見もの・読みもの日記

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国民食の誕生/パスタでたどるイタリア史(池上俊一)

2022-06-13 12:28:49 | 読んだもの(書籍)

〇池上俊一『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書) 岩波書店 2011.11

 今季の朝ドラ『ちむどんどん』を、私はけっこう楽しんで見ている。ただし以下はドラマの感想ではない。沖縄から上京した主人公がイタリア料理店で修業する展開に関連して、SNSで、本書のおすすめを見かけたので読んでみた。初めて知ることばかりで面白かった。

 まず、パスタの主原料である小麦はメソポタミアで栽培されるようになり、地中海沿岸の諸文明に広まった。ローマにパンの作り方を伝えたのはギリシャ人だという(ポンペイ展で見た「炭化したパン」を思い出す)。古代ローマでは、小麦粉の練り粉を焼いたり揚げたりする、パスタの原型も作られていた。

 4~6世紀にゲルマン民族が侵入し、支配階級(貴族)になると、彼らは狩猟と大量の肉食を好み、肉を食べないのは脆弱、退廃の印として軽蔑した。小麦畑をはじめとする農地は荒廃し、パスタの製法は長く忘れ去られた。これは驚いたなあ。ただ、ちょっと図式化し過ぎにも感じられ、最新の研究成果が気になるところではある。

 11世紀頃から富裕層は小麦のパンを食べるようになったが、下層民は雑穀のパンかミネストラ(具の少ないスープ)がせいぜいだった。しかし北イタリアでは11~12世紀に生パスタが誕生し、祝祭や特別な記念日などに食べられるようになった。常食ではないのね。一方、南イタリアには、イスラーム教徒であるアラブ人によって乾燥パスタが伝えられた。両者は原料も異なり、軟質小麦の生パスタは北、硬質小麦の乾燥パスタは南、という対照は、現在にも名残があるという。やがて自治都市(コムーネ)の時代には、食文化も大いに発展し、16~17世紀には(パン屋から独立した)パスタ業のギルドも作られた。

 中世のパスタは、水やミルクやブロード(スープ)で茹でてチーズをかける料理法が一般的だったが、大航海時代(15世紀末~)には、唐辛子、砂糖(サトウキビ)、トウモロコシ、ジャガイモ、ソバ、トマト等の食材がイタリアに流入し、パスタと結びついた。現在のパスタ料理に欠かせないトマトソースが誕生したのは17世紀末のナポリだという。18世紀には機械化大量生産も始まり、17~18世紀、パスタはイタリアのあらゆる層の食卓に浸透した。この頃の絵画を見ると、パスタを手づかみで食べているのにびっくり。

 イタリアには、独特の形状、ソース、素材、料理法によるパスタ料理が各地方にある。しかし「地方料理」が確立したのは、実はイタリアという統一国家ができて「イタリア料理」が成立した後のことである。ここで19世紀後半、イタリアの統一と近代化を目指した「リソルジメント」運動が、簡単に紹介されている。英雄ガリバルディの名前は世界史で習った。イタリア国土統一は、実質的には北部の論理による南部の征服・従属化であり、長く「南北問題」という重荷を残すことになったとか、行政や法律の統一はできても文化や生活面の統合、すなわち「イタリア人」の創出(国民の統合)が課題だったとかいうのは、日本の明治維新と似た感じがする。

 日本の国民意識の形成に一番寄与したのは、小説や新聞ではないかと思うのだが、イタリアでは、食文化がその役割を果たした。趣味で料理を研究したアルトゥージは、さまざまな地方料理に彼なりの修正を加えたレシピ集を刊行した。これにより、定番イタリア料理が国民に共有されることになった。アルトゥージのレシピには、トマトソースとジャガイモのニョッキも取り入れられている。特定の「地方」に結びつかない外来物だからこそ、普遍的な「イタリア料理」のシンボル的役割を果し得た、という著者の評言がすごく納得できた。異なる文化の融和には、外来物の触媒が必要なのだと思う。

 もうひとつ重要なのは、パスタ作りは女性の仕事で、イタリア人にとってパスタは家庭の守り手である母親の思い出と強く結びついているという指摘。ただし著者は、男女関係のあり方や生活形態が変わっていけば、ブルジョワ社会のイデオロギー(象徴や物語)も用済みになるだろう、と楽観的である。私は、パスタは大皿に盛って、家族あるいは仲間で取り分けて食べるもの(連帯・つながりの食べ物)という説明に驚いた。全くそんなイメージがなかったので。日本の鍋料理みたいなものなのかな。

 イタリアといえば、美術、建築、音楽など、人類にとっての至宝の数々を生み出した土地ではあるけれど、「イタリア人」の誇りはパスタなのかもしれない、と思った。

コメント
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