基地の移設をめぐる外交交渉で、なぜつまずいたかを、よくよく考えてみるべきだろう。

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身勝手な鳩山内閣の自己弁護と先送り

2010年03月21日 | 政局

 今の内閣の鳩山由紀夫首相や閣僚の批判ばかりしたくはないが、あまりにも目にあまるので、槍玉に挙げないわけにはいかない。とくに異常なのは、懸案になっている問題の方向性を示すのが、五月に集中していることだ。タイムリミットをそこに設定することで、参議院選挙を有利にしたいのだろう。普天間基地の移設問題ばかりでなく、IT戦略本部の予算措置を含めた工程表もそうだし、新しい年金制度の基本原則がまとまるのもその頃になるという。今さらそんなことをしなくても、先の総選挙のマニフェスト通りにやればいいいのに、それができないので、時間稼ぎをしているのだけだ。ミスター年金とか言われていた長妻昭厚生労働大臣にしても、野党時代は元気が良かったのに、今は人が変わったようだ。衆参の予算委員会の答弁では「御意見をお伺いして」「ただ今検討しておりますから」の連発で、無能ぶりをさらけだしている。期待はずれもいいところである。いつも同じことの繰り返しだから、あれでは答弁を求める必要もないくらいだ。自分で結論が出せなくて、先送りをしているだけなのである。普天間基地の移設問題がこじれていることで、日米同盟に亀裂を生じさせていることに気がつかない鳩山首相も、頓珍漢なことばかり口にしている。「米国は現行案だけにはとらわれない幅広い考え方を持ち合わせていると思う」と真顔で述べるわけだから、神経が疑われてならない。外交が交渉ごとだというのを無視して、希望的観測を平気で口にするのは、あまりにも無責任だ。それでもまだ、世論調査では約3割の国民が鳩山内閣や民主党を支持しているとか。もう一度騙されないと目が覚めないのだろうか。人が好いのにもほどがある。今の内閣に期待する方が間違っているのである。

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鳩山首相は天心の「アジアは一つ」の精神に学べ

2010年03月21日 | 思想家

 鳩山由紀夫首相や民主党が口にする東アジア共同体とは、あまりにも抽象的過ぎる。それをカバーするために、鳩山首相は「日本を開くという考えで、大胆かつ積極的な取り組みを、スピード感を持って立案して欲しい」と各閣僚に指示した。五月末までという期間を区切ったのは、普天間基地の移設で世論の集中砲火を受けるのを見越して、目くらましに使おうという魂胆があるからだろう。しかし、それ以前に鳩山首相自身が、自らの理念を語るべきであり、岡倉天心が主張した、アジアは一つという考えから出発すべきだろう。桶谷秀昭が指摘するように、天心が「アジアの文明を、西洋文明の膨張発展と対比して、調和の性質において強調した」(『昭和精神史』)のを思い出すべきである。天心にとってのアジアは、欧米の行きすぎた膨張主義を批判する根拠として提出されたのである。「ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱である!歴史の進行は、西洋がわれわれに敵対するのを避けがたくする歩みの記録である。そもそもの初めから、地中海とバルト海沿岸の住民の飽くことを知らぬ本能は、狩猟と戦争、海賊と略奪から生まれ、農耕アジアの大陸的な足らざるも欲せぬ心とつよい対照をなしていた。全人類の神聖な言葉である自由は、彼らにとっては個人の享楽の投機であり、互いの生活の調和ではなかつた」(『東洋の覚醒』桶谷秀昭訳)という天心の叫びは、アジアの叫びでもあった。しかも、天心は仏教や儒教を生みし「普遍的なものに対する広やかな愛情」(『東洋の理想』佐伯彰一訳)を評価したのであって、鳩山首相のように、経済政策の必要上から構想されたわけではない。さらに、王道を重んじたはずの大国中国は、共産主義の一党独裁のままであり、かつての欧米列強のように、膨張主義をとろうとしており、その現実も直視しなくてはならないのである。

