お伊勢参り旅行最終日、地元の友人が朝から車を出してくれることになって、三人で松浦武四郎記念館へ。東京を発つ前にいろいろ調べたのだが、公共交通によるアクセスがかなり限られる立地で、今回はあきらめようと思っていたところ、念願が叶ってうれしい。稲穂の揺れる田園風景をドライブして無事到着。
■松浦武四郎記念館 企画展『武四郎の晩年』(2024年7月26日~9月29日)
「北海道の名付け親」として知られる松浦武四郎(1818-1888)は伊勢国一志郡須川村(現・松阪市小野江町)生まれ。同館は、松阪市(旧三雲町)が、松浦武四郎の功績を偲び、松浦家で代々大切に保存され、寄贈を受けた武四郎ゆかりの資料を展示する博物館として1994年に開館したもので、今年が開館30周年になる。2022年にリニューアルされたこともあり、映像やビジュアル資料を効果的に使った、分かりやすい展示になっていた。まあ、松浦武四郎の生き方自体がおもしろいことも大きいのだが。
記念館から徒歩10分くらい。記念館で共通入場券を購入すると、地図が貰えて、道順を案内してくれる。「誕生地」というので、ポツンと石碑でも立っているのかと思ったら、瓦屋根の立派な旧家が残っていた。奥から案内人のおじいちゃんが出て来て、説明をしてくれる。ここは武四郎の実家で、父親は庄屋を営み、武四郎の兄が跡を継いだ。その子孫の方が改築して代々住んでいらしたが、史跡として保存公開するため、むかしの状態を復元したとのこと。
家の前は伊勢街道で、毎日、多くの旅人が行き来する様子(おかげ参りの時代!)を見て、武四郎少年は旅への憧れを育んだといわれる。現在は、ほとんど人通りがなく、空き家も多くなってしまったそうだ。家ごとに「屋号」の看板を出しているのは、観光プロモーションかもしれないが、おもしろかった。
武四郎は、ほとんど実家に帰らなかったそうだが、唯一、この石灯籠は「従五位守開拓判官阿倍朝臣弘建之」と彫り込まれた記念の品である。武四郎、正式の名乗りは阿倍弘なのか。
母屋の奥には、広い中庭、土蔵(武四郎の関連資料がたくさん保存されていた!)が並び、生垣で仕切られた隣家の庭に大きな桜の木が育っている。1960年、金田一京助博士が武四郎の実家を訪ねてきた際に植えたもので、「金田一桜」と呼ばれているそうだ。当時は、ほとんど松浦武四郎の功績を語る者はなく、昭和30~40年代にかけて、徐々に知られるようになったのだという。ちょっといい話だ。
(おまけ)松浦武四郎記念館の「週刊武四郎」は、おそらく展示では紹介し切れなかったおもしろい話が読めて、大変ありがたい。
帰りは伊勢中川駅まで車で送ってもらい、解散。
■真宗高田本山 専修寺(三重県津市一身田町)
旅の最後に、地元の友人のおすすめもあったこの寺院に寄っていくことにした。まあとにかく敷地が広くて伽藍がデカい。真宗寺院というのは、戦いに備える「城」だなあ、としみじみ感じた。宝物館の燈炬殿では、仏教文化講座特別展観『学山高田の文化』(2024年8月1日~9月29日)を開催中で、応挙や原在明の絵画があり、石水博物館で聞いた「伊勢商人は四条円山派が好き」とつながる気がした。また宮家との縁で昭憲皇太后(たぶん)から下賜された工芸品の中にあった、リアルすぎる象牙製の『栗置物』、その場で名前が思い出せなかったけど、安藤緑山だろうな、おそらく。