見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

澁澤龍彦・カマクラノ日々/鎌倉文学館

2007-05-26 23:59:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○鎌倉文学館 企画展『澁澤龍彦 カマクラノ日々』

http://www.kamakurabungaku.com/

 先日の埼玉県立近代美術館の『幻想美術館』に続く、澁澤龍彦企画である。埼玉の企画のほうが、コアな澁澤ファンとおぼしき熱心な観客が多かった。こちらは、ちょうど見頃のバラ園に惹かれてやってきた、鎌倉ハイカーが半分くらいを占めていたか。逆に展示内容は、埼玉の企画が「澁澤が愛した美術・芸術作品」を通じて、間接的に澁澤をしのぶ構成になっていたのに対して、鎌倉文学館は、遺品や書簡、原稿、構想メモなどを多数揃えて、より直接に澁澤の面影に接することができる。

 感慨深かったのは、『玩物草紙』『高丘親王航海記』などの手稿。原文は鉛筆。どことなく子どもっぽい、読みやすい筆跡である。プルーインクや赤のペンで加えられた推敲も、非常に明晰で分かりやすい。そうだなあ、澁澤さんの亡くなられた1987年くらいが転機だったのではないかしら。1990年代に入ると、日本人はプロも素人もワープロで文章を書くようになってしまった。だから、こんなふうに手書き原稿を前にすると、澁澤龍彦を熱愛した私の80年代が、まざまざとよみがえってくるような気がした。

 思わず原稿の一字一句を追いながら、文章のリズムが、自然と体内に入り込んでくるのを感じた。そうなのだ。私は、澁澤さんの思想も趣味も大好きだったけれど、何よりも、この文体が好きだった。僭越ながら、同じ体内リズムの持ち主だと感じていた。でも、これってペンや鉛筆で文章をつづることでしか表せないものかもしれない、とも思った。ワープロで文章を構成するって、どこかでこの体内リズムを壊しているんじゃなかろうかと。

 私は、この場でひとつ、誰にも喋ったことのない大罪を告白しておきたい。澁澤さんが亡くなって数年後(つまり17、8年前)、池袋の西武だか東武だかで、初の回顧展が開かれた。そのとき、展示会場に、澁澤さんの書斎の机が再現されていた。机の上のものは、もちろん触ってはいけなかったが、かなり至近距離まで近づくことができた。そして、あろうことか、私は机の上の地球儀を倒して床に落としてしまったのである(カバンか何かが触れたのだ)。会場の係員が真っ青になって飛んできた。多少の傷はついてしまったように思う。係員の方が「龍子夫人が何と言われるか…」と呻くのを聞いて、もう死にたいくらい面目無かった。お金で弁償できるものではないと分かっていたけれど、名前と連絡先を告げ、それ以上展示を見続けることもできず、逃げるように帰ってきた。後日、何か連絡があるだろうかとびくびくしながら待っていたが、結局、何もこなかった。

 鎌倉文学館の展示ケースの中に、このときの地球儀ではないかと思われる品を見つけた。地球儀の北極のあたりに、紙の剥げたようなあとがあるのは、私の粗忽の名残りかもしれないと思って、胸が疼いた。澁澤先生、龍子さん、本当にすみません。

 龍子夫人は、今も北鎌倉の澁澤邸にお住まいと聞くが、澁澤龍彦が少年時代に暮らしたのは、東勝寺橋のたもとの二階家である。「この家は現存している」というのを5、6年前に聞いて、見に行った。しばらく行ってなかったので、文学館の帰りに寄ってみたら、相変わらず、ちゃんとあったので、ほっとした。風情のある佇まいだが、あまり言及されないのは、普通のひとが住んでいるからだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする