goo blog サービス終了のお知らせ 
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。 

昨日(2月17日)は、家に帰ったら、一般社団法人 図書文化協会 発行の『指導と評価』(3月号)が届いていました。
私は、この雑誌の「だんわしつ」というコーナーに『教師のメンタルヘルスに役立つ勇気づけ』を書いていました。

編集者が気を利かせてくれて、文章の最後に(注)児童・生徒だけでなく自分自身を勇気づけるためにお勧めの4冊 として、私の関連の本を紹介してくれていました。

今日から始める 学級担任
のためのアドラー心理学
会沢 信彦,岩井 俊憲
図書文化社
子どもを勇気づける教師になろう!:
アドラー心理学で子どもが変わる
岩井 俊憲,永藤 かおる
金子書房
勇気づけの心理学 増補・改訂版
岩井 俊憲
金子書房
カウンセラーが教える
「自分を勇気づける技術」 (DO BOOKS)
岩井 俊憲
同文館出版

こんなに書いているんですね。


さて、これからが本題です。

『嫌われる勇気― 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見 一郎,古賀 史健、ダイヤモンド社、1,500円+税)を読んでいたら、哲人の語る「ユダヤ教の教え」として「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」の文章に出合いました。

嫌われる勇気―――
自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎,古賀 史健
ダイヤモンド社

この文章は、紀元前一世紀のユダヤ教の律法学者 ラビ・ヒレルの言葉 です。
出典がどこかは忘れてしまいましたが、全文をメモしていましたので、コピーしておきます。

もし私が自分自身のためにしないならば、
誰が私のためにするのか。

もし私が他の人のためにしないならば、
私とは誰なのか。

今がその時でないならば、
いつがその時なのか。

下手な注釈を書かない方がいいでしょう。

 <お目休めコーナー> 2月の花(4)

人気ブログランキングへ
(クリックしてね)



コメント ( 3 ) | Trackback ( )




新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日(2月7日)は、平日開催の アドラー心理学ベーシック・コース を行いました。

男女それぞれ4人で、進めやすい講座でした。

1.ライフ・スタイルの形成
2.アドラーの生涯
3.不適切な行動の4つの目標

を一気に行いました。

続いて、ある方のカウンセリング。

オフィスには、株式会社チームフロー の代表取締役の平本あきおさんから彼の新著が届いていました。
『フセンで考えるとうまくいく』(現代書林、1,400円+税)

フセンで考えるとうまくいく:頭と心が忙しい人のための自分整理術22
「元気が出る本」出版部
現代書林

これは、珍しい本です。
平本さんには、早速お礼のメールを送りました。

さて、久しぶりに「私の好きな言葉」のカテゴリーです。

預言者 カルル・ギブラン

あなたの子どもは、あなたの子どもではない
待ちこがれた生そのものの息子であり、娘である
あなたを経て来たが、あなたから来たのではない
あなたと共にいるが、あなたに属してはいない
あなたは愛情を与えても、考えを与えてはならない
なぜなら、彼らには彼らの考えがあるから・・・
あなたが彼らのようになる努力はしたとしても、
彼らをあなたのようにすることを求めてはならない
なぜなら、生は後戻りしないし、
きのうのままにとどまりもしないのだから


この考え方が身についたら、子どもに対して自分の思いどおりにすることに「待った」をかけてくれますね。

カウンセリング ブログランキング
こちらに「いいね」をお願いします。


コメント ( 2 ) | Trackback ( )




おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

久しぶりに「私の好きな言葉」のカテゴリーです。

カウンセリングをしていて、「この人、誰のための人生を生きているのだろうか?」と思うような場面があります。

そんな時、口ずさみたくなるのがゲシュタルト療法の創始者、フレデリック・S・パールズ(1893~1970)の「ゲシュタルトの祈り」

 

 


(フレデリック・S・パールズ)

