「一両」、「十両」、「百両」、「千両」、「万両」とあるのだそうですね。これは「十万両」だそうです
毎日新聞 平成26年1月9日付「発言」欄から 「縮小社会にかじを切る」 森まゆみ氏著(作家)
(もり・まゆみ氏は、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」編集人)
30年来、尊敬する年長者の話を聞いてきた。私は前の世代と次の世代をつなぐ輪のようなものである。
90を超えてお元気な「百姓」佐藤忠吉さんはすでに十数年前、「今の日本の繁栄はアラブ産油国に戦争がなく、ホルムズ海峡に海賊が出ず、原発事故や火山の噴火が起こらず、若者が団塊の世代並みの技術と忍耐力を持っていれば維持できるが、一つでも欠けると無理」と喝破していた。
まさにいま総崩れの感がある・・・1972年にローマクラブは「成長の限界」を出して宇宙船地球号にはもう未来はない、と脱成長(デグロース)への道を提唱した。それから40年、まともに考えて来なかったツケが原子力依存を生み、原発事故につながったと考えている。開発、振興、活性化、都市間競争、そうしたかけ声には乗らず、縮小社会に舵を切りたい・・・人口も縮小に向かっている。企業も「足るを知る」戦略が必要だ・・・無限の消費と発展を求めることはもうできない・・・神宮外苑のような歴史的街区を規制緩和してビル群にするようなことは成熟した国としてはとうてい許容できないのだ。
もう一人、尊敬するイタリア文学者、故・須賀敦子の言葉を引こう。彼女は新宿の高層ビルから下をながめて私にこういった。
「まゆみちゃん、東京をこんなにみにくくしたおわびを誰にしたらいいのかしら」(以上抜粋)
森氏の「発言」の中に、「内需拡大に寄与しないやつ」と友人たちからしかられた、とある。
まさに、今、私の状況、そのままである。
前にも言った気がするが、「家なし、貯金なし、金目の物も無し」の私だが、働いて得たお金は、全く、私だけで自由に使ってきたから、それなりに物は待っていた。
が、現在、殆ど使用することも無いうえに、それが生活(狭い家なので保管するところがない)の邪魔をしている。
この8年で、大分、処分したが、全く、不自由した覚えも無い。
唯一、年を取り、出かける事も出来なくなった時には、毎日毎日、「読書三昧」にしようと「本(大した価値はないもの)」だけは残しておいたが、今、それを読む視力も忍耐もなくなったみたいで、困ったものだ。
で、ここ2、3日は、本を整理(捨てようか、売ろうか、寄付しようか、と悩みながら)した。
気持的には、捨てられないから、多分、古書店に持ちこむ事になりそうだが・・・要するに、二束三文で捨てる事に変わりないと思う。
これらの本を、たとえ、斜め読みであっても、その時は満足感を貰えたのだから、それで買った役目は果たされていると考えている。
しかし、今まで処分したあれこれは、買わなくても良かったものかも知れないなぁ・・・なんて思ったりもしている。
追記:下記の内容で、新年のご挨拶のコメントを頂きましたが、残念ながら、投稿者不明です。
これからは、是非、私が確認できる名称をお書きくださると幸いです。
とりあえず、この場でお礼申し上げます。
おめでとうございます!今年もよろしくおねがいします
投稿者不明: (IPアドレス確認)
投稿日: 2014.01.07 10:30:06