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道徳観が曖昧な鳩山首相の平和論

2010年03月20日 | 思想家

 能天気もここまでくれば笑うしかない。怒る気力すらなくなってしまう。鳩山由紀夫首相の無責任ぶりは、並外れている。普天間基地の県外移設は難しいとほのめかしたと思ったらば、その舌の根も乾かないうちに、またまた前言を翻した。「努力している最中だから」という言葉に逆戻りしてしまったからだ。こんな総理大臣が今までいただろうか。いくらヨイショしたがるテレビメディアでも、もはやかばい切れなくなっている。一番問題なのは、鳩山首相が泥をかぶりたくないということだ。責任を取りなくないのが、見え見えである。できれば、「前政権が駄目だったから」と言い逃れしたいのだろうが、もはやそれもできずに、時間稼ぎをしているだけだ。深刻なのは、鳩山首相の頭には、国の安全保障に対する識見がまったくないことだ。共産中国との海洋資源をめぐる争いについても、まったくの他人事だ。「友愛の海」とか「平和の海」とかいう言葉を口にすれば、解決できると信じている。福田恆存が『日本を思ふ』で書いているように、平和を主張するのは、政治上の消極的な意味しか持たないのである。「命に替へても守りたいもの、或は守るに値するものと言へば、それは各々の民族の歴史のうちにある固有の生き方であり、そこから生じた文化的価値」である。しかし、それに目を向けることなく、平和だけを叫ぶというのは、日本人の道徳観を「甚だ曖昧なものにした」のである。鳩山首相に道徳観が欠如しているのは、守るべき日本の精神文化について無頓着だからであり、命だけに固執するのは、個人のエゴイズムを重視するからだろう。それこそが、鳩山首相を含めた日本の平和運動の問題点なのである。福田恆存が突きつけた批判に対して、鳩山首相がどう反論するのか、ぜひとも聞いてみたい気がする。

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疑惑を晴らす挙証責任は、鳩山首相、小沢幹事長にあり

2010年03月20日 | 思想家

 鳩山由紀夫首相や民主党に期待する国民は、ほとんどいなくなってしまった。内閣支持率も30㌫をようやく維持している程度だ。そうなったのには二つ理由がある。一つは鳩山首相と小沢幹事長の政治と金をめぐる問題だ。もう一つは民主党がマニフェスト違反をやらかしたことだ。いずれも挙証責任を果たしていないことが致命傷だ。小室直樹が『大国日本の復活』のなかで指摘していることだが、刑事裁判においては、有罪か無罪かの立証は原告の検察側にあるが、汚職などの疑惑をもたれた場合には、政治家自身がそれを晴らす努力をしなくてはならないのだ。刑事裁判では「疑わしきは罰せず」ということになっても、政治家であれば「疑わしきは罰する」が原則なのである。公約やマニフェストを守らなかったかどうかについても同じだ。中曽根康弘が総理であった時代に、大型間接税の導入をめぐって公約違反の疑いがもたれたことに、小室は言及している。中曽根は総選挙にあたって「国民や党員の皆様が反対する大型間接税をやる考えはない」と演説した。「国民が反対し、自民党が反対する大型間接税」と断っていたことで、大型間接税全てを否定してはいない、との詭弁を弄したのである。それに対して小室は、政治家は万人に申し開きできるような説明は難しいとして、「結局、公約違反の疑いがもたれた時点で、中曽根首相の敗北は決まったのである」と一刀両断にしている。このことは民主党のマニフェスト違反や、鳩山首相や小沢幹事長の疑惑についてもあてはまる。マニフェストを順守しているとどうしていえるか、二人の無実がどのようして証明されるのか、その説明がきちんとなされていないからこそ、今の政権や民主党を見る国民の目が冷ややかになっているのである。「疑わしきは罰する」のが原則だというのを、鳩山首相や民主党関係者は肝に銘じるべきだろう。

