○神奈川県立歴史博物館 特別展『ペリーの顔・貌(かお)・カオ -「黒船」の使者の虚像と実像-』(2012年7月7日~8月26日)
日本を「開国」させた米国人、マシュー・カールブレイス・ペリーの顔は、多くの日本人が、歴史の教科書などで目にしたことがあり、一定の共通イメージを持っているはずだ。けれども、来日当時、実際にペリーの顔を見た日本人は少なく、本人とは似ても似つかない「イメージ」が流布したことは有名な話である。
と言っても「イメージ」のバリエーションは、思ったほど多くない、ということが本展を見て分かった。こんなペリー像は見たことがない!というのは少なかった。敢えていうと、横浜市歴史博物館の『黒船来航図巻』くらいか。解説にも「あまり流布していないペリー像」とあった。あとはだいたい、いくつかの類型に分類することができるようだ。それから、はっきり言って、日本で制作された図像は、稚拙なものが多い。鑑賞用の「絵画」のレベルにあるものは少なく、最低限の情報伝達のために複製され、流布したと思われる。幕末・明治の世相を描いた絵画メディアには、もうちょっと美的に洗練されたものもあるのに。
途中のパネルに「米国使節団を描いた人々とその周辺人物」という図解があって、本当にペリーを実見できたのは、昌平黌総裁・林家十一代当主の林復斎など、本当に限られた人物だったことが分かる。まあでも、これは著名人に限っての話で、実際は、警備役や給仕役の人々も見ているはずだ。遠征隊随行画家のヴィルヘルム・ハイネが描いた「横浜上陸」の場面にも、遠巻きに見物する黒山の人だかりが描かれている。
なんとなく物足りなかったのは、Wikipediaにも載っている、日本人にとって最も有名な「この写真」が会場になかったこと。この写真の出典は何だったけな? それが知りたくなった。余談ながら、私は関根勤の「開国シテクダサ~イ」という「もち肌ペリー」ネタが昔から好きで、先日、NHKドラマ「テンペスト」を見てたら、時代考証の上里隆史先生が、twitterでこのネタをつぶやいてらしたので、その浸透ぶりに感心してしまった。
あと、1794年生まれのペリーは甲寅歳の生まれで、再来日した嘉永7年/安政元年甲寅(1854)は還暦に当たる、という「こぼれ話」的な情報が伝わっているのも、妙に面白かった。
ところで、この日は、金沢文庫と歴史博物館と、神奈川県立の施設2ヶ所をはしごしたのだが、先日、気になるニュースをネット上で見た。
◆「県有施設の原則全廃など盛る 神奈川臨調が中間取りまとめ」(2012/7/18 msn産経ニュース)
神奈川県の緊急財政対策本部の外部調査会(神奈川臨調)は18日、原則として県有施設を全廃することを盛り込んだ中間意見をまとめた。補助金・負担金の一時凍結のほか、人件費の大幅削減を求めている。黒岩祐治知事は同日の定例会見で「来年度当初予算編成の過程で一つ一つ検討する」と述べた。…(後略)
まあ運営に問題のある施設もあるだろうし、何を廃し何を残すかと言う選択は、議論百出する問題だと思うが、あまり拙速な結論は出さないでほしい。定年後は、博物館や図書館を利用して生涯学習、という、つましい将来像も描けなくなるのか。稼げなくなったら、文化的な楽しみもないということなら、ちゃんと見返りの期待できる国に税金を払うほうがいいかなあ、と思う。
日本を「開国」させた米国人、マシュー・カールブレイス・ペリーの顔は、多くの日本人が、歴史の教科書などで目にしたことがあり、一定の共通イメージを持っているはずだ。けれども、来日当時、実際にペリーの顔を見た日本人は少なく、本人とは似ても似つかない「イメージ」が流布したことは有名な話である。
と言っても「イメージ」のバリエーションは、思ったほど多くない、ということが本展を見て分かった。こんなペリー像は見たことがない!というのは少なかった。敢えていうと、横浜市歴史博物館の『黒船来航図巻』くらいか。解説にも「あまり流布していないペリー像」とあった。あとはだいたい、いくつかの類型に分類することができるようだ。それから、はっきり言って、日本で制作された図像は、稚拙なものが多い。鑑賞用の「絵画」のレベルにあるものは少なく、最低限の情報伝達のために複製され、流布したと思われる。幕末・明治の世相を描いた絵画メディアには、もうちょっと美的に洗練されたものもあるのに。
途中のパネルに「米国使節団を描いた人々とその周辺人物」という図解があって、本当にペリーを実見できたのは、昌平黌総裁・林家十一代当主の林復斎など、本当に限られた人物だったことが分かる。まあでも、これは著名人に限っての話で、実際は、警備役や給仕役の人々も見ているはずだ。遠征隊随行画家のヴィルヘルム・ハイネが描いた「横浜上陸」の場面にも、遠巻きに見物する黒山の人だかりが描かれている。
なんとなく物足りなかったのは、Wikipediaにも載っている、日本人にとって最も有名な「この写真」が会場になかったこと。この写真の出典は何だったけな? それが知りたくなった。余談ながら、私は関根勤の「開国シテクダサ~イ」という「もち肌ペリー」ネタが昔から好きで、先日、NHKドラマ「テンペスト」を見てたら、時代考証の上里隆史先生が、twitterでこのネタをつぶやいてらしたので、その浸透ぶりに感心してしまった。
あと、1794年生まれのペリーは甲寅歳の生まれで、再来日した嘉永7年/安政元年甲寅(1854)は還暦に当たる、という「こぼれ話」的な情報が伝わっているのも、妙に面白かった。
ところで、この日は、金沢文庫と歴史博物館と、神奈川県立の施設2ヶ所をはしごしたのだが、先日、気になるニュースをネット上で見た。
◆「県有施設の原則全廃など盛る 神奈川臨調が中間取りまとめ」(2012/7/18 msn産経ニュース)
神奈川県の緊急財政対策本部の外部調査会(神奈川臨調)は18日、原則として県有施設を全廃することを盛り込んだ中間意見をまとめた。補助金・負担金の一時凍結のほか、人件費の大幅削減を求めている。黒岩祐治知事は同日の定例会見で「来年度当初予算編成の過程で一つ一つ検討する」と述べた。…(後略)
まあ運営に問題のある施設もあるだろうし、何を廃し何を残すかと言う選択は、議論百出する問題だと思うが、あまり拙速な結論は出さないでほしい。定年後は、博物館や図書館を利用して生涯学習、という、つましい将来像も描けなくなるのか。稼げなくなったら、文化的な楽しみもないということなら、ちゃんと見返りの期待できる国に税金を払うほうがいいかなあ、と思う。