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なこと。

たとえ出会えなくても、それは仕方のないこと。

私は私。あなたはあなた。

あなたはあなた。私は私。

◆ヒューマン・ギルドでカウンセリングを受けるには こちら をご覧ください。
このところかなりスカイプを使ったカウンセリングを行っています。

◆カウンセラーになりたい方は こちら をご参照ください。

人気ブログランキングへ 
(クリックしてね)



コメント ( 9 ) | Trackback ( )




おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

このところ研修で「人間力」の話をすることが多くあります。

人間力というと、昭和の時代の精神世界で大きな足跡を残した2人の巨人が連想されます。

安岡正篤(やすおかまさひろ)師と中村天風(なかむらてんぷう)師です。

私はこのところ安岡正篤師に関する本を続けて読んでいますが、読んだ本の多さと影響を受けた大きさでは中村天風師に叶いません。

大きな出来事が起きると、必ず噛みしめる中村天風師の名言があります。

考えてください。天には我々が使うような言葉がありませんから、事実をもってあなた方の自覚を求めるのであります。

万物の霊長たる人間に生んでやったのに、万物の霊長たる人間としての生き方をしていない。

さりとて、せっかく生みつけたものを、資格がないからといって、その資格を取り上げることはかわいそうだ。

それで、お前の生き方には間違いがあるから、その間違いを自覚しなさい、といって病をくだされたんだ、こういう考え方がいちばん確かだと私は思う。

不運がまたそうなの。

『成功の実現』(日本経営合理化協会)の中の言葉で、私は『失意の時こそ勇気を―心の雨の日の過ごし方』(コスモス・ライブラリー)にも引用したことがあります。

成功の実現
中村 天風
日本経営合理化協会出版局

失意の時こそ勇気を―
心の雨の日の過ごし方
岩井 俊憲
コスモスライブラリー

簡略化すると、「出来事は私たちの自覚を促すメッセージ」だとも言えます。

出来事に謙虚に向かい合いたいこの頃です。

<お目休めコーナー> 9月の花(24)

 

人気ブログランキングへ 
(クリックしてね)



コメント ( 0 ) | Trackback ( )




おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

私が高校時代に愛読した著者№1は小説家の武者小路実篤、№2は文芸評論家の亀井勝一郎 (1907年 - 1966年)でした。

その亀井勝一郎が何度も引用していたのがフランスの作家、詩人、小説家のポール・ヴァレリー(1871年 - 1945年)の次の言葉です。

「ある男が、あらゆる決心を籤(くじ)で決めて行動していた。その結果、考えてものを決める連中以上の不幸が彼に来たかというに、別にそういうわけでもなかった」
(『現代人生論』青春出版社、からの引用)

人生の大きな決断を振り返ったとき、熟考に熟考を重ねていたかというとそうではなく、就職にしろ結婚にしろ偶然の働きによって決めていたことに思い至る人は多いのではないでしょうか。

人は、重要なことを短時間で決め、どうでもいいことに長時間をかけているものです。

重要なことは、考え抜いて決断したのせよ、サイコロや籤で決めたにせよ、その後の対処法次第ではないでしょうか?


◎ヒューマン・ギルドの Facebookの独自ドメイン にご訪問の上 「いいね」 をお願いします。



私個人のFacebook  同様、ご愛顧のほどよろしくお願いします。
  ↓
 

人気ブログランキングへ 
(クリックしてね)

<お目休めコーナー> 通りすがりの新宿で



コメント ( 0 ) | Trackback ( )




おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨晩の夕食は、私の担当で湯豆腐のはず。

でしたが、つみれ、タラ、豆腐の他に野菜をたっぷり入れて、まるで野菜鍋のようになりました。

カミサン、息子、私の3人で楽しく歓談しながら鍋を囲みました。


さて、今日(1月27日)、ある月刊誌の編集者の取材を受けるので、2009年11月に出した『心の雨の日の過ごし方』(PHP研究所、1,300円+税)に目を通していたら、ウィンストン・チャーチルの名言が目に止まりました。