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岡田外相が見倣うべきは伊東正義の潔さ

2010年03月19日 | 思想家

 どんな人間でも過ちは犯す。それをいちいち荒立てるつもりはないが、岡田克也外務大臣の弁解は酷すぎる。普天間基地の県外、国外移設は難しくなったこともあり、鳩山由紀夫政権はほぼ県内移設の線で固まったようだ。「鳩山首相が例え先の総選挙で訴えたとしても、マニフェストには書いてなかった」ということだけで、岡田外相が押し切ろうとするのは、あまりにも大人気ない。ここまできたならば、責任をとって外務大臣を辞すべきだろう。沖縄県民に向かって、できもしない御託を並べ立てたことは、打ち消せないからだ。今こそ岡田外相は、会津っぽ政治家であった伊東正義の身の処し方に学ぶべきなのである。鈴木善幸内閣で伊東は外務大臣を務めたが、日米首脳会談の共同声明で、鈴木首相が「日米同盟は軍事同盟ではない」というようないい加減な発言をしたことに反発し、会津人の「ならぬことはならぬ」という精神で、辞表を出したことで知られる。その潔さが買われて、一時は総理大臣候補にもなったのである。同じようにすれば、岡田株が上がり、一国の総理として担がれることになるはずだ。このままでは、不甲斐ない鳩山内閣の閣僚として、名前をとどめるだけで終わってしまう。岡田外相は団塊の世代のすぐ後であり、戦後の民主主義の教育を受けた最後の世代だ。同じ年代の者として、国家意識が乏しいのはよく分かる。しかし、国の外交を担うにあたっては、国益を優先させるべきであり、それに反するような首相であれば、毅然として、たもとを分かつべきなのである。

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臆病な独裁者の反対派粛清劇

2010年03月19日 | 政局

 民主党の小沢一郎幹事長は、独裁者になることを何とも思わない政治家である。それは若いときから一貫している。自民党時代も幹事長として同じようなことをして、それで孤立してしまった。よくよく考えてみると、小沢幹事長は小心者なのだと思う。他人を信じられないから、臆病になり、警戒心が強いのである。マスコミ関係者を手なずけたがるのも、身を守るためだろう。しかし、いくら小沢幹事長がにらみをきかせても、民主党内の反小沢の動きは押さえようがない。高嶋良充筆頭副幹事長が幹事長職辞任を求めたことで、副幹事長を辞めさせられるという事態になった。生方副幹事長は当選四回の衆議院議員で、旧社会党系のグループに属する。あまりにも小沢幹事長のやることが目にあまったので、ついつい声を上げてしまったのだろう。さらに、民主党内の左派は、沖縄県民を弄ぶだけの普天間基地移設をめぐる鳩山政権の対応に、憤りを感じているのだと思う。また、かつての小沢幹事長自身の言葉を借りれば、現在の日本は「普通の国」ではない。政治的な最高権力者と目される二人が、「平成の脱税王」とか「平成の闇将軍」とか呼ばれているのに、知らぬ存ぜぬで通そうとしているからだ。さらに、内政外交とも鳩山政権や民主党は、無能ぶりをさらけ出している。それにもかかわらず、反発する議員が一握りに過ぎないようであれば、国民の多くは民主党を支持しなくなるだろう。しかも、今回の処分は、スターリンがやった反対派の粛清とまったく一緒であり、民主党離れを一挙に加速させることになるはずだ。

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保守派市民の抗議にいちゃもんをつける朝日新聞

2010年03月18日 | マスコミ評

 朝日新聞の記者というのは、自分を何様だと思って記事を書いているんだろう。どれを読んでも、高学歴のエリートとしての物言いで、それが鼻についてどうしようもない。給料は人一倍もらっいても、やっていることはたいしたことはない。朝日新聞という肩書きがなくなれば、相手にされない連中がほとんどだ。それでいて、年間1千数百万も懐に入れているとしたら、誰だって怒ってしまう。在日特権を許さない市民の会のデモを、あたかも暴力集団のごとく扱っているが、一体彼らがどこで暴力を働いたというのだろう。公務執行妨害で何人捕まっているのか、どんな法律に違反をしたのか、それを検証することが先ではないか。非エリートで、職もない貧乏人が暴れているとキャンペーンをはりたいのだろうが、それは単なるレッテルはリだ。今回の記事で勇み足なのは、「民衆扇動罪で在特会を取り締まれ」という意見まで紹介したことだ。朝日新聞は、60年安保騒動のときのことを、すっかり忘れたようだ。あまりにも国民を扇動しすぎて、収拾が付かなくなってしまい、これでは大変だというので、昭和35年6月17日付の紙面で、「暴力を排し議会主義を守れ」という全国紙七社の共同宣言に名前を連ねたではないか。一番煽った歴史があるくせに、自分を棚に上げてよく言えたものだ。しかも、まだまだマイノリティーの運動を繰り広げているだけのグループを目の敵にし、国家権力に弾圧させようという魂胆なのだから、言論機関としての反骨精神などは、微塵も感じられない。市民が抗議をすることは、どんなことがあっても、認められるべきだと思う。天安門前広場でチラシを配っただけで、逮捕され、留置されるような国にしてはいけないのである。朝日新聞は、かつてのソ連のプラウダと同じように、鳩山政権の広報誌に徹するつもりだろうから、保守派市民の抗議にいちゃもんをつけたいのだろう。

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政治と金で居直り続ける鳩山、小沢

2010年03月18日 | 政局

 やっぱり、今の政府や民主党のやることは姑息極まりない。鳩山由紀夫首相や、小沢一郎幹事長の政治と金をめぐる問題にフタをして、その場しのぎの政治資金規正法改正でお茶を濁すつもりらしい。そして、その改正に向けた与野党協議機関の設置にあたっては、自民党や共産党を抜きでもスタートとさせる腹積もりのようだ。自民党と共産党は、あくまでも小沢幹事長の国会招致にこだわっているので、相手にせずに、中央突破を図りたいのだろう。国民世論が国会の場で語ることを望んでいるにもかかわらず、数の力で抑え込もうというのだから、暴挙そのものだ。もはや自民党は体裁とかにこだわる時期は過ぎた。西田昌司参議院議員のように、徹底して追及すべきだ。武士の情けだとか言っていると、かえって足をすくわれかねない。きれいごとばかりを口にしていた者たちが、裏ではとんでもないことをしていたわけだから、許されてよいはずがない。鳩山首相も小沢幹事長も、自分たちがしでかした後始末なのに、無関係であるかのような顔をしているのは、まったくもって信じられない。鳩山首相の嘘も、いつかはばれることになると思うが、それまでズルズルと居直り続けるに違いない。訴追されないという総理大臣の憲法上の特権を、簡単には手放すはずはないからだ。しかし、国民世論の批判も強まっているだけに鳩山首相や小沢幹事長が、このまま中央突破できると考えているとしたらば、それはあまりにも甘すぎる。

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鳩山首相は「がきデカ」のこまわり君

2010年03月17日 | 思想家

 鳩山由紀夫首相は、自分で自分に語りかけるようにしゃべる。自信がないから、自分自身に言い聞かせているのだろう。これから半年経ったらば、国民から民主党が支持されると確信しているそうだけど、何を根拠にして、そんなことを断言できるんだろう。念力で人の心を操れると信じているんだろうか。とんでもない「宇宙人」だ。そして、鳩山首相は「即決するときには、自分の意思を強く示したい」と大見得を切った。口だけは達者なのである。山上たつひこの漫画に「がきデカ」というのがあった。学生時代に喫茶店でよく読みふけった。少年警察官を自称する「こまわり君」が主人公で、変なポーズでギャグを連発するから、腹が捩れるほど笑ったことが何度もある。鳩山首相のキャラは、まさしく「こまわり君」そのものだ。自分がマッチポンプのようなことをして、世の中をかき回しておいて、自分が解決できると自惚れるあたりがそっくりだ。米軍の普天間基地の移設をめぐっては、先の総選挙で「最低でも県外移設だ」と演説したにもかかわらず、米国の関係者には、日米合意を守るかのような発言を平気でする。ハチャメチャにしてしまっているのは、鳩山首相自身なわけだから、もはや手の施しようがないのである。ここまできてしまったら、「こまわり君」の得意のポーズを披露して、さっさと退場すればいいのに。「平成の脱税王」がバッチをつけているのは、おこがましいことこの上ない。

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