見もの・読みもの日記

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樹木の精霊たち/魂を込めた円空仏(三井記念美術館)

2025-03-03 21:31:24 | 行ったもの(美術館・見仏)

三井記念美術館 特別展『魂を込めた円空仏-飛騨・千光寺を中心にして-』(2025年2月1日~3月30日)

 江戸時代前期に日本各地を修行し、木肌とノミ痕を活かした現代彫刻にも通ずる独特の神仏像を残した円空(1632-1695)は、晩年を飛騨で過ごし、千光寺をはじめ近隣地区で多くの像を制作した。飛騨の寺社から集まった、魂を込めた円空仏71件(100躯くらい?)を展示する。

 私は、円空にはそれほど熱い関心はないので、せっかく東京に来たのだから見ておくか、くらいの気持ちで見に行った。それが会場に一歩足を踏み入れて、見渡す限りの円空仏に囲まれると、やっぱり空気が違っていて、深い森の中に迷い込んだような、不思議な気持ちになる。

 冒頭の展示ケースには、小さな地蔵菩薩立像。おにぎりみたいは宝珠を胸の前に捧げ持つ。横から裏にまわると、後ろ半分はすっぱり薪を割ったように平らで、板彫りのように薄い。そうだ、円空仏って、こういう造型だったと思い出す。

 次の展示ケースには、迦楼羅立像が2躯。1つには「(烏天狗)」という補記がついている。あとの方では護法神と呼ばれたり、キツネ顔の稲荷大明神と呼ばれたりするのだが、円空は逆三角形の顔を持つ尊像をいくつも作っている。最初の迦楼羅立像は、大きなクチバシがハシビロコウにも似ていると思った。ここまで3躯は千光寺の所蔵だったが、おや、幞頭(古代中国や日本の被りもの)の神像がいる、と思ったら、小川神明社、白山神社などと書かれた神像も多数並んでいた。

 その奥にいたのが、ゆるりと膝を崩したような柿本人麻呂像(東山神明社)。衣のひだ(ドレープ)だか皺だかよく分からない、鑿による段々づけがおもしろい。小さな丸顔の口元には確かに笑みが浮かんでいて、能の翁面みたい。解説に、佐竹本三十六歌仙絵の人麻呂像と姿勢の崩し方が似ているとあって、すぐに分からなかったが、画像を検索してなるほどと思った。まあ当たらずといえども遠からず。

 次に展示室3(茶室・如庵の手前)で待っていたのは、護法神立像2躯(千光寺)と金剛神立像2躯(飯山寺)。いずれも2メートルを超える。サカナの骨のようにギザギザした細い柱の上、見上げるような高さに神様の顔が載っている。これを見たとき、私はやっと、かつて東博で見た円空展(2013年)を思い出した。実は人麻呂像も迦楼羅立像も東博で見ているらしいのだが、ほとんど忘れていた。

 そして両面宿儺坐像。そうか、本展のチラシ・ポスターのビジュアルは両面宿儺像だったんだな。しかし顔の部分をアップにしすぎだと思う。私は膝に置いた斧と、その斧に添えた美しい手がこの像も見どころだと思う。千光寺の三十三観音立像(現存は31躯)が並んだところも壮観で、太いの細いの小柄なの、丸顔に四角顔など、実に個性豊かだった。このほか、頑張って腕を彫った千手観音、薬師如来や虚空蔵菩薩、龍をかついだような善女龍王、難陀龍王、宇賀神を載せた弁財天に、単体の宇賀神など、バラエティ豊かで楽しかった。

 茶室・如庵の展示ケースには、緑の屋根のついた赤い円筒が置かれていて、正面の扉がわずかに開いていた。キャプションに「歓喜天立像」とあったので、一生懸命目を凝らしてみたが、中は暗くてよく見えなかった。ベンチに置いてあった図録をめくってみたら、ちゃんと写真は掲載されていた。これはひねった見方をするとエロティックなのかもしれない。考えすぎかしら。

 本展で、もし1点だけ持って帰れるなら、私は賓頭盧尊者坐像がいい。すでに顔のあたりは善男善女に撫でまわされてツルツルしているのが微笑ましかった。飛騨千光寺、ちょっと行ってみたくなって調べてみたら、高山駅からはタクシー(20分)しかないようだ。うーん、難しい。


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