見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

こういう老人に私もなりたい/思い出袋(鶴見俊輔)

2010-06-04 21:38:01 | 読んだもの(書籍)
○鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書) 岩波書店 2010.3

 1922年生まれの著者が、2003年1月号から2009年12号まで、つまり80歳から87歳まで「一月一話」のタイトルで岩波書店のPR誌『図書』に寄稿したエッセイ。

 冒頭に、80歳になって、子どもの頃に道で会った「ゆっくりあるいている年寄り」を思い出す、という一文がある。そう、年寄りの話は、歩きかたと同じようにゆっくりだ。語り口にあわせて、本書は活字も少し大きめ。急いたところや、読者を笑わせよう、泣かせよう、というたくらみが全くなくて、素材をごろんと投げ出したまま、お前さんはどう考える? まあ、ゆっくり考えたらいい、と素知らぬ顔を向けられるような趣きがある。

 思い出すのは戦争のこと。軍隊時代の生活に触れて、「私は子どものときから道楽者だから、軍隊の性病予防具の配給を受けて慰安所に出かけることに気が進まない。それでは十代そこそこでクビをかけて悪所に出入りしていたときの気概を無にすることになる。しかし、まじめにくらしてきた少年が志願して軍隊に入り、機会を得て慰安所に行くとというのを止めたくはなかった」という感慨に、私はなんだか微笑を誘われた。右からも左からも、ケシカランの声が飛んできそうだが…。早熟な道楽者ぶりはWikiで。

 戦争末期はシンガポールの軍港にあって、B29の爆撃を受けながら、金網の外、丘の上のこじんまりした一軒家に、切実なあこがれを持っていたという。「軍隊から離れてあの家に住んでいるなら、私にはほかになにも望みはない」と。そして、2008年の今。生き残って、軍隊の外にいる。「食べもの、住む場所、そして軍隊の外にいるという現実」「私は、幸福を自分のものとした。そのことを忘れない。他のことは、つけたりだ」。短いセンテンスを、ひとつひとつ噛みしめ、自分に言い聞かせるような独白が印象的だ。直前に読んだ『「知」の現場から』で、斎藤環さんが、自分(48歳)くらいから下の世代は「生存の不安」よりも「実存の不安」のほうが大きい、と語っていた。私も同感だが、その一方、鶴見俊輔氏の「他のことは、つけたりだ」という啖呵には、「実存の不安」を蹴散らすような、すがすがしさを感じる。

 さまざまなことに執着のある老人って、次第に力及ばなくなっていく分、弱く、みすぼらしい存在になってしまうのではないかな。逆に「(生きてさえいれば)他のことは、つけたりだ」と言い切れる老人には、欲の多い若者よりも、むしろ生命力への原初的な信頼が感じられて、そばにいる人間を若々しい気持ちにしてくれるように思う。こういう老人になっていきたい。でも、私があこがれる老人は、おじいちゃんばかりだなあ。
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さまざまな対話/「知」の現場から(原武史ほか)

2010-06-03 22:40:26 | 読んだもの(書籍)
○原武史編『「知」の現場から:明治学院大学国際学部付属研究所公開セミナー2』 河出書房新社 2010.5

 2009年10月6日から12月15日まで、明治学院大学横浜校舎で行われた10回の公開セミナーを収録。全て対談形式で、ホスト役を同研究所長の原武史氏(計7回)と国際学部教授の高橋源一郎氏(計3回)がつとめている。え~こんな興味深いイベントが開かれていたなんて、ちっとも知らなかった。まあ知っていても、毎週火曜日の夜じゃ、埼玉から戸塚まで通えなかったとは思うけど…。テーマもゲストも実に多彩なので、ここに書き抜いておく。

内田樹×高橋源一郎 哲学/教育
島薗進×原武史 宗教学
川上弘美×高橋源一郎 文学1
青山七恵×原武史 文学2
御厨貴×原武史 政治学
酒井順子×原武史 鉄道論
斎藤環×原武史 精神医学
福岡伸一×高橋源一郎 生物学
姜尚中×原武史 歴史認識
坪内祐三×原武史 都市論

 「国際学部」と称しているけれど、テーマは international affairs(国際関係論)というより、interdisciplinary studies(学際領域)のほうがふさわしい感じがする。読んでみて、いちばん面白かったのは、意外なことに福岡伸一さんの「生物学」。生命現象とは「自己複製するシステムである」という従来の見解に対し、「動的平衡を保つ仕組みである」という、全く異なる観点を導入する。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」みたいなものかな。この観点に立つと、ウィルスは生物の範疇を外れてしまう、というのも面白い。

 姜尚中氏の回は、600人収容の大教室でも立ち見が出たそうだ。観念論を避け、けっこう泥臭く、学者としての生い立ち(おふたりは同じ先生に師事している由)や、姜氏の故郷・熊本の風土論などを語っていている点が興味深い。話題が沖縄に及び、姜氏がテレビ関係者に聞いた話として、沖縄を取り上げると視聴率が下がるのは、つまり、一般視聴者は沖縄の問題に関心がない、むしろうざったく思っているのではないか、と紹介していることに、悲しい衝撃を受けた。

