前掲の交流誌に、遊び心で、綴り込む。「千 昌夫」が歌っている。その歌詞を書いた。毎日新聞社から刊された「能」の本から、能面を拝借した。「こらぁっ」には、いいかぁと。どうでしょうか、面白いと、自賛をしている。女性向けには、「学生時代」にしようとしている。試作には載せたが、書いたものが、まだまだなので、あれこれと、書いてみている。どんな反応があるものやら。ひとりよがっている。
前掲の交流誌に、綴りこんだ。手元にあった写真。ビール瓶が写っているので、たぶん、20歳のころと思う。なんか、よく集まっていたのを思いだす。当時は、順番で幹事をしていたと思う。会場の手配は、任されていた記憶がある。今となっては、写真が貴重になる。
六十五年前に卒業した中学生時代の、交流誌の試作をした。第六号を「出会い」副題を「蒼い志」とした。総ページ数は30頁になる。その表紙と、最終ページ。ひと月、思案をしていた。この歳になると、クラス会はできない。足腰が弱く、遠方からは、無理になる。交流誌を思い立ったのは、一昨年、クラス会の呼び掛けと、その報告をするべきと、思ったことだ。表紙の下の写真は、何十年かぶりのクラス会の時のもの。地元に居るので、幹事をした。クラス会に出たものには、「S君」が、送っているはず。今回は、同期会会長からの、寄稿があったので、同期会とクラス会との、合同誌にした。裏表紙に掲載したのは、十数年前、関東在住の人が、五人ほど集まると、連絡があって、上京した時に会ったまま。元気にしているとのこと。交流誌に掲載をした。