○南伸坊、糸井重里『黄昏(たそがれ)』 東京糸井重里事務所 2009.10
南伸坊と糸井重里。いつの間にか還暦を超えた、昔なじみの2人のおじさんが、鎌倉、日光、松島などを小旅行しながら、どうでもいい無駄話に花を咲かせる。まさにそれだけの本。観光地で撮った写真は楽しそうだけど、特にその土地にゆかりのある話題で盛り上がるわけでもない。まして、人生や社会を考える上で有益な情報や警句がちりばめられているわけでもない。ただ漫々然と続く、贅沢な雑談。
でも、大好きだ、こういう本。どうしたら、こういうおじさんになれるだろうか、と真剣に考える。(おばさんには無理なんだろうか、ということは、ひとまず措いて)いつまでも現役ぶって、社会の役に立とう、と頑張っている人間は駄目だろう。中高年は、正しく人生の「黄昏」を受け入れなければならない。いや、中高年になって心を入れ替えては遅いのかも。子どもの頃から、セミの幼虫探しに熱中し、コウモリを捕まえ、長じては、天狗になったり、聖徳太子になったり、辞書で「にべ」を発見し、眠りたいときに眠り、しょんべんをしながら歩き…まあ、そうした態度で、存分に人生を楽しみながら駈けてこなければ、老年に至って、突然、悟りすましたような真似をしても、何も面白いことはないのだと思う。
2人とも、もっと年を取って、半分ボケたようになっても、雑談本を出してほしいと思う。また読みたい。10年余りの差をおいて、追いかけて年を取っていく私には、ちょうどよい道標のようなものだ。本書の要約は不可能だが、私が好きなのは、幼稚園の昼寝の時間に現れる天狗の話。「生なまはげ」の話。降る雨と同期する話、など。
※豊富な写真にいやされる→ほぼ日刊イトイ新聞『黄昏(たそがれ)』
南伸坊と糸井重里。いつの間にか還暦を超えた、昔なじみの2人のおじさんが、鎌倉、日光、松島などを小旅行しながら、どうでもいい無駄話に花を咲かせる。まさにそれだけの本。観光地で撮った写真は楽しそうだけど、特にその土地にゆかりのある話題で盛り上がるわけでもない。まして、人生や社会を考える上で有益な情報や警句がちりばめられているわけでもない。ただ漫々然と続く、贅沢な雑談。
でも、大好きだ、こういう本。どうしたら、こういうおじさんになれるだろうか、と真剣に考える。(おばさんには無理なんだろうか、ということは、ひとまず措いて)いつまでも現役ぶって、社会の役に立とう、と頑張っている人間は駄目だろう。中高年は、正しく人生の「黄昏」を受け入れなければならない。いや、中高年になって心を入れ替えては遅いのかも。子どもの頃から、セミの幼虫探しに熱中し、コウモリを捕まえ、長じては、天狗になったり、聖徳太子になったり、辞書で「にべ」を発見し、眠りたいときに眠り、しょんべんをしながら歩き…まあ、そうした態度で、存分に人生を楽しみながら駈けてこなければ、老年に至って、突然、悟りすましたような真似をしても、何も面白いことはないのだと思う。
2人とも、もっと年を取って、半分ボケたようになっても、雑談本を出してほしいと思う。また読みたい。10年余りの差をおいて、追いかけて年を取っていく私には、ちょうどよい道標のようなものだ。本書の要約は不可能だが、私が好きなのは、幼稚園の昼寝の時間に現れる天狗の話。「生なまはげ」の話。降る雨と同期する話、など。
※豊富な写真にいやされる→ほぼ日刊イトイ新聞『黄昏(たそがれ)』