八十路徒然なるままに

春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず、春はやがて夏の気をもよほしーーー。徒然草より

ある日の写経会no5

2019年05月11日 14時04分42秒 | Weblog

前掲に続いて。法話が終わり、写経を始める。自分を見つめ直すのもよし。謹写をする無心もよし。落ち着いた心で、 * 字を間違えないように。 * 誤字、脱字があれば、枠外の上に書く。 * その日の日付けは、本文から一行をあけ、始めの一字を下げて、記す。 * 次の行に、願い文、念じ文を、記す。 * 次の行に、名前を書く。一文字あけて、謹写と記す。次の行に、閼伽井嶽薬師常福寺於てと、記す。 * もう一度、目で唱える。 * 「願わくは此の功徳を以って―――」の、普回向を、心読をして終わる。


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ある日の写経会no4

2019年05月11日 12時40分29秒 | Weblog

前掲の続き。午後一時。前回から、若い和尚さんに交替になり、「それでは始めます」。まず、香をいただく。両手を開き、左手を上にして重ね、その左手に香をのせていただく。両手をすり合わせ、その手のひらで、胸から腹部までなでおろして、邪気を払う。全員が終わり、教本の懺悔文から、三帰禮文、十善戒、般若心經、普廻向、等々を、和尚さんに続いて唱える。和尚さんのテンポには、なかなか合わせられない。写経生のテンポに合わせている。続いて法話。仏道のこと、仏様の由来、經文の意味等々。月々の変わり目は、体調管理のこと。日常の言葉使いなど、毎回ありがたく拝聴をしている。ある時は、二分間の瞑想の勧めがあった。たまぁーに椅子に座している時、両手の指を互いに挟み、親指を突き合わせ、腹の前に抱き、目を閉じる。日々の雑事に追われ、殺伐とした気持ちの時は、心が落ち着く。すごい二分間だぁと、びっくりしていた。たくさん法話を拝聴しているので、以前の自分とは、違っていれば、いいのだがなぁ、どうなのだろうか。写経生は、ほとんどの方が先輩。新参者なので、戸惑うこともある。


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ある日の写経会へno3

2019年05月10日 15時25分57秒 | Weblog

前掲の続き。石佛の並ぶ先には、色鮮やかな朱色の多宝塔が建っている。静けさの中、すぐ上の鐘楼から、ぐおぉぉーん、うおぉぉーん、うおぉぉーんと、杉木立の中を響わたり、余韻が少しずつ消えていった。歩み上がると、まず、鐘楼堂へ。一礼をして、一回突く。その時々の願い言、念じ言、謝する言などを思い浮かべて、余韻にのせて祈る。次に本堂へ。一礼のあと、思い浮かべたことなどを、念じ、終わりに、般若心經、または、南無大師遍照金剛を、三回唱えて終わる。眼下の広い境内の風景を楽しむのもよし。そこそこに、気を急がせながら、教場へ。長い石段を、ひざ痛の足をもつらせながら、下りて行く。すでに、写経教場は、なにかの話しで盛り上がり、にぎやか。やがて墨をすったり、写経をはじめたり、思い思いに、心を落ち着かせて、静寂に。すずり箱を、そおーっと取り出し、墨液に水をちよっと補い、正座をして、すりはじめた。今日の願い言は、念じ言はを思い浮かべる。境内の風情や、参詣のひとの事を、五七五と、書きとめることもある。そんな時は、俳句を勉強しておけばよかったなぁ、なんて、下手の考え休むににたりだぁと、苦笑をしている。きいぃぃーっと、鳥のひと啼きが、障子戸越しに、静かさを切り裂いていた。---続く。


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ある日の写経会へno2

2019年05月10日 14時51分43秒 | Weblog

走行時間、約40分。十二時ころ、駐車場に着く。一礼をして、境内に入る。石畳みの通路の、左側を歩行する。受付に一礼。玄関に写経用具を置く。本堂へ。石段を八段上ると、手洗場。一礼をして、ひしゃくを右手に持つ。半分ほど水を汲む。左指先を洗い、持ち替えて右手先を洗う。ひしゃくを右手に持ち替えて立てる。残っている水を流して、柄を洗う。ひしゃくを元の所へ置く。一礼をして、場を離れる。時々、失礼をして、一口、水をいただく。暑いさなかの時は、冷たさが、格別のおいしさになる。遠い遠い昔し、井戸からくみ上げた水を、柿の木の葉影で飲んだのを、思いだす。別の事だが、その井戸は、今もある。かれこれ二十年くらい前のこと。空き地の所の、井戸水が欲しいと、はるか千葉の方から来たという。別地に居た親から、連絡があって、行くと、なにやらのお告げで、この地区の、井戸水が必要と言っていた。容器は持参をしており、三人が両手に持って、帰っていった。話は戻して、手洗場から、石段を七段上ると、左手に、四国八十八か所霊場の石佛像が並んでいる。杉木立のざわつきを聞き、ところどころで、石佛に手を合わせる。---続く。