「悲観主義者は、すべての好機の中に困難を見つけるが、楽観主義者は、すべての困難の中に好機を見出す」

「金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うのは、全てを失うことである」

今のご時勢にこそ噛み締めたい言葉ですね。


『心の雨の日の過ごし方』は、自分で書くのもおかしいかもしれませんが、とてもいい本ですよ。ヒューマン・ギルドにも在庫があります。

心の雨の日の過ごし方
岩井 俊憲
PHP研究所

 

人気ブログランキングへ 
(クリックしてね)



コメント ( 2 ) | Trackback ( )




ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

新年に合わせて私の好きな言葉を紹介します。

「禍福(かふく)は糾える(あざなえる)縄の如し」

です。

まずは、この言葉に即した仏教説話を紹介します。

なお、以下は1992年1月1日発行のニュースレターからの転載です。

昔、あるところに一人の独身男が住んでいて、一生のうちせめて一度でいいから幸せになりたいと願っていた。毎日、神に向かって幸福の一片でよいから授けてくれるよう熱心に祈っていると、その甲斐があってか、ある夜、彼の家の戸を叩くものがいる。誰かと思って開けてみると、外に立っているのは、“吉祥”という幸福の女神である。男は飛び上がらんばかりに喜び、家の中に招き入れようとした。

すると女神は「ちょっと待って下さい。私には実の妹がいて、いつも一緒に旅をしているのです」といって、後ろにたたずむ妹を紹介した。

男はその妹を見て驚いてしまった。美しい姉とは裏腹に何と醜い女神ではないか。

「あなたの本当の妹ですか」といかぶると、「申し上げたとおり実の妹で、名を不幸の女神黒耳と申します」という。そこで男は「あなただけこの家に入って、妹のほうはお引取り願えませんか」と頼んでみると、「それは無理な注文です。私たちはいつもこうして、一緒に連れ添わなければなりません。一人だけ置き去りにするわけにはいかないのです」という。

男は困ってしまった。幸福の女神は「お困りなら二人とも引き上げましょうか」となおもいう。男はまったく途方に暮れてしまった。


以上のエピソードは『阿毘達磨倶舎論』にのっている、幸福の女神と不幸の女神が異身同体であることを説いた一節です。

(以上は「仏教名言1087の知恵」松濤弘道著・三笠書房知的生き方文庫から引用)

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」ということわざがあります。

幸せと不幸とは常に相表裏して変転することを、縄のよれ合うのにたとえたものです。人は、幸せだけの条件を求めがちで、不幸の条件が加わると、自分には好ましくないものとして上の説話のように受け入れようとしません。

人がこの世で生きるためには良いところ取りをしようとしても無理があります。それはエゴのなせるわざです。禍福はともに受け入れなくてはならないものであることを、年頭にあたり仏教説話をもとにご紹介しました。

 

人気ブログランキングへ 
(クリックしてね)



コメント ( 0 ) | Trackback ( )




おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

私が毎月愛読している『致知』(2月号)の「巻頭の言葉」に心引かれました。

論語普及会 学監の伊與田覺氏が、私がもっとも好きな言葉の1つの、伝教大師(最澄)の『山家学生式(さんげがくしょうしき)』の

一隅を照らす

の由来を書いているのです。

『致知』2012年2月号

よく引用される文章は

古人言く(いわく)、径寸(けいすん)十枚、これ国宝に非ず(あらず)、一隅を照らす、これ則ち(すなわち)国宝なり

です。

「一隅を照らす」以下の文章はなじみですが、私には「径寸(けいすん)十枚」というのがどういうことなのか、長らくわからないままでした。

ところが、伊與田氏は、「径寸」と「一隅を照らす」ことについて次のように書いてくれていました。

中国の春秋時代、斉(さい)の威王(いおう)と魏(ぎ)の恵王(けいおう)が偶然狩り場で出会いました。恵王が威王に次のように語りかけました。

「私の国は小国ですが、他国にはない立派な宝物があります。直径一寸ほどの強い光を放つ珠で、車の前後およそ十二乗分までを照らすものが十枚あります。
貴国はいかがですか。大国ですので、さぞかし立派な宝をたくさんお持ちでしょう」

