〇弥生美術館 開館40周年 生誕祭!『大正ロマン・昭和モダンのカリスマ絵師 高畠華宵が伝えてくれたこと』(2024年7月6日~9月22日)
1階展示室では、大正末から昭和初期にかけ、絶大な人気を誇ったイラストレーター・高畠華宵(1888-1966)の作品を展示。私はさすがに華宵の人気をリアルに知る世代ではないのだが、2015年の『橘小夢展』を見に行ったとき、常設エリアの華宵に関する展示があまりに面白かったので松本品子編『高畠華宵』を買って帰り、ますますその魅力に引き込まれてしまった。
華宵の描く少年・少女は、いずれも訴えるような三白眼が印象的で、現実離れした美形だが、肉体が生々しい実感を持っている。女性は、意外とむっちりした肉付きが魅力的。
このイラストは手塚治虫の『リボンの騎士』に影響を与えているんじゃないかと思った。
古代エジプトを舞台にした小説の挿絵も描いていて、1970年代の少女マンガのエジプトブームを思い出した。直接の影響関係はないかもしれないけど。
華宵は鎌倉・稲村ケ崎一ノ谷(いちのやと)の自宅兼アトリエ「華宵御殿」に「弟子の美少年たち」ともに住んでいた(とパネルに書いてあってドキッとした)。彼らに特別にモデルをさせることはなく、ただ日常の様子をスケッチしていたという。夜になるとトルコ風のアーチのある寝室に籠ったそうで、これは写真をもとに会場内に再現された寝室の風景。
生い立ちの紹介を読むと、幼い頃は女の子と人形遊びをしたり、一人遊びをすることを好む子供で、のちに「私自身の素質の中に、余りにも女性に似たものがある」とも語っている。しかし一方「女性を寄せ付けなかった」という証言もあり、唯一の例外が古賀三枝子さん(のちに弥生美術館館長)だった。複雑なジェンダーの持ち主という感じがする。
2階展示室の物語は、華宵の存在がすっかり忘れられた1960年代から始まる。戦前、熱烈な華宵ファンだった弁護士・鹿野琢見(かの たくみ、1919-2009)は、華宵が明石市の老人ホームで暮らしていることを知り、書簡を交わし、華宵会(ファンダム!)を発足させ、華宵の復権のために奔走する。ついに弥生町の自宅に華宵を招き、1966年、華宵の最期を看取り、その後、華宵の遺族から著作権を譲渡される。そして鹿野の自宅を活用して、1984年に創設されたのが弥生美術館なのである(のちに竹久夢二美術館を併設)。
いやもう「推し活」の究極の姿ではないかと思った。自分の満足のために起こした行動が晩年の「推し」の幸せを生み、さらに同じ「推し」を持つ仲間、あるいは未来の仲間のために美術館を建ててしまうのだから。
40年前、雑誌の挿絵や漫画・イラストを正面切って取り上げる公設の美術館はほとんど無かった。1階展示室で、同館の過去の企画展のポスターを振り返るスライドが流れており、その功績の大きさをしみじみ実感した。
なお、3階展示室では日本出版美術家連盟(JPAL)の作家展を開催中。見たかった『小松崎茂展』(2024年7月30日〜9月1日)を見ることができた。これはネットミームとしてもそこそこ有名な、攻めてくるイルカ。『なぜなに学習図鑑:なぜなに からだのふしぎ』掲載。
1980年に描かれた「宇宙コロニー」の図。
ふつうの町風景の写生画も出ていて興味深かった。