(拡大可能)真っすぐに立ち上がる姿が気に入っていて、近くの竹藪にあった「セイタカアワダチソウ」を飾った。
それを見た姉が、「種をばら撒いて、我が家に繁殖させないで」と言う。
しかし、先日見た新聞には、こんな事が書いてあった。
10月13日付 毎日新聞「余録」欄から、一部抜粋転載。
今頃の季節になるとセイタカアワダチソウの黄色い花が休耕田を一面に埋めていた景色を思い出す。
この外来種は根から出す化学物質でススキなど在来種の発育を妨害するため、その侵略性が取りざたされた。
それが今や昔のような勢いを失い、ススキも駆除されなかった。
というのも、土中に残留するその化学物質にはセイタカアワダチソウ自体の発育も妨害する作用があったからだ。
云々・・・以下略
そう言えば、我が畑の傍にある休耕田一面に、秋になると、2メートルは超えるだろうセイタカアワダチソウが繁茂し、花が咲き誇り、何時の間にか我が畑にも目立つようになり、必死になって、それを根こそぎ抜いていたのが、この頃は気にもならなくなっている(無いのかどうかは未確認)。
しかし、我が身の毒で我が身を滅ぼす(と、私は理解した)・・・というこの記事を見て(スミマセン!毎度、ナナメ読みで・・・)、姉の心配には及ばないと思いつつ、ふと感じたのは、何だか「人間の作る世界」と似てるいなぁ・・・だった。
文化だか文明だか知らないけれど、先進的(?)で利便性が良いと言われると、たちまち、皆が飛び付き「イケイケドンドン」と際限知らず、そして何時しか、そのものに侵されてしまっている・・今、取りざたされている「プラスチック」のように・・・ね。
この仕組みは、大自然が自らの暴挙を制御するために準備されたものなのだろうか、顧みて、人間社会にも該当すると思われるのは、人間も、完全に大自然の一組員と言う証明なのだろうか・・・
セイタカアワダチソウよ、あんたはエライ!・・・と、理屈も理論もイイ加減ながら、この草に教えられた気がする私なのである。