植えっぱなしで草取しかしなかった「水仙」の花壇に、昨年、少し土を入れた時、肥料を入れるかどうか迷った。
というのは、以前の様に「花」を付けなくなったのは肥料が足りないからと思いながらも、肥料をすると「葉」が、一層、ワサワサと伸びてしまうのではないか・・・と心配もあったからだ。
困った事に、長く伸びた葉(時には花茎も)が、風などで倒れた様が、とても、気持ちが悪いので、もう水仙をこの場所に置く事を止めようかと考えているのを見透かされたのか、ポツリポツリと花が咲き、私の決断を躊躇させている。
市民講座の「書道教室」を辞めてから、もう何年経ったのだろうか・・・偶~に、筆を持って書の真似事などしたりするが、殆ど、我が生活からは遠ざかってしまっている。
そんな時、その当時の先生から友人を介して、「会いたい」というメッセージが届いた。
何か仕事(書道的な)があるのかな?と思って、先生と友人と私の三人で軽い「ランチ&お茶」の場を設定した。
で、結論的には「仕事」ではなく、「会話」をしたかった、聞いて貰いたかったようなのである。
先生は、コロナ禍と雖も、現役で仕事をしているから、いろいろ悩みは有るとしても、ほゞ閉鎖的生活の私より、ずっとましな状態だと私自身は思っているが、ストレス解消に私を選択(悪い意味ではなく)したのは、やはり「隣の芝生」かなぁ・・・と考えたりした。
二時間くらいのランチが済んでから別の喫茶店で、小一時間、珈琲を楽しんだ後、先生は、まだ、話足りないようだったが、また近いうちにお茶をしましょうと約束をして別れた。
その二日後・・・先輩ご近所さんが、ご自宅の日当たりのいいバルコニーに座っているのを見かけて、俯いて眠っているような感じだったので風邪でも引いたらイケナイと思い声を掛けたら、大根を干しているのだと言う、乾いたもの(所謂切り干し大根)をくれるというので、欲得も絡んで上がり込んだ。
それから話が始まって、一時間、二時間、まさか三時間か?まぁ、長い井戸端(では無いが)会議を続けたのだった。
基本、私も暇だから付き合うが、先日の先生の件も含めて、何か人恋しい気分が辺りに漂っていると感じるのだ。
私は姉の家の片隅に居候しているが基本的に一人だが、先生も先輩ご近所さんにも、ご家族が居る
コロナ禍の自粛が引き金になっているのかも知れないけれど、もっと基本的な家族関係の変化に、人間自体が付いて行けない状況なのかと思ったりもした。
翌日、先輩ご近所さん宅に干し大根のお礼に立ち寄ると、またまた、昨夜、ちょっと熱が出てこれでワクチン接種は大丈夫かな?とか、もし家族にコロナを感染させたらと不安が・・・とか、そんな話題で数時間費やした(ホント、私も暇人だなぁ)が、話の最後に、あまり自分で心配を作らない、その時その時で何とかなるものよと思いましょ・・・と、励ました・・・というか、放り投げたというか・・・
私自身も、周囲の人から語り掛けらる事で、結構、ストレス解消出来ていると思っているが、ちょっとシンドイなと思う時もある・・・そう、勝手な人間の一人。