威王は答えました。

「私の国にはそういうものはありません。しかし優れた家来が多くおります。
ある者に南城の地を守らせたところ、南隣の楚(そ)は恐れて攻め入ろうとはしません。またある者に高唐の地を守らせたところ、西隣りの趙人は東境の黄河で魚を獲ることをしなくなりました。
こうした優れた家来たちが自分の持ち場で一隅を照らし、国を支えてくれています。これが私の宝です」

恵王はこれを聞いて大いに恥じ入ったといいます。

伊與田氏は、伝教大師の『山家学生式』を引用した後で、次のようにまとめます。

直径一寸もあるような珠十枚が国宝なのではなく、世の一隅に光を与え照らす者が国宝である。


私は、この文章を読んで一隅を照らす、これ則ち(すなわち)国宝なりの深い意味を学ぶことができました。

それと共に、「径寸」十枚に誘惑されそうな気持ちを克服しながら、「一隅を照らす」ことをモットーに自分自身を戒めたいと思った新年でした。

古人言く(いわく)、径寸(けいすん)十枚、これ国宝に非ず(あらず)、一隅を照らす、これ則ち(すなわち)国宝なり

 

人気ブログランキングへ 
(クリックしてね)



コメント ( 0 ) | Trackback ( )




おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

子どものころから大事にしている小冊子があります。

昭和32年11月発行、とありますので、おそらく7歳年上の姉の高校時代の雑誌の付録だと思われます。

その小冊子は『青年に贈る言葉』と題され、「人間」「生活」「友情」「恋愛」「芸術」「希望」などについての箴言が込められています。

今日は、その中から「友情」に関する2つの箴言を紹介します。

「空気と光と友だちの愛、これだけが残っていれば気を落とすことはない」(ゲーテ)

「そもそもこの人生から友情を取り去ってしまうなどとは、太陽をこの世界から取り去るというものだ」(キケロ)


空気と太陽は、私たちにとってあたりまえに思っていて、ふだんはあまり意識しません。
しかし、この世から空気と太陽がなくなってしまうことを考えただけで、その重み(価値)を感じます。

友だち、友情というのは、あたりまえのようでありながら重い、価値のある存在なのですね。

大事にしようっと、友だちを!


<お目休めコーナー> ご近所で(1)

人気ブログランキングへ 
(クリックしてね)



コメント ( 0 ) | Trackback ( )




おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

6月16日(木)の午後は、損保ジャパンひまわり生命の優績者21名を対象に「勇気づけのリーダーシップ」の講演(実際は研修)を行ってきました。

新宿の損保ジャパンのビルの43階からは、東京タワーと東京スカイツリーの両方が見えました。

 

さて、6月13日のブログ 「ビジネス人生 VSOP説」 とも関連のある話です。

私は子どもの頃、中小企業の経営者の家に生まれ育ち、多くの社長たちを見てきました。
サラリーマンの時期も外資系企業の合弁会社の総合企画室課長(一種の秘書課長でもあるような存在、2年間人事課長も兼務)を6年半していたため、身近に経営者(社外取締役を含む)を見てきたこともあって、人間の器(特に男性)を見る力が養われていました。

それに加えて、私は、1980年代に伊藤肇という、安岡正篤(やすおかまさひろ)の弟子でもあった財界評論家の本をたくさん読んで、人間観を育てました。

伊藤肇の本では、『現代の帝王学』(プレジデント社)と『人間学』(PHP文庫)は、人間の器を見るのに大きく役立ちました。

ところで、『人間学』にこんな一節があります。

知識だけを身につけたというのでは、単なるものしりにすぎない。そんなものは人生を問題にしている間はカッコいいが、人生が問題となった時には全く役にたたない。

この知識も一歩進むと、事に当たって「この問題はこう処置しよう」とか「かくあらねばならぬ」と原理原則を持つようになる。それが見識である。

ところが、見識だけでは未だしである。一つの事をやろうとすると、どうしても反対が出る。いや見識が高ければ高いほど、低俗な輩(やから)が反対する。

それらの反対、妨害を断乎(だんこ)として排除し、実行するのが胆識である。せっかく、知識や見識を持っていても胆識がないと優柔不断に陥ってしまう。

同じ本の別のところでは、伊藤肇は胆識を次のように表現しています。

・胆識とは「決断力や実行力を持った知識や見識」のことである。


さて、あなたは、あるいは身の回りの人は、知識、見識、胆識のどのレベルの人でしょうか?

