1985年(昭和60年)8月8日~8月22日
[ハバロフスク~タシケント~サマルカンド~ペンジケント~サマルカンド~ブハラ~ウルゲンチ~タシケント~アルマアタ~アシュハバ-ド~ドゥシャンベ~フェルガーナ~タシケント~ハバロフスク]
中央アジア全シルクロード<ブルーの空へ>というツアーに乗る(この旅をしたころはソ連邦時代)。数年前、シベリアを尋ねた時は、空港でも鉄道の駅でも、規制、規制で、とても疲れたものだが、今回は意外と自由に撮影できた。
ソ連邦の仲間と言えども、それぞれが「共和国」なので、多少の違いはあるのだろうか・・・旅人にとっては嬉しいことだ。
中央アジアは、大々昔から多数の民族が覇権を争った地域で、ソ連に組み入れらた19世紀に至るまで、争いが耐えなかったところと聞いている。
それだけ価値のある場所、言い換えれば金になる場所であったのか・・・古くはアレキサンダー大王からチンギス・ハーン等など・・・。
民族・宗教が違った国が、波状的に政権を立てた所だから、古い遺跡などは破壊されて、だいたいチムール時代のものが残されているようだ。
シルクロードの主役であった古代の商社マン・ソグド人が西や東に活躍した原点をじっくりと味わうことにしよう。
(参考書:金子民雄著「動乱の中央アジア探検」は18世紀から19世紀の中央アジアの様子が書かれている。学校での世界史では学びきれない、ある意味では感動的な歴史の流れを知った)
「タジック共和国」
「ペンジケント 女の子の民族化粧」
「ペンジケント ソグトの遺跡」
「ウズベク共和国」
「サマルカンド レギスタン広場」
「バザールで・・・」
「シャーヒ・ジンタで・・・」
「ブハラで・・・」
「キャラバンサライ・門と全景」
「木陰に憩う人々」
「ウルゲンチで・・・」
「ヒワ旧市街で・・・」
「ヒワ美人2景」
「フェルガーナで・・・」
「コーカンドで・・・」
「カザフ共和国」
「アルマータで・・・」
「トルクメン共和国」
「アシュハバードで・・・」
「ニサとアナウの遺跡」
下の写真、反対側がイランとの国境で、撮影禁止・・何も見えないが・・
今、ソ連はアフガニスタンソ戦争中で、前線に赴く兵士にも出会った