画像は本題と関係のない1円切手。現在のものとは、比べようもない。当時はこれが当たり前だつた。物が不足しているのが当たり前。戦争を仕掛けたのか、それが敗れ終戦になった。戦後復興が始まったころのものだと思う。別の話。昨日、戦後間もない時代の、中学校のクラス会が、三年振り、地元開催だった。11名のいつもの顔ぶれだが、それなりに元気だ。「やあぁ、どうも、どうも」の挨拶。日帰りの旧友のための、昼食会、夕べの宴、部屋での三次会、「ああでもない、そうでもない」、お喋り会、「ありゃゃ、風呂は終わったかぁ」で、床についた。宴の会場のカラオケ装置は、ピカピカと催促していた。でも、歌ひとつもなく、「わいわいがやがや」のクラス会だつた。当番幹事が「転居先不明が二人、物故者はない」と、報告があり、欠席者が自分の近況を知らせて、懐かしく思っているともあったと。開催案内の封筒に貼られた切手。1枚の切手が、心がつながるのだろう。画像のような切手が、人人の連絡手段だつた時代と、同じ頃の中学生のクラス会。それぞれが精一杯歩んできて、今がある。これから先、どんな変化があるのか。「神のみぞ知る」だ。「あいつは死んだかぁ」なあぁんて云われないよう、今を生き、明日を生きる。まぁ、自分のため、いや、家族のために、「心配-心を配る」。こうありたいものだ。