 島薗氏、御厨氏、斎藤環氏の回は、天皇論・皇室論が大きなテーマ。御厨氏によれば、本来、現憲法が定める天皇の「国事行為」とは内向きのもので、「皇室外交」というものは想定されていなかった。にもかかわらず、ご高齢の天皇夫妻に多大な負担を強いているのも、雅子妃が皇室の外交的役割に期待をして皇室に入ってしまったのも、何かおかしい、ということになる。

 ちなみに、2008年度の公開セミナーを収録した『「政治思想」の現在』も発売されているが、私は見た記憶がない。ちょっとテーマが重かったかも。本書は、文学論、鉄道論など軽く読める対談が適度に含まれていて、肩が凝らない。

2009年度公開セミナーのWebサイト
2008年度公開セミナーのWebサイト
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名古屋で一服/徳川のまつり(蓬左文庫)+殿様、ECOを考える(徳川美術館)

2010-06-02 23:50:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
 岐阜の華厳寺に満願お礼参りのあとは、名古屋で途中下車して、久しぶりに徳川美術館に寄っていくことにした。徳川美術館の常設展から入る。最近、戦国時代に興味が湧いてきたので、以前なら素通りしていた上り藤の馬印(徳川義直所用)とか、青貝柄の槍拵え、鷹狩道具一式にも目がとまる。特別展は、順路に沿って、隣接の蓬左文庫から紹介しよう。

蓬左文庫 開府400年 徳川美術館・蓬左文庫開館75周年記念『家康のまつり-名古屋東照宮祭礼-』(2010年5月26日~7月25日)

 近世初頭に始まる名古屋東照宮の祭礼(名古屋祭)の賑わいを紹介。関東人の私は知らなかったが、現在の「名古屋まつり」(毎年10月)の淵源と思っていいのかな。祇園祭や川越祭と同様、町ごとに趣向を凝らした山車を引き出し、巡行するお祭りで、山車の飾りつけは、林和靖、弁慶と牛若丸など、和漢の故事に基づくものが多い。森高雅筆『名古屋東照宮祭礼図巻』を見ると、山車の後ろに、雨覆いの箱や大量の番傘を担いだ人々が続くのが、なんだかリアル。先日の葵祭行列で、しんがりに救護車がいたのを思い出した。絵画だけではなく、明治時代の祭礼の古写真もあり。寛政年間作のからくり人形が残っているのにも驚いた。享保年間に新調されたため、不要になった古い人形は、別の土地の祭礼で再利用され続けたのだそうだ。

徳川美術館 企画展示『殿様、ECOを考える-自然へのまなざし-』(2010年5月29日~7月25日)

 さて、徳川博物館の企画展は、公式サイトを見たとき、動植物の絵がたくさん紹介されていたので、大名の博物学趣味の紹介か(よくある企画)と思った。ちょっと異彩を放っていたのは、最初のセクション「尾張藩と木曽山」。尾張藩初代義直は家康から木曽山を藩領として与えられる。近世初期、豊富な森林資源は、今なら大油田を所有するような価値があった。これは、玉木俊明『近代ヨーロッパの誕生』(講談社選書メチエ、2009)に教えられたこと。

 しかし、江戸初期は空前の建築ラッシュ(バブルだ!)が訪れ、半世紀のうちに木曽山は「尽山(つきやま)」状態となった。危機を感じた尾張藩は林政改革に乗り出し、他国(=尾張藩以外)材木商人による採材を禁じる。自国産業育成のための保護貿易主義と思えば分かりやすい。この間(かん)、豪商・角倉了以の採材に抵抗した材木奉行の原田右衛門忠政は、失脚し、死罪となった。少し調べてみると、近世の偉人として教科書にも名前の載る角倉了以に対して、原田は概して悪役のようだが(→KISSOこぼれネタ:VOL.65 中津川市特集号)、本展は、原田の所業に一定の功績を認めているように感じた。

 時代は下って、天保年間、江戸城西丸の再建計画に際しては、幕府から良材調達のため、川路聖謨が派遣される。川路は、元禄以来、尾張藩も手をつけたことのなかった御囲山(おかこいやま=保護林)から伐材を行い、尾張藩や住民の反発を招く。しかし、あまりにも険峻な奥山だったため、伐り出した木材の搬出に手間取り、西丸再建には間に合わなかった、というオチつき。ああもう、中央の役人のやることは…。

 さらに下って、維新後、尾張徳川家第19代当主・徳川義親(1886-1976)は、東京帝国大学で林政史を研究したが、同時代の史学界の理解を得られず、酷評を受けたという。詳しくはWikiで。展示ケースに置かれた義親の著書『木曽山』(1915年)は孤高の輝きを放っているかに見える。このセクションの展示品の多くは徳川林政史研究所所蔵。昔から、どうして”徳川”を冠した林政史研究所があるんだろう?と不思議に思っていたのだが、今回、尾張藩と木曽山のつながりの深さを知って、やっと腑に落ちた。

 博物学関係では、長らく尾張徳川家の秘本とされてきた『張州雑志』、尾張の本草学をリードした「嘗百社」(伊藤圭介らが参加)関係資料など。画家では山本章夫が面白いと思った。徳川慶勝(1824-1883、14代、17代藩主)も博物学好きで、顕微鏡で見たアリの拡大図を巧みな水墨画技法で写生している。貼り込み帖には、写生のほか、蝶の標本や押し花が一緒になっていて、これは資料管理者泣かせだろうなあ、と苦笑させられた。
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