見もの・読みもの日記

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科学と哲学と俳諧/柿の種(寺田寅彦)

2012-07-01 11:26:11 | 読んだもの(書籍)
○寺田寅彦『柿の種』(岩波文庫) 岩波書店 1996.4

 ルミネ新宿のブックファーストで「当店が選ぶ岩波書店のこの一冊」というオビをつけて書架に並んでいるのを見た。物理学者の寺田寅彦が随筆の名手だったことは、知識としては知っていたが、これまで読んだことはない。本書は、自序によれば、松根東洋城の主宰する「渋柿」という「ほとんど同人雑誌のような俳句雑誌」の巻頭に、折々短い即興的漫筆を載せてきたものの集成だという。確かに、ページをめくってみると、長いものでも2ページに満たない、短いものは3行ほどの短章が、ぽつぽつと並んでいる。随筆好きの私の胸にひびくものがあって、買ってみた。

 章末に発表年月が添えられているものとそうでないものがあり、早いものは大正9年、遅いものは昭和10年10月に至る。著者、寺田寅彦(1878-1935)は、昭和10年(1935)12月31日没だから、最晩年まで書き継がれていた随筆である。本書では、後半に収録されている昭和年間の作のほうが、読者を意識した、普通の随筆の体裁を取っている。大正年間の作は、自序にいうとおり「雑誌の読者に読ませるというよりは、東洋城や(小宮)豊隆に読ませるつもりで書いたもの」したがって「言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなものに過ぎない」のだが、その分、寺田寅彦という人物がよく見えて、私は興味深く読んだ。

 寺田寅彦の魅力については、科学と文学の「調和」とか「融合」という表現がある。だが、私が本書から感じたのは、サラサラした砂の中に「科学」や「哲学」や「俳諧」が結晶となって埋もれていて、どれが指にあたるかわからないが、どれを掘り出しても不純物なしの本物の宝石、というイメージである。変に調和を図ろうとして、亜流の化合物に陥っていない点が尊い。

 哀しいものもある。ちょっと怖いものもある。あまり読者を意識していないと言いながら、くすっと笑えるものもあるし、いやみなものもある。時には主題や雰囲気が、前後でがらりと変わる。文字数は少ないが、含んでいる内容は深く広い(俳諧そのもの)。なので、著者が読者に対し「なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」とお願いするのはもっともなのだが、現代の読書家が、なかなかこの要望に応えられるかどうか。それでも、途中で本を伏せて、一呼吸おいてから次の一節に進もうとしたことが何度かあった。

 年代的に、大正12年の関東大震災を含む作品集だが、当時の情景や経験に直接に触れた短章はない。震災以後の折りにふれた感慨は、ときどき出てくる。昭和10年、聯合艦隊の帝都集結を病床で眺めながら、なんとなく心細さと暗い気持ちを感じたという章は、今読むと感慨深い。また、聞き書きとして、寅彦の祖父がなくなったとき、まだ12歳だった母のもとに養子(寅彦の父)を入れることについて、江戸詰めの藩公(山内容堂公かその次代か?)の許可を得るのに半年を要したとか、安政時代の刃傷事件で詰め腹を切らされた十九歳の少年の話(井口村刃傷事件)なども、ちらりと登場して、幕末~明治~大正~昭和(戦前)が、ひとりの人物の中で、意外と近い距離をもっていたことに、あらためて気づかされる。

 心に残る発句がいくつかあるのだが、ひとつ挙げるなら、やはり池内了さんが巻末解説のタイトルにも取り上げているこの句。「哲学も科学も寒き嚔(くさめ)かな」

※参考:とらひこ.ねっと
「寺田寅彦関連マップ」が面白かった。理研跡、今度行ってみよう。寅彦が晩年を過ごした「曙町」の地名は、なくなってしまったにもかかわらず(現・本駒込)「付近のマンションや寮にその名前が残っている」というのが意外だった。なるほどーマンションの名前も侮れない。あと高知県の浦戸湾にかかわる伝説「孕のジャン」が気にかかる。「怪異考」を読みたい。
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