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ある日写経会へno1

2019年05月10日 14時21分56秒 | Weblog

ある日写経会へのこと。標高605メートルの赤井岳の山腹の、閼伽井嶽薬師寺へ。街中の車の往来に注意をしながら、平窪方面へ向かう。北目橋を過ぎて左折。赤井方面へ。ちょっと走行。磐越東線の踏切を渡り、すぐに右折。切り通しの坂を上り下りする。すぐに左手に田園風景に、月ごとに、耕地から水田に、稲穂が風に揺れ、黄金色に変わり、刈取りのあと、耕地になる。過ぎると、家屋の並ぶ通りを走り、赤井岳と水石山への坂道に差し掛かる。つづら折りの坂道を、オートマだが、シフトレバーをRと2を切り換えながら、古い車種のエンジン音をうならせながら、木立の中を、登坂する。下ってくる車と自転車には、要注意。下ってくる自転車は、カーブを内側に入ってくる。下界は曇り空でも、標高が高くなると、小雨まじりの霧になったりなので、視界が悪くなる。早めに、スモールランプ点灯する。木立を過ぎて---。続く。


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四苦

2019年05月05日 15時51分11秒 | Weblog

月に一度の写経会で、掲示してあったのを、カシャッとした。前掲の法話の、四苦。生、老、病、死のことと。「生」は、「生まれる」、「生きていく」なのだろう。生きるは、寿命がはてる「死」までのことなのかも。「生まれる」は、両親の愛情のこぼれて、この世に、現れた。「老」は、生きている間のこと。「病」もまた、生きている間のこと。この二つのことは、自分自身で、少しはコントロールができると思う。長いか短いかは、分からない人生だが、今を生きるとしている。過ぎ去ったあとを、振り返えると、悲しみがあり、苦しみがありだった。悲しみは、直接的には、自分の事ではない。そのなかに、すまなかったなぁと、振り返ることは、親のこと。その時は、最善を尽くしていたと思う。親の事を思い出すのも、親孝行なのかもしれない。去った「苦」は、その時々で、乗り切った。乗り切った苦を振り返ると、今は、懐かしい思い出になる。これからの「苦」は、どのよう事象て現れてくるのかなぁと、心していく。難しいことは、さておいて、今は、今のこととして、「生きる」でいる。


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四月の法話

2019年05月05日 15時10分45秒 | Weblog

薬師本堂への石段の脇に立っている、修行大師像をちょっと失礼して、背後から、カシャッとした。標高605メートルの赤井岳の山腹にある境内からは、はるか遠くに、海もみえる。願い事の祈祷がおわり、また参詣の人々が、辺りの静寂のなかに、にぎやか話し声が聞こえていた。写経会は、若い和尚さんに交替になった。大学校を卒業して、修行をして、和尚さんになったばかりと、自己紹介があった。法話は、修行することが、まだまだ多い。写経生は、経験豊富な長い人生の人なので、法話は、はばかるという。仏教語が日常生活のなかで、使われている話しだった。「玄関」は、奥深いさとりに行く正面の入口、客殿。「旦那」は、男性が働いて、生活の糧を得る。布施をする人。「道具」は、佛道をすすめるために使う道具。「四苦八苦」の「四苦」は、生、老、病、死の苦しみを感じること。法話は、月に一度だが、ありがたく拝聴をしている。


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祝 令和元年

2019年05月01日 14時11分09秒 | Weblog

昨日は、天皇の退位。今日は、新天皇の即位。新時代になる。若い世代が、令和の時代を作っていくのだろう。手元にある一冊の、暦をめくっていたら、「国運予断」の「易」は、「天地否」とあった。易經の事は、全く分からない。占いというのが、あるんだぁということしか、理解していない。「天地否」は、天と地、陰と陽といった二つ気は、交わらないという。易占いでは、変化を、進化と捉える心が大切とあった。詳しくは、「暦」をどうぞ。暦には、「皇紀、2679年」とある。辞典を読むと、「日本書記の紀年に基づき、神武天皇の即位の年を、元年と定めた紀元」とある。皇紀元年は、西暦の紀元前、660にあたると、読んだ。世の中は、10年、15年のサイクルで変化するという。昭和から平成の、93年の長い時代、その中の83年生きてきた。想いめぐらしている。画像は、手元にあった筆ペンで書いた。令和の時代を祝っている。


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