〇『繁城之下』全12集(騰訊視頻、2023年)
おそらく2022年の制作で、長く放映が待たれていた作品。明の万暦37年、江南に位置する蠹県(とけん)で連続殺人事件が発生する。最初の犠牲者は、捕快(警官)の長である冷捕頭。案山子に擬せられた冷捕頭の遺体に差し込まれた木の板には「吾道一以貫之」(吾が道は一を以て之を貫く)という「論語」の語句が鮮血で記されていた。次いで、書堂(寺子屋)の教師である王夫子が殺され、その遺体には「童子六七人」という、やはり「論語」の語句が残されていた。
冷捕頭を師父と慕う捕快の曲三更、その同僚の高士聡、王夫子の甥である鳳可追らの若者たちは、犯人を求めて奔走するが、事件は続く。蠹県の裏社会の顔役たちと悶着が起きたり、冷捕頭の後任の易捕頭、そのまた後任の夏捕頭と衙門(県政府)の中の権力争いで対立したり、サルの化けもの(猴妖)騒ぎがあったり、いろいろあるが、曲三更らは、連続殺人の犠牲者が、20年前に起きた大火災と何らかのかかわりを持っていることに気づく。
【以下、ややネタバレ】万暦17年、蠹県の県城には陸家の邸宅があり、資産家の陸遠暴は、翠華楼の林四娘を情婦として、わずかな従僕たちと暮らしていた。少年・陸直は、もと身寄りのない浮浪児だったが、目端の利く聡明さを気に入られ、周囲から「幹少爺」(義理の坊ちゃん)と呼ばれる身分を獲得していた。しかし、本当に義理の息子になれると信じた陸直の無邪気な思い込みに、陸遠暴は激怒する。陸家の家令である忠爺は、陸遠暴が陸直を殺そうとしていると陸直に告げる。陸直は、忠爺ら従僕仲間と語らい、殺される前に陸遠暴を殺害し、その財産を奪い取ることを計画する。
計画実行の直前、陸遠暴の弟・陸近信が妻と子供たちを連れて陸家に引っ越してくる。陸遠暴の甥にあたる陸不憂は心優しい少年で、歳の近い陸直や、翠華楼の使い走りの小宝子と、身分を超えて親しく交わり、平和なひとときが過ぎる。しかし忠爺は、陸直に計画の実行を迫る。陸家の人々を薬で眠らせた上で火が放たれ、陸遠暴と弟一家は焼死したことが確認された。けれども、20年後、この無慈悲な放火殺人犯の一味は復讐に遇う。
復讐者は誰か、という謎解きが本作最大の醍醐味。あわせて、冒頭に殺された冷捕頭は、曲三更にとっては尊敬する師父だったが、なぜ「復讐される側」すなわち事件に加担する側になったのかも、じわじわと明かされていく(近松の世話物浄瑠璃みたいに美しく哀しい物語だった)。冷捕頭の家に大金が蓄えられていた理由、王夫子がひそかに学童たちに打たれたがった理由、それから惨劇の場に「論語」の語句が残された理由も、最後はきれいに氷解する。
けれども、やっぱり重たいものが胃につかえたような感覚が残った。無邪気で幸せであるべき(あってほしい)少年たちが、加害者や被害者・復讐者になる物語はつらい。陸直役の于垚くん、底抜けに無邪気な子供らしい表情と、運命に裏切られたときの歪んだ表情が、どちらも印象に残っている。何度か劇中で語られる「公道」という概念は、中国人にはとても大事なのだろうな、と思われた。「正義」とは微妙に違う気がする。「公道は繞遠(遠回り)な道だ」とか「遅すぎる公道はもはや公道と言えない」などの科白の意味を今も考えている。
いわば「公道」に対する懐疑を象徴する存在が宋典史(寧理)なのかな。詩画の才能に恵まれ、将来を嘱望された若者だったにもかかわらず、政治闘争に巻き込まれて投獄され、右手には二本の指しか残らず、筆を握ることもできなくなってしまい、嗜虐的な拷問だけを楽しみにしている(ように見える)。宋典史が、特に取り柄の無い平凡な妓女の春杏に、美しい詩を贈るエピソードがとても好き。
曲三更(白宇航)は、はじめ必死に師父の仇討ちを追い求めるが、最後は断念する。彼の苦しい決断を見守る仲間たち、高士聡(劉怡潼)や鳳可追(張昊唯)の存在に癒された。高士聡、あまり目立つ活躍はないのだが、このためにいたんだなあと最後に思った。陰惨な犯罪の連続にもかかわらず、根底に抑制された抒情が流れる、格調高いドラマである。