IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第4回目)

2008-11-25 14:24:51 | 旅の足跡2

1985年(昭和60年)8月8日~8月22日
[ハバロフスク~タシケント~サマルカンド~ペンジケント~サマルカンド~ブハラ~ウルゲンチ~タシケント~アルマアタ~アシュハバ-ド~ドゥシャンベ~フェルガーナ~タシケント~ハバロフスク]



中央アジア全シルクロード<ブルーの空へ>というツアーに乗る(この旅をしたころはソ連邦時代)。数年前、シベリアを尋ねた時は、空港でも鉄道の駅でも、規制、規制で、とても疲れたものだが、今回は意外と自由に撮影できた。
ソ連邦の仲間と言えども、それぞれが「共和国」なので、多少の違いはあるのだろうか・・・旅人にとっては嬉しいことだ。

中央アジアは、大々昔から多数の民族が覇権を争った地域で、ソ連に組み入れらた19世紀に至るまで、争いが耐えなかったところと聞いている。
それだけ価値のある場所、言い換えれば金になる場所であったのか・・・古くはアレキサンダー大王からチンギス・ハーン等など・・・。

民族・宗教が違った国が、波状的に政権を立てた所だから、古い遺跡などは破壊されて、だいたいチムール時代のものが残されているようだ。
シルクロードの主役であった古代の商社マン・ソグド人が西や東に活躍した原点をじっくりと味わうことにしよう。
(参考書:金子民雄著「動乱の中央アジア探検」は18世紀から19世紀の中央アジアの様子が書かれている。学校での世界史では学びきれない、ある意味では感動的な歴史の流れを知った)


「タジック共和国」

「ペンジケント 女の子の民族化粧」

「ペンジケント ソグトの遺跡」

「ウズベク共和国」

「サマルカンド レギスタン広場」

「バザールで・・・」

「シャーヒ・ジンタで・・・」

 

「ブハラで・・・」

「キャラバンサライ・門と全景」

「木陰に憩う人々」

「ウルゲンチで・・・」

「ヒワ旧市街で・・・」

「ヒワ美人2景」

  

「フェルガーナで・・・」

「コーカンドで・・・」

「カザフ共和国」

「アルマータで・・・」

「トルクメン共和国」

「アシュハバードで・・・」

「ニサとアナウの遺跡」

下の写真、反対側がイランとの国境で、撮影禁止・・何も見えないが・・

今、ソ連はアフガニスタンソ戦争中で、前線に赴く兵士にも出会った

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルクロード行きつ戻りつ点々旅(3回目)

2008-11-13 19:53:28 | 旅の足跡2

1984年(昭和59年) 8月4日~8月24日
[上海→北京→大同→フホホト→銀川→蘭州→西寧(青海)→蘭州→北京]




1回目、2回目の旅で訪ねた街に再び出かけた。

中国の街は日々変化しているようだ。
昨年は「フフホト」と思っていた街の名前は、今年には「フホホト」になり、といってもこれは旅行社の見解相違だろうが、そのくらい街の様子は1年で変わっていた。
古のシルクロードの街というものの、確かに、今、生きている街であると実感する。


[大同旧市街にて]

大同・雲岡石窟

 

恒山懸空寺

[フホホトにて]

[銀川にて]

清真中大寺

 

西夏王朝墓跡群

[蘭州回族民家にて]

[西寧から青海湖で遊牧するチベット族]

[黄河流域・炳霊寺]

帰途、突然、雨交じりの砂嵐が・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルクロード行きつ戻りつ点々旅(2回目)

2008-11-01 08:58:39 | 旅の足跡2

1983年(平成58年) 8月4日~8月14日
[北京→フフホト→包頭→北京]


前回の旅では、シルクロードの入り口「河西回廊」に少しばかり触れて、これこそが「カルチャーショック」と感じた。
旅の前途は有望と、益々、これからが楽しくなっていた。

今回は、ちょっと欲を出して、踏破目的ではない北のルート「ステップ路」に寄り道をする。
双発機で草原に降り立つと、最初に歓迎してくれたのが、辺り一面に香り立つ「匂い」であった。
草原の草丈はせいぜい5cm位だろうか・・・その中に原種の「ニラ」なのか、それとも「ニンニク」か、小さな植物が自己主張している・・・いつもは歓迎しないその匂いに、私は何故か感動を覚えた。



[北京紫禁城全景]



[予定の日、北京~フフホト行き飛行機は悪天候で欠航。翌日、再チャレンジ]

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルクロード行きつ戻りつ点々旅(1回目)

2008-10-18 07:26:56 | 旅の足跡2

1981年(昭和56年)7月19日~7月31日
 〔上海→蘭州→ウルムチ→トルファン→北京〕

NHKTVの放映に刺激された私は、早速、まず手近に行かれるツアーを探した。
「シルクロード遺跡への旅」・・・良いツアー名ではないか・・・。
13日間という日程は、勤めている身にはちょっと厳しいが、まずはともあれシルクロードへの第一歩を踏み出した。



〔蘭州市内〕

 

〔ウルムチ市内〕

〔ウルムチ~トルファン〕

〔トルファン市内〕

[交河故城]

[カレーズ引水を利用した用水路と並木路]

〔ウルムチ 天池・南山牧場〕

[ハザック族の子供と包(家)]

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルクロード行きつ戻りつ点々旅

2008-10-12 08:50:23 | 旅の足跡2

1980年だったかな?、NHKTVで「シルクロード」が放映された。

私はビビッと来たのだ・・・そうだ、ここへ行こう・・・と。

その前から、海外旅行は現実逃避が主目的でボツボツと出かけていた。
が、何かしっくり来ない。
私がいつも浮いていて、溶け込まないのだ。所謂、団体旅行だが、そればかりが理由ではないと思うけれど・・・。
シルクロードの映像を見ていると、ぐ~んと引き込まれている自分を感じた。
ここへ行かなくて何が海外よ・・・私は決意したのだ。

まぁ、そんなに固い決意ではないが、私の僅かな蓄えは、行って楽しいところに使おうと思ったまでで・・・。




シルクロードといわれるルートは、大まかに3コースあるそうだ。
一番北のステップ路、砂漠のオアシスを点々と繋ぐオアシス路、それに船で行く南海路。

私は迷うことなく「オアシス路」を選択した・・・何故か砂漠が好きだったし、遺跡にも興味があったからだ。
そして、最終目的地をトルコのイスタンブールとした。
だが、日本から通してイスタンブールまで行く事は、私には不可能だ。
そこで、点々とオアシスを訪ねる旅になった・・・期限も、日程も定めずに・・・。

と言う次第で、これから私のブログも期限も日程も定めず、のんびり「シルクロード」を辿ってみようと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする