徒然草の、第十九段に「五月、菖蒲ふくころ、早苗とるころ、水鶏のたたくなど」とある。最近思いだして、ぺらぺと、斜め読みをしてみた。季節の移り変わりは、何時の時代でもおなじだなぁと。街中から走行して出てみると、田んぼは、田植えが済んでいる。梅雨のはしりなのか、雨があがっても、すかーっと晴れない。五月雨は、これからなのだろう。
昼近くになって、雨があがった。木々の緑が鮮やか。ひと月ぶりの写経。今日はちょつと早めに着いた。法話は、普賢菩薩。賢いお坊さんで、合掌している像もあり、指を開いている像もあるとか。修行というより、心を落ち着かせようとするときは、像の真似をする。言葉や文字を真似する。真似することによって、自分が、会得できる。ただの凡人なので、三日もてばいいべぇと、またまた、ひと言多いなぁ。先月は、我が家を出る時刻と、近所のキリスト教徒のひとの野辺送りと重なり、せかせかして、写経をした。夕方は、前夜祭に行き、讃美歌を聞いた。キリスト教の教えを聞いて、頭の中は、混乱気味だった。ありがたいお話は、後々になって、理解できるようだ。