○永青文庫 冬季展示『細川サイエンス-殿様の好奇心』(2010年1月9日~3月14日)
旧熊本藩主細川家の至宝を受け継ぐ永青文庫が、「殿様とサイエンス」という切り口で、所蔵品を紹介する展覧会。たぶん同文庫初の試みと思われ、企画を知ったときは、ええ~サイエンス!?と驚いたが、とても面白かった。
特に注目すべき人物は、細川重賢(ほそかわ しげかた、1721-1785、第7代藩主)。会場には、活字中毒でメモ魔だった重賢が使用した携帯手帳(日記矢立付)が展示されていた。質素な布製のケースに、縦長の帳面とミニサイズの筆記具(墨と朱墨)が収められており、見るからに機能的である。しかし、殿様のイメージからは程遠い。システム手帳を持ち歩くビジネスマンみたいだ。
重賢は、博物学、本草学に関心を抱き、多くの書籍を収集し、家臣たちに命じて動植物の写生帖を次々に作成させた。記録から窺い知ることのできる「重賢ネットワーク」には、身分の上下を問わず、さまざまな蘭学者、本草学者の姿が浮かび上がる。とりわけ愉快に思ったのは、博物学好きの大名たちが参勤交代で江戸に出ると、政治の場や宴席を利用して、珍しい鳥や草花の交換をしていたというエピソード。半ばは産業育成のための情報収集でもあり、半ば以上は趣味の活動であったろう。
展示品は書籍ばかりではない。見どころのひとつは、渋川春海作の天球儀。寛文13年(1673)製作というから、重賢の治世より、ちょっと早い。畳の上に据えて、隣りに座って(正座して)見たのだろう。重心が低いせいか、中心軸の傾きが大きすぎるようにも感じられる。台座の表面には春海の識語が彫り込まれているのだが、薄暗くてよく読めないのが残念。「舜典所謂璿璣者不傳于世、漢洛下閎作渾天儀」までは読んだ。誰か、全文を起こしてくれないかなあ…。
また、文化7年(1810)司馬江漢製作の地球儀も展示されている。木製、漆塗り。地軸が全く傾いていない。どうも、雅楽の釣太鼓の木枠をそのまま用いているのではないかと思う。
このほか、色彩の美しい貝の標本(博物標本というより、工芸品の材料にするつもりで集めたのではないか)。測量に用いられた間縄(けんなわ)は初めて見た。
寛永年間(17世紀初)に中津郡で、日本初のぶどう酒(ワイン)づくりが試みられていたという記録も興味深かった。これは、雑然と積み上げられた「日帳」を丹念に読んでいった末の発見と思われる。こういう「読み込み」が待たれる資料って、たくさんあるんだろうなあ。
ケンペルの「日本誌」をはじめ、古い洋書も多数出ていたので、これはまさか細川家の伝来品じゃないよね?と思ったら、細川護立(1883-1970)がパリで買い付けてきたコルディエ文庫の一部だそうだ。現在は慶応大学斯道文庫に寄託。
なお、展示図録は作られていないが、受付で購入できる雑誌「季刊・永青文庫」(300円)の最新号が、図録の役割を果たしている。初めて買ってみたが、この雑誌、なかなかいいと思う。「刀剣回顧談」「永青百冊」「永青文庫の昔の写真」など、各分野の所蔵品を紹介するコラムもいいし、「コレスポンダンス」では、他の美術館関係者に「私の永青文庫」を語ってもらっている。今回の寄稿者は、五島美術館学芸員の佐藤留美さん。永青文庫を評して「近年眠りから覚めたように新しい挑戦を続けている」と書いていらっしゃることには、私も同感。同誌の書店販売が好調というのもうなずける。
余談だが「館長の独り言」によれば、目白通りから永青文庫への曲がり角にあった喫茶店「エンゼル」が、この夏なくなってしまった由。40年来の目印が失われたことを、竹内順一館長は惜しんでおいでだが、私はいつも神田川沿いからアクセスしているので、この喫茶店の存在は全く知らなかった。通い慣れた美術館も、たまには違った道からアクセスしてみるといいのかもしれない。
