今日は、午後になって雨脚が早くなり、夜になって、風も強くなった。仕事をしていた時は、先々の、お天気のことが、常にきにしていた。寒暖が、体に感じて、商品を購入する意欲があらわれるのに、興味があつた。画像は、昨日の夕暮れ。車からおりて、見上げた空。長い飛行機雲が、尾を引いていた。上空は、寒冷なのだろう。ある時の空は、雲一点もなく晴れ渡っていた。風が強く、枯葉が舞うほどだった。上空の飛行機が、西に向かっているが、強い西で、時々見ているスピ―ドとは違って、遅いように感じた。飛行機雲の尾が出ていても、すぐに消えていた。そういえば、22日は、立冬になる。時の立つのが早く感じる。
画像は、いつものことながら、筆文字を披露するほどではないと、承知をしている。公職についている者は、「清」=「清廉」。「慎」=言行を「つつしむ」。「勤」=率先垂範。この歳になり、仕事もぽちぽち、若い世代の時代なので、このようなことを書くのは、口はばったことと、承知をしている。はるか昔に読んだ、「ビジネス社会の必読書」の、守屋洋著「中国古典の名言録」のなかから、引用をした。今年の漢字一と文字は、「税」と、報じている。14日は、衆議議院の議員の選挙の投票日。「税」に関連をして、思い出すのは、「号泣議員」と、大臣になってすぐに、辞職したのをだ。知り合いととのだべりで、「何とかの党は、金をくれっからと言っているので、投票すっかなぁ」と、言う。「それは、出来ねぇ、約束だっぺぇ」と、笑った。漫才でも、笑いを取っている。「今の政治はは駄目だから、やらせてくれぇ」と、声高に、つばきを飛ばしているのを見る。「もう、二度と」だと、思い出している。安定な社会を願って、一票を投じることにしている。
今日は、お天気予報通りの、昼過ぎからザァザアザァザァァと、強い雨ふり。夕方になって、雨がやみ、西の空が、明るくなった。雨降りでも暖かい。冬の雨は、「氷雨」「雨氷」なのだろう。先日、もしやと思い、車のタイヤを、冬用のタイヤにしてきた。福島県の浜通りは、雪が珍しい。ちょっと前は、車で北上したり、山間部に行くことが多かった。雪に会うことがあった。チェーンをつけて、走行する楽しみもあった。同じいわき市でも、山間部の車は、4Wを使っているようだ。車を買い替える時は、必ず、純正のチェ-ンを付けていた。そのチエーンも、雪の中の走行を回避しているので、使うことがない。この冬は、何回雪がふるのやら。
退屈まぎれに、暦をぺらぺらとしていたら、12月9日は、「漱石忌」とあった。大正五年、1916年歿というので、98年になるのだろう。画像は、復刻本の中から、カシャッとした。大分昔に、古本市で、復刻本をみつけたことがある。もの珍しく、古本市があった時は、探していた。でも、なかなか出てこないと、店主は言ってた。漱石マニアの叔父が残したものを、復刻本、全巻、頂戴してきた。叔父の書斎をに案内されて、驚いた。八畳ほどの書斎の壁面全部が、夏目漱石の書籍で埋めつくされていた。全部、あげるよと言われたが、いただいてきても、置く場所がない。古紙にだすにも、業者でなければ、処分場に持ち込めない。伯母も、歿したので、その後のことは、わからない。復刻本だけは、全部いただいてきた。今は、まあ、積ん読しているだけ。
全国で、百歳になった人の数は、五万八千人いるとか。その中の一人が、在宅のばぁちゃん。先日、久しぶりに、車椅子のまま、散歩に連れ出した。家から出た時は、きょろきょろと見回していた。国道まで出ると、「家ちゃ、帰っぺぇ。家ちゃ、帰っぺぇ」という。在宅介護が始まった時、デイサ-ビスに、試しに、行かせた。二回目、三回目は、行くのが嫌がっても、迎えの車に乗せた。車の中で、運転手さんに、「おろしてください」と言ったのだが、おろしてもらえなかつたと、帰ってきて話をしていた。その頃は、認知症ではなかった。画像は、お祝の銀杯が入っていた箱。日頃の苦労が報われた。衆議議員の選挙の期間も、終盤。安心、安全で、安定した世の中になって欲しい。前の前の選挙だったと思うが、「政権交代を、一度、やらせたみてぐださい」と、声高だった政党があった。権利行使は、たった一票だか、「もう、二度と」と、思っている。
近親から、いただいた花束。百歳の祝の宴の招待があるのかなぁと、思っていた。しかし、連絡がないので、お祝に来たと、いただいた。つたないブログに、百歳、百歳と、取り上げている。百年間の人生は、どんな思いがあつたのか、聞いてみたい。今となっては、聞くこともできない。
百歳の記念に、内閣総理大臣からの、お祝いの銀杯。介護をするようになって六年になるなぁ。小生は、たまぁ-に、おしゃべりの相手をする。夕食の介助しかしていない。仕事でも、遊びでも、長い時間、何かと心配をして、家を空かすことは出来ない。介護は、これからも続く。慶賀の言葉と、お祝いの銀杯で、ほっとしている。日々の、ヘルパ-さんや、看護師さんに、世話になっている。「おかげさまで」と、お礼の、一言しか言えない。
画像は,NHKの日曜討論を、カシャッとした。討論は、当然、政府がだめだあ、改革だぁと、論じているようだ。改革はもうごめんだぁ。この歳になってしまっては、記憶が薄れてしまった、先の戦争だ。終戦は、10才のころ。食糧が無かったのを憶えている。混乱は、こりごりだあ。戦後は、徐々にだが、世の中が、平和になって、豊かになったと、実感をした。しかし、大震災。直接には、家屋の外壁の損傷で、補助を受けて、修理をした。それよりも、原発事故のこと。発電機の建屋を、見上げたことがあったので、それが爆発し、テレビの画面で見ていたの。驚きと、避難の、恐怖は、まだ、消えない。震災前の選挙では、政治の改革というので、一票の期待をしたが、政治の混乱だったなぁと、思っている。一票のために、本を買い、なるほど、なるほどと、読んだ。本には、政権を取ったらばだつた。まあ、改革は、混乱が発生する。テレビの二ュ―スで、時の首相が、罵倒されたのを見た。もう、この歳になれば、安定が一番だ。
前掲と同じ日に撮った。丁度、七五三のお祝の日。お祝いの祈祷を済ませた方々が、石段を降りていった。かわいい女の子だった。三歳と七歳だったのかなぁ。石段をおりるのは、ちょっと難儀だったかも。午前中は、多くのお祝があったと、聞いた。子どもの成長は、楽しみなのだろう。月に一度の、にわか修行に、毎回、カシャッとする。ちょっとの時間だが、季節の移ろいをみている。
十一月の中のころ、閼伽井嶽境内から、カシャツとした。下界から登ったので、ホッカイロで、防寒をしたつもりだったが、体が冷えてしまつた。にわか修行には、ちよっと、寒かった。般若心經を書くのだが、一字一字、心をこめて書くのだが、馴れてしまって、書くだけは早い。それでも40分はかかる。今月はもう一回行く。あたふたと行かずに、ゆとりをもっていくことにしょう。