八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

わらじ

2021年04月23日 13時32分48秒 | Weblog

前回、修行大師像の破れわらじを載せた。禅語百選に、「破草鞋」がある。その中に、若山牧水の詩、「草鞋」がある。画像は、その詩。ど素人の下手の横好きで、書いた。へぼの類と承知している。「破草鞋」の解説には、「この破草鞋を、どう受けとめるかは、読者のご自由です」とある。小生は、十数年前に、この一節を、知人の告別の弔辞に使った。当時、知人の家族から、入院中の連絡があった。見舞いに病室に入り、眠っているようなので、廊下で待っていた。看護師さんが見回りにきた。「声をかけては」と促され、声をかけると、目を見開いた。看護師さんが、「分かったかも」と言った。付き添っていた知人の家族は、死去後の準備のことで、急ぎ帰宅したという。翌日、死去の知らせが届いた。この世からの旅立ちの瞬間に、立ち会ったのは、父親と叔父。点滴が入らなくなり、脈が途絶えた。「臨終です」と告げられたときは、茫然と立ち尽くして、その後の処置を見ていた。ただただ、ぼおーっとしていた憶えがある。この詩を見ると、悲しいことが、想い浮かぶ。

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