日本の総理大臣を見ても、胆識の人は、かなり昔にさかのぼらないと見出せなくなって久しい。


<お目休めコーナー> あじさい⑥

 

人気ブログランキングへ 
(クリックしてね)



コメント ( 4 ) | Trackback ( )




おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

「放てば手に満てり」。私の大好きな言葉です。

道元禅師の言葉らしいのですが、私は原典で確認していません。
もうすでにこの「私の好きな言葉」のカテゴリーで書いていたとばかり思っていたのですが、書いていないことがわかりました。
昨日のタイトルの「8割捨てること」から連想しました。

「放てば手に満てり」の意味は、あなたが何かに執着していて手放すまいとしているが、そのもの ― 人であり、物であり、他の何かであるかもしれない ― を手放したとき、そのものを失うが、他に満ち満ちている何かに気づく、というように私は受け止めています。

「放てば手に満てり」は、私の35歳の時のターニング・ポイントだったとき、私の大きな支えとなってくれました。

このいきさつについては、月刊『致知』(致知出版社)2010年9月号の「致知随想」欄に岩井俊憲の「放てば満てり」の文章が掲載され、その文章がそのままヒューマン・ギルドのホームページの  トピックス欄 にあります。

私がヒューマン・ギルドを設立する前の、いわば「ヒューマン・ギルドの原点」とも言うべき内容です。
是非ご覧ください。


◎ニュースレター2011年1月号より「職場に活力、家庭に愛、自分に勇気」も昨日トピックス欄にアップしました。

こちらを クリック


<お目休めコーナー> 猫

 

人気ブログランキングへ 
(クリックしてね)



コメント ( 6 ) | Trackback ( )




おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日(3月26日)は、気分一新の日でした。

午前中は、2カ月ぶりに理髪店に行って、髪の毛をバッサリ。

それからカミさんとヒューマン・ギルドに出かけました。

仕事の前に腹ごしらえ。

ヒューマン・ギルドの斜め前にあるRistorante SOPRA ACQUA でランチ。

神楽坂の雰囲気一杯の上品なレストランです。

  

食後は、いざ片付け。

私の背後にある書棚から要らない書類の廃棄。

3時間以上かけて2人でせっせと作業をしたのですが、全体からすれば、整理・廃棄予定の5%に満たず。
道は険しい。


ところで、昔のファイルの中にA4サイズ1枚の宝物を発見。

「マジック・ジョンソンから黒人の子どもたちへの言葉」でした。

「君には無理だよ」という人の言うことを
聞いてはいけない。

もし、自分で何かを成し遂げたかったら、
できなかった時に、他人のせいにしないで、
自分のせいにしなさい。

多くの人が、僕にも君にも「無理だよ」と言った。
彼らは、君に成功してほしくないんだ。
なぜなら、彼らは成功できなかったから。
途中で諦めてしまったから。
だから、君にもその夢を諦めてほしいんだ。
不幸な人は、不幸な人を友達にしたいんだ。

決して諦めては駄目だ。
自分のまわりをエネルギーであふれ、
しっかりした考え方を持っている人で固めなさい。
自分のまわりを野心であふれ、
プラス思考の人で固めなさい。

近くに誰か憧れる人がいたら、
その人に、アドバイスを求めなさい。
君の人生を、考えることができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それに向かっていくんだ。
君は幸せになるために生まれてきたんだから。


マジック・ジョンソン は、1980年代にNBAで活躍し、91年にHIV感染のため引退表明して衝撃を与えたバスケットボールの選手で、上の言葉は黒人の少年達へ語った言葉として有名です。

