見もの・読みもの日記

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夢は京(みやこ)を駆けめぐる/院政・源平京都めぐり地図(ユニプラン)

2013-03-20 09:18:30 | 読んだもの(書籍)
○ユニプラン編集部『院政・源平京都めぐり地図』 ユニプラン 2012.5

 橋本治の『双調 平家物語』(中公文庫版)を読んでいて、不満だったことがある。各巻には非常に詳しい系図と人物紹介が付いているのだが、地図が一切付いていないのだ。そのため、八条院の御所では…とか、大炊御門大路を東へ…などの地名が出てくると、面倒でもキーボードを叩いて(途中からスマホで)参考資料を探した。

 無料でアクセスできる参考資料にも、そこそこ役立つものはあるのだが、小説にハマるにつれて、物足りなくなってきた。そんなとき、ユニプラン社のサイトで本書を見つけた。「本書」と言っても1枚物の地図(928×616mm)である。ケースと索引つき。「立ち読みはこちら(拡大)」で中味を見たら、これは詳しい!!「貴族の邸宅・寺院・神社の跡地や史跡、史跡や事件の跡地、平安・源平時代を彩った人々の墓やゆかりの地、約330件を現在の京都の地図に重ね合わせたもの」だという。そして、1月に京都に行ったとき、京都駅八条口のふたば書房に本書があったので、迷わず購入した。

 読書の随伴にもよかったけど、この地図をぼんやり眺めているだけでも楽しい。おや、この人の邸宅がこんなところに、というのが随所にある。ううむ、と唸ってしまったのは、平清盛の広壮な西八条第と、その東側に並んでいた平家一門の屋敷が、いまは完全にJR東海道線・新幹線およびJR山陰本線の線路の下になっていること。もう掘っても何も出なかったんだろうか。東海道線を別のルート(たとえば九条通の南側)に通す案はなかったのかなあ、と悔やんでみる。

 今後は京都駅に降り立つたびに、このへん(西側)が頼盛邸で、このへん(東側、南北通路のあたり)が八条院御所で、一時は後白河院も身を寄せていらした、なんて考えてしまいそうだ。

 ちなみに本書は平盛国邸(清盛逝去の地)は、九条通の北側(東山橋のたもと)説を取る。「平清盛終焉推定地」の碑は八条に立ってしまったけど、さて今後、どちらの説が優勢になるのだろうか。

 本書で見つけて、行ってみたいと思ったのは、まず建仁寺の矢の根門(勅使門)。六波羅第の重盛邸あるいは教盛邸から移築されたと伝えられる。また東福寺の六波羅門は、ネットで調べると「平氏の六波羅門とも北条氏の六波羅政庁にあったものとも」言われているが、まあ後者だろう。でも鎌倉時代前期の門というから古い。どちらも過去に訪ねていそうだが、あらためて行ってみたいと思った。門の移築(再利用)って多かったんだな。本書は「物件」と「物件(痕跡なし)」を分けて表記しているのもありがたい。

 それから、源頼義創建の若宮八幡宮社。もと六条堀川の辺に建てられ、慶長10年(1605)に五条坂へ移転したあと、現在は、もとの場所に社殿が再興されている。その再興された八幡宮には昨年訪ねたが、五条坂の八幡宮も、今度行ってみよう。特に古い建築や文化財が伝わっていなくても、○○創建・△△勧請と伝え聞くだけで、何となくなつかしい奇がする。後白河法皇ゆかりの「京都三熊野」とか、清盛が西光法師に命じて建造したという「京の六地蔵」も、いつかきっと。

※画像はユニプラン社のサイトから借りています。御海容を請う。
コメント
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