前日、展を拝見しに行った。展は、刻字が、すばらししい。残念ながら、作品の前面が、ガラスに覆われいたので、光が反射して、掲載が出来ない。刻字も、水墨画も、額装してある書も、表装してある書も、仕上がりを思い浮かべる、その時が楽しいという。書の場合は、「撰文」をする。その文を、どのように表現をするか。「紙の選び」、「墨色の選び、その濃さ、淡さ」、「筆の選び」、考えることは、たくさんある。これが楽しいのだろう。ど素人が、さも、えらそうなこと、書いているなぁと、またまた、自嘲をしている。そうだ、画像のこと。ゆっくり、ご覧になって、何かを、感じとってください。
旧知の女性の、展が「木もれび」であった。なつかしく、昔ぁ―し、ある書道会で、一緒に習っていた。彼女は、高校生のころだった。かれこれ、三十五年前になる。習字をしていた頃は、基本が七割と、楷書が、基本だったと、記憶している。展示してあった作品は、一口に、「たいしたもんだ」しか、言えない。彼女は、教えているので、長い年月の、研鑚には、ど素人の小生は、評はできない。受付にあった芳名簿に、「磨穿鐵硯」、「鉄の硯がすり減って、穴があくほど、勉強して、技を磨くこと」と、キザッポク、記名した。
何回も、カシャッとした中の一枚。デジカメでは、これが限界かも。無粋なことを、言わないで、まぁ、歌ってみっかぁ。「うさぎ うさぎ なに見てはねる 十五夜お月様 見てはねる」。「月がとっても 青いからぁ――」。
「月の砂漠を はるばると ――」って、がぁ。
「月の砂漠を はるばると ――」って、がぁ。
野次馬だなぁと、カシャツとしてみた。お月さまとは、なんだっぺぇと。地球をめぐる衛星。太陽の光を受けて、夜空に輝く。月の満ち欠けは、夜空を見上げればみえる。今夜の満月は、趣がある。先月、二日前の、十三夜の月は、栗名月とか。栗が店頭に並んでいた。
昨日から、台風の影響で、日の中、雨が降っている。まだ、風は吹いていない。深夜から、影響が強くなるのかも。秋の雨は、「秋霖」、「秋の長雨」、「秋入梅」とかの、言葉がある。災害が発生するほどの雨が降る。今、一番心配しているのは、河川の氾濫だ。夏井川が、全域、警戒しなくてはならないようだ。いわきの平地区も例外ではない。もし、夏井川の氾濫が、近くで発生すると、2メ―トルの高さの浸水になるようだ。その時は、ばあちゃんを、二階に移動させる。背負うための紐、晒の反物は、すぐ、取り出せるよう、目につくところにある。「備えあれば、憂いなし」だ。日本各地、想定外の、被害が無いにうに、願っている。画像は、以前のある日の夕暮れ。
昨年夏のクラス会のあと、報告を兼ねて、四回刊したものを、今回、一冊にまとめた。限定で20冊作る。一冊の厚さは、15mmになった。製本機の限界ぎりぎりの厚さにもなった。「夏の味」を、刊して、終わりにしようとしたが、投句やら、感想文が届き、近況が届いたりで、刊を続けてきた。今後は、どうしょうかなぁ。
夕方、西の空。秋の日は、「つるべ落とし」とか。太陽が沈むのが早い。「つるべ」そのものを見たことがない。水を、井戸からくみ上げる桶とある。秋の夕暮れは、何かもの悲しく感じる。今年も、あと三か月で、終わる。
ようやく、秋らしくなった。「男心に秋の空」ということもあるようだ。この歳になると、「男心」もなくなっている。そおそお、雲の画像のことだ。秋の空に、刷毛でさぁっと、なでたように見える。「刷毛」は、最近使ったことがない。背広服のほこりを払うのだが、その背広服は、着用していない。洋服のほこりを払うのも、繊維の逆く目のの作用を利用して、なでると一回で、取れる。背広服は、最近、もっぱら、通夜や葬儀に着る黒のものだ。黒の服は、ほこりが目立つ。またまた、別の話しになってしまつた。秋になると、移動性高気圧が、張り出してくるという。移動性というので、すぐに移動してしまって、お天気がすぐ変わるという。もうすぐ、暦には、「寒露」とある。秋も深まりいく。