旧熊本藩主細川家の至宝を受け継ぐ永青文庫が、「殿様とサイエンス」という切り口で、所蔵品を紹介する展覧会。たぶん同文庫初の試みと思われ、企画を知ったときは、ええ~サイエンス!?と驚いたが、とても面白かった。
特に注目すべき人物は、細川重賢(ほそかわ しげかた、1721-1785、第7代藩主)。会場には、活字中毒でメモ魔だった重賢が使用した携帯手帳(日記矢立付)が展示されていた。質素な布製のケースに、縦長の帳面とミニサイズの筆記具(墨と朱墨)が収められており、見るからに機能的である。しかし、殿様のイメージからは程遠い。システム手帳を持ち歩くビジネスマンみたいだ。
重賢は、博物学、本草学に関心を抱き、多くの書籍を収集し、家臣たちに命じて動植物の写生帖を次々に作成させた。記録から窺い知ることのできる「重賢ネットワーク」には、身分の上下を問わず、さまざまな蘭学者、本草学者の姿が浮かび上がる。とりわけ愉快に思ったのは、博物学好きの大名たちが参勤交代で江戸に出ると、政治の場や宴席を利用して、珍しい鳥や草花の交換をしていたというエピソード。半ばは産業育成のための情報収集でもあり、半ば以上は趣味の活動であったろう。
展示品は書籍ばかりではない。見どころのひとつは、渋川春海作の天球儀。寛文13年(1673)製作というから、重賢の治世より、ちょっと早い。畳の上に据えて、隣りに座って(正座して)見たのだろう。重心が低いせいか、中心軸の傾きが大きすぎるようにも感じられる。台座の表面には春海の識語が彫り込まれているのだが、薄暗くてよく読めないのが残念。「舜典所謂璿璣者不傳于世、漢洛下閎作渾天儀」までは読んだ。誰か、全文を起こしてくれないかなあ…。
また、文化7年(1810)司馬江漢製作の地球儀も展示されている。木製、漆塗り。地軸が全く傾いていない。どうも、雅楽の釣太鼓の木枠をそのまま用いているのではないかと思う。
このほか、色彩の美しい貝の標本(博物標本というより、工芸品の材料にするつもりで集めたのではないか)。測量に用いられた間縄(けんなわ)は初めて見た。
寛永年間(17世紀初)に中津郡で、日本初のぶどう酒(ワイン)づくりが試みられていたという記録も興味深かった。これは、雑然と積み上げられた「日帳」を丹念に読んでいった末の発見と思われる。こういう「読み込み」が待たれる資料って、たくさんあるんだろうなあ。
ケンペルの「日本誌」をはじめ、古い洋書も多数出ていたので、これはまさか細川家の伝来品じゃないよね?と思ったら、細川護立(1883-1970)がパリで買い付けてきたコルディエ文庫の一部だそうだ。現在は慶応大学斯道文庫に寄託。
なお、展示図録は作られていないが、受付で購入できる雑誌「季刊・永青文庫」(300円)の最新号が、図録の役割を果たしている。初めて買ってみたが、この雑誌、なかなかいいと思う。「刀剣回顧談」「永青百冊」「永青文庫の昔の写真」など、各分野の所蔵品を紹介するコラムもいいし、「コレスポンダンス」では、他の美術館関係者に「私の永青文庫」を語ってもらっている。今回の寄稿者は、五島美術館学芸員の佐藤留美さん。永青文庫を評して「近年眠りから覚めたように新しい挑戦を続けている」と書いていらっしゃることには、私も同感。同誌の書店販売が好調というのもうなずける。
余談だが「館長の独り言」によれば、目白通りから永青文庫への曲がり角にあった喫茶店「エンゼル」が、この夏なくなってしまった由。40年来の目印が失われたことを、竹内順一館長は惜しんでおいでだが、私はいつも神田川沿いからアクセスしているので、この喫茶店の存在は全く知らなかった。通い慣れた美術館も、たまには違った道からアクセスしてみるといいのかもしれない。