〇神奈川県立金沢文庫 聖徳太子1400年遠忌特別展『聖徳太子信仰-鎌倉仏教の基層と尾道浄土寺の名宝-』(2019年9月21日~11月17日)
先週末、最終日に駆け込みで行った展覧会。あまり期待しないで行ったら、展示室がぎっしり埋まっていて、しかも仏画や仏像など、バラエティに富んで華やかで驚いた。中世における聖徳太子信仰は、浄土系の各宗派によって宣揚されたことが知られているが、もう一つの見逃せない流れに真言律宗がある。中世東国では、聖徳太子信仰に関連する彫刻や絵画が、旧常陸国・下総国周辺に集中している。ここで注目されるのが、鎌倉時代後半にかけて常陸国や鎌倉に大きな力を持った真言律宗の存在である。
ということで茨城県のお寺の寺宝が並ぶ。水戸市・善重寺の聖徳太子立像は、鮮やかな彩色(立体表現もあり)の衣と袈裟をまとう孝養像。切れ長で吊り上がった目。赤い唇を強く結び、厳しい表情をしている。坂東市・妙安寺の太子像も孝養像。色彩は明らかでないが、唐風の沓のつまさきが華やかさを添える。弓なりの眉、瞳の大きい印象的な目。この妙安寺には4幅からなる『聖徳太子絵伝』も伝わっている。素朴なタッチでかわいい。
また那珂市・上宮寺には絵巻の『聖徳太子絵伝』が伝わる。ちょうど太子の生涯の最後の部分が開いていて、家の中で泣き伏しているのは刀自古郎女かと思ったが(日出処の天子マニア)、むしろ『天寿国曼荼羅繍帳』で知られる橘大郎女だろうか? と思って、図録の拡大写真をよく見たら、女性の隣りに太子らしき男性も横たわっている。Wikiを調べたら、妃の膳大郎女が没し、その後を追うように太子は亡くなったのだそうだ。そして、葬列、埋葬のあとに塔(五重塔)らしきものがあって、その先端部分から、色とりどりの衣をまとった小さな男の子が多数、昇天していく様子が描かれている。図録によれば「諸皇子、法隆寺五重塔より昇天す」という場面だそうだ。おもしろい。可愛いけど少し怖い。
神奈川県関係では、龍華寺の善光寺式阿弥陀三尊像。へえ、横浜・龍華寺にも善光寺式阿弥陀三尊像があったんだ。中尊は丸顔でやさしい表情。光背の唐草文、様式化された雲文がきれい。東茨木郡・小松寺の如意輪観音像は、四角い板に半浮彫された小品。どこか異国風。平重盛の念持仏という伝承があるそうだ。
ここから西国に飛んで、奈良・元興寺の聖徳太子立像(孝養像)が東国で見られるのは珍しいと思った。次に広島(尾道)・浄土寺の太子像(孝養像)。少し太め。みずらが小さいので単なるおかっぱ頭のようにも見える。超人的なところがあまりなくて、人間的。浄土寺には、もう1躯、みずら頭の太子像(摂政像)がある。これはさらにふっくらと身体が大きく貫禄がある。丸顔の中央に顔のパーツが集まっている感じ。衣と袈裟の、盛り上げ彩色の装飾が美しい。浄土寺には、上半身裸で赤い袴をつけ、合掌する二歳像もある。
このへんで私はようやく、展覧会のサブタイトルの後半に「尾道浄土寺の名宝」という語句が入っていることに気づいた。いやー聖徳太子像以外の仏像や、涅槃図や、弘法大師絵伝、足利氏関係の古文書など面白いものがたくさん出ていた。声が出そうになったのは、行儀よく落ち着いた雰囲気の肖像『足利尊氏像』。九博の『室町将軍』展で初めて見て、存在を知ったものである。尊氏の念持仏という伝承のある『厨子入阿弥陀如来立像』も出ていた。蒔絵のコンパクトな厨子で、携帯に便利そう。
尾道の浄土寺には、2016年のご開帳に訪ねていて、秘仏ご本尊・十一面観世音菩薩を拝観したことは覚えているが、宝物館にはあまり印象が残っていない。こんなにたくさんのお宝をお持ちだということを、あらためて認識した。東国に来てくれて感謝したい。
おまけ:図書閲覧室の案内が可愛かったので。左下は小さくて分かりにくいけど日出処の天子。