この時期だからこそ、あえてこのブログでも紹介しました。


<お目休めコーナー> Mビルに並ぶシクラメン


(ヒューマン・ギルドにいらっしゃいませ。
研修の延期・中止はありません)

人気ブログランキングへ 



コメント ( 0 ) | Trackback ( )




ヒューマン・ギルドでは、2011年のスローガンを

職場に活力、家庭に、自分に勇気

として、アドラー心理学にもとづき

それぞれの分野に効果的な「勇気づけ」を行っています。


おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

まずは、吉報から。

安部崇さん (宮城県石巻市)の無事が確認できました。

安部さんに関しては、このブログでも安否について気がかりのコメントを頂戴していましたが、東京にいらっしゃる妹さんのお知り合いと思われる方からわざわざご連絡をいただきました。

安部さんは、教員として頑張ってらっしゃるが、インフラがつながらないことがネックとなっているご様子。

安部さんのご無事が確認できたときは、夫婦で胸をなでおろしました。

さて、今日は、不確実な情報に右往左往し、自分自身を忘れてしまいがちな人に参考にしてほしい言葉を紹介します。

「煩悩するなかれ(莫煩悩)」


私は、この言葉を 松原泰道師 から学びました。

松原師は、一昨年101歳で死去した禅僧で、南無の会会長や竜源寺の住職などを務めていた人です。

今は絶版になっている『人生の極意―何を支えに生きるか』 (PHP文庫) にある話です。

鎌倉時代の執権 北条時宗が元寇という国難を前にして、彼が宋から招いた禅僧の無学祖元とのやり取りの際、自分の臆病・小心の悩みを訴えたとき、「すべての思い煩いの煩悩を断て」と、「莫煩悩」を授けられました。
さらには、座禅を進められました。

しかし時宗は、国難を控えているから、政務や外事が多忙で、とても座禅の時間などないと弁解すると、祖元は、

「座禅堂でかたちの如く座禅をするのが座禅ではない。いつ、どこでも、自己の身体と口と意(こころ)を整頓するのが座禅である」と、時宗に次の5カ条の自己整頓の心を書き与えました。

以下がその5カ条です。

1.外の物事に心を奪われず、泰然(たいぜん、注:落ち着いて動ぜぬさま)として自己の信じる道を守って動くな。

2.外の物事に貪着(とんじゃく、注:むさぼりこだわること)するな。一方に貪着すると、必ず他の一方の注意を欠く。油断や恐怖はこんな時に起こる。

3.自分の才智を恃(たの)んで、あれこれ策を樹(た)てるな。常時も非常時も平然として、その心を一(いつ)にしておれば、どんな異変に遭遇しても、霊妙なる作略が生まれるものだ。

4.心の見る物量を広大にせよ。心の視野が狭小だと胆量もまた小量になるから、心で思うことを拡大せよ。

5.勇気を持て。勇猛の心意気はよく白刃をむ踏む。反対に柔懦(じゅうだ)の身体では、窓の隙間風にも耐えられまい。故に常に心身を鍛えよ。


さて、以下は、日本が今置かれている状況に合わせての私の超訳です。

1.情報に惑わされることなく、動揺せずに落ち着いて、自分の信じた方法を採りなさい。

2.特定のことにこだわりなさんな(買占めなんてとんでもないこと)。1つのことにこだわっていると、肝心なことに注意不足になりますよ。油断や恐怖は、こんなことから起こるのです。

3.自分の浅知恵であれこれ策を立てなさんな。常時も非常時も揺るがないで、心を統一していると、どんな異変に直面しても、神仏の助けを借りた方策が生まれるものです。

4.広い視野で物事を見よう。視野が狭いと、肝っ玉が小さくなる。腹を据えて、思考の枠を広げなさい。

5.勇気を持とう。困難に打ち勝つ勇気は、どんな障害をも克服できる。反対に、身体が虚弱だと、窓の隙間風のような、ささいなことにも耐えられない。だから、常に心と体を鍛えていよう。


Yahooの被災地支援のための緊急災害募金
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/
1630001/index.html

