アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

恋文にまつわる、ある青年の話。

この青年はラブ・レターで苦い思い出があった。
中学3年生から好きだった女の子と文通していた。
が、である。
この青年、もらった手紙に赤い字で添削して返すような、まったくデリカシーに欠けるような男だった。
高校1年生の7月のある日、彼女から分厚い手紙をもらった。
別れの手紙だった。おまけにその手紙には、彼女が本当に好きなのは、この青年(当時は少年)の無二の親友M君だ、と書いてあった。
青年は、ショックのあまり夜も眠れず、とうとう急性腎炎にかかり、1カ月の間入院した。

青年は、手紙にトラウマを持った。
青年が書くのは、手紙から相手のいない日記に替わった。

この青年に6年ぶりに彼女ができた。
無器用なこの青年は、大学4年生の5月に彼女に宛ててラブ・レターを書いた。
そこには、大学時代にドイツ語の授業で暗記したハインリッヒ・ハイネの詩を原文のドイツ語と日本語訳で添えていた。

ハインリッヒ・ハイネの詩集「いと麗(うるわ)しき五月」

Im wunderschonen Monat Mai

Im wunderschonen Monat Mai,
Als alle Knospen sprangen,
Da ist in meinem Herzen
Die Liebe aufgegangen.

Im wunderschonen Monat Mai,
Als alle Vogel sangen,
Da hab ich ihr gestanden
Mein Sehnen und Verlangen


いと麗しき五月
なべての莟(つぼみ)、花とひらく
いと麗しき五月の頃
恋はひらきぬ
我が心に

諸鳥(もろどり)のさえずり歌う
いとも麗しき五月の頃
われうちあけぬ かの人に
わが憧れを
慕う想いを


(注)ここで、3分弱、シューマンの 「詩人の恋」 をお聴きください。


青年の恋が実った。
青年は、100キロ離れた彼女にせっせとラブ・レターを書いた。
彼女からも返事が来た。
青年は、手紙が待ち遠しかった。
電話もない築50年は超えると思われるアパートに住む青年には、手紙がもっとも大きな通信手段だった。

3年半の交際を経て、青年と彼女は結婚した。
ラブ・レターを交わすことは、なくなった。
妻となった彼女は、100通を優に超えるお互いのラブ・レターを大事に保管していた。

しかし、傍からは順調に見えた2人の結婚生活は、10年半で破綻した。
保管されていたラブ・レターは、青年のもとから家族や写真と共に消えた。


かつての青年がブログに恋文(ラブ・レター)をテーマにした日記を書きます。 

土日の1日半で『恋文の技術』(森見 登美彦、ポプラ社文庫、620円+税)を読みました。

恋文の技術 (ポプラ文庫)
森見 登美彦
ポプラ社

文庫でも340ページを超えるこの本は、30歳代前半の森見登美彦による、実にふざけた本です。

第1に、百数十通に及ぶと思われる主人公の手紙のうち、好きな女性に宛てたラブ・レターは、たったの1通です。

第2に、『恋文の技術』のタイトルからテクニックを期待している人は、確実に裏切られるでしょう。恋文の技術なんてどこにも書れていません。

強いて探せば、失敗書簡集(出されなかった恋文)の中の「教訓」と記された次の9項目です(これもまたふざけています)。

一、大言壮語しないこと
一、卑屈にならぬこと
一、かたくならないこと
一、阿呆を暴露しないこと
一、賢いふりをしないこと
一、おっぱいにこだわらないこと
一、詩人を気取らないこと
一、褒めすぎないこと
一、恋文を書こうとしないこと

第3に、主人公の大学院生の守田一郎と作者の森見登美彦の文通で12話のうち2話が構成されているのです。

本当にふざけています。でも、何度も何度も笑ってしまいました。

それでいて、第12話の、主人公が思いを寄せる女性宛の手紙の中の次の文章にハッとさせられました。

僕はたくさん手紙を書き、ずいぶん考察を重ねた。
どういう手紙が良い手紙か。
そうして、風船に結ばれて空に浮かぶ手紙こそ、究極の手紙だと思うようになりました。伝えなければいけない用件なんか書いていない。ただ、なんとなく、相手とつながりたがってる言葉だけが、ポツンと空に浮かんでいる。この世で一番美しい手紙というものは、そういうものではなかろうかと考えたのです。


森見登美彦は、「あとがき」に「読者の皆様」に宛てて手紙を書いています。

そこには、こんな一節がありました。

携帯電話や電子メールが普及した昨今、「手紙を書く」という行為はまどろっこしく、時代に逆行するものと見えるかもしれません。しかしながら、そもそも私はまどろっこい男であり、時代に逆行するのも望むところだ。
そういうわけで、こんな小説を書いたのです。


ふざけた小説の『恋文の技術』は、少しばかり気がふさぎがちだった私を笑わせながら、私の苦い体験を懐かしい思い出として想起させ、私たちには、時代に逆行していても、忘れてはならないものがあることを教えてくれました。

強くお勧めです。


<お目休めコーナー> 私がラブ・レターをたくさん出した女性との間にできた社会人の息子がマレーシアの海で撮った写真

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