人気ブログランキングへ
(ここをクリックしてください)



コメント ( 10 ) | Trackback ( )




おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

久しぶりに朝のブログ更新です。

昨日(2月18日)は、山口県の周南市でトクヤマの第2回目の「カウンセリング・マインド」研修を行ってきました。
山口宇部空港からJAL便に乗り、羽田着。自宅に着いたのは、22:00少し前、早速テレビで『不毛地帯』(フジテレビ系列)を観ました。

最近の連続テレビ・ドラマは、この『不毛地帯』と『龍馬伝』(NHK大河ドラマ)が欠かせません。

ところで、研修と言えば、先週講師を務めた三菱電機エンジニアリング稲沢事業所で事業所長が冒頭のご講話でデニス・ウェイトリー(アメリカの能力開発研究家)の次の言葉を引用しておられました。

「成功とは、他人のために自分のやりたいことをやること」

成功の心理学―勝者となるための10の行動指針 (ライフ&ビジネスシリーズ)
デニス ウェイトリー
ダイヤモンド社

このアイテムの詳細を見る

私だけでなく受講生にとっても「他人のために」という部分が印象に残りました。

「成功哲学」に属するポール・J・マイアーは、『人間モチベーションの力』で成功を次のように定義しています。

「成功とは、前もって設定した価値ある目標を段階を追って実現すること」

ここには、他者の観点がありません。


最近私が最も信頼している自己啓発関連の著者(リーダーシップ論の権威者でもある)のジョン・C・マクスウェルは、『夢を実現する戦略ノート』(齋藤孝訳、三笠書房)で「成功とは、次のような定義がふさわしいと考えるようになった」としています。

夢を実現する戦略ノート
ジョン・C.マクスウェル,齋藤 孝
三笠書房

このアイテムの詳細を見る


「成功とは、
①自分の人生の目的を知り、
②潜在能力を最大限に発揮するために成長し、
③人のためになるような種をまくこと」

さらには、「成功が単に目的地へ到達することだけでなく、旅そのものであること」を示しています。


私は、自分のことしか考えない成功亡者に批判的です。

成功を夢見るのはいいのですが、他者への配慮がなければ、はた迷惑でしかありません。

ご用心、ご用心!


◎ヒューマン・ギルドでは、カウンセリングを通じてあなたの成功のお手伝いをしています。
ご相談ください。



コメント ( 4 ) | Trackback ( )




ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

本当は、今日から3連休なのですが、なかなかお休みとは行きません。

バッハ/ブランデンブルグ協奏曲<全曲>
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団
徳間ジャパンコミュニケーションズ

このアイテムの詳細を見る

今日も家でバッハの「ブランデンブルグ協奏曲」を聴きながら11月中旬PHP研究所から発刊の『心の雨の日の過ごし方』(仮題)の原稿の修正に励んでいます。

休みしか来られない人のカウンセリングも2件ほど引き受けることになりました。

さて、修正原稿の中に単行本に載せられなくなった二宮尊徳(1787―1856、江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて農村復興政策を指導した農政家・思想家)の和歌を「私の好きな言葉」としてこのブログに残しておきます。

 この秋は 雨か嵐か 知らねども
     今日のつとめの 田草とるなり 


 

       s 03091419 jpg

当時の農業コンサルタントのような存在だった二宮尊徳は、先行きを心配しすぎて、「今、ここ」が疎かになっている人たちを尻目に、秋の訪れとともに雨が降ったり、嵐が来たりして稲がどうなるかわからないけれど、今やるべきことは、目の前の雑草を取り除くことが大切だということをじゅんじゅんと説いたのです。

二宮尊徳の和歌の精神を生かそうとするならば、足元をしっかりと固めて、自分の力ではどうにもならないことで心を乱されることなく、心の雑草を取って、自分でできることを地道にやるに限るようです。

 
今夕は、私の従兄弟の長男が今度結婚するフィアンセを連れてわざわざ栃木県から我が家に来てくれます。とても楽しみです。




コメント ( 2 ) | Trackback ( )



« 前